ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

09/03/26 歌舞伎座千穐楽の元禄忠臣蔵⑥「大石最後の一日」=完結!

2009-04-07 23:59:44 | 観劇

幸四郎内蔵助は昼夜1演目ずつの活躍。夜の部は最後の「大石最後の一日」だ。
【元禄忠臣蔵 「大石最後の一日」】(一幕)
あらすじと配役は公式サイトより引用加筆。
討入りから50日後の2月4日。細川家にお預けとなった浪士たちは手厚いもてなしを受けている。ところが大石内蔵助(幸四郎)は、その厚遇や世評の高さに浪士たちが驕っている、初一念を忘れたかと皆を叱責する。おりしも細川内記(米吉)が対面にきて一同をねぎらう。同じ年の主税が討入りに加わっていたことに感銘している様子をみせ、内蔵助に一生の宝となるような言葉のはなむけを所望。言上された「人はただ初一念を忘れるな」の言葉を胸に刻んで立ち去る。
やがて浪士たちの世話をする堀内伝右衛門(歌六)が、内蔵助に同輩だった乙女田杢之進の子息の小姓姿の若者を半日なりとも皆の側に置いて欲しいと引き合わせる。内蔵助は女と見破り憤るが、実はそのおみの(福助)という娘は磯貝十郎左衛門(染五郎)が婿になってくれることになっていたのに結納の場に現れず討入りとなり、十郎左衛門の心を信じていいのかと苦しんでいた。
そこへやにわに上使の入来が告げられ、内蔵助は十郎左衛門を呼び寄せて対面させる。自らは何も語らない十郎左衛門が袱紗に包んだ琴の爪を肌身離さず持っていることを知っていると指摘する。そしておみのは十郎左衛門の心を知って喜びにうち震え、男装してやってきた「偽りを真に返す」。
堀内伝右衛門がおみのが自害して虫の息であるのを見つけ、主人の勘気をといて乙女田家再興の許しを得たのにと嘆くが、おみのは二世の誓いを全うすることを選んだ。
上使の荒木十左衛門(東蔵)、久永内記(桂三)が赤穂浪士に切腹の沙汰が下ったことを伝え、さらに荒木は吉良家が断絶の裁断がくだったことも知らせる。
諸士たちに死に装束が下され、次々と切腹所に向かうが、堀内から知らされた内蔵助は十郎左衛門におみのの最後に立ち会わせる。後の再会を約すふたり。
皆の最後を見送った内蔵助は「これで初一念が届きました」と堀内に語り、満足気に切腹の場所へと向かう花道の幕切れとなる。
文中にない主な配役は以下の通り。
富森助右衛門=男女蔵 吉田忠左衛門=彌十郎
堀部弥兵衛=家橘

「元禄忠臣蔵」全編を通して「初一念を貫く」というテーマが底流にあり、主人内匠頭の鬱憤を晴らす一念を継ぐことを貫いた内蔵助と、十郎左衛門と恋を貫いたおみのが対照として浮かび上がらせた「大石最後の一日」。真山青果がこれだけをまず書き上げていたというのが納得できた。

ところがまず2つの役の髪型に疑問が湧いたことについて。かなり脱線で恐縮だがどうしても書いておきたいので失礼(^^ゞ。
浪士たちは細川家の厚遇を得ていて、着る物も髪も皆こざっぱりとしている。ところが磯貝十郎左衛門と大石内蔵助だけが月代を剃っていないのは何故なのだろう。十郎左衛門の月代部分は伸び放題だし、内蔵助は年配だけに剃らなくても髪はすでに後退期に入っていて伸びてきた分を一緒に髷に結っているという実にみすぼらしい髪型である。鎧兜を身につけなくてよくなった江戸時代でも武士の正装では月代を剃るというのは実は知恵と経験を身につけた年配者(つまり禿頭に!)にあやかろうという高齢者を敬う文化の現われだという説も読んだが、そうであれば尚更に内蔵助の髪型をこの「大石最後の一日」だけ月代伸ばし放題をやめたらどうだろうか。そうでなければ他の浪士たちも月代伸ばし放題にするかである。まぁそういう特別な鬘をたくさん用意する方が大変だからなのかもしれない。

歌六の堀内伝右衛門がまた情の深い人物で、やむにやまれぬ状況でおみのを引き合わせる必死さがいい。福助のおみのの必死の覚悟を一緒になって伝えるまさに一生懸命の迫力!これならば内蔵助も最後に十郎左衛門との対面をさせる腹をくくれるだろうと思わせる。おみのの福助も大熱演。
十郎左衛門は江戸育ちで内匠頭の小姓づとめもしたらしく、活花の心得があっても然り。江戸という都会育ちの若者の雰囲気に染五郎の華奢な二枚目ぶりの美しさがぴったりだった。

幸四郎内蔵助は、浪士たちの驕りを戒めたり堀内に不興を示したり十郎左衛門の懐の琴の爪を指摘するところで声がひっくり返り気味になるのが気になるが、「初一念」を貫く大切さを何度も説くところでは説得力がある。ふっと「ラマンチャの男」のドン・キホーテが夢を貫いた生き様にイメージが重なった。幸四郎という役者が歌舞伎の枠を超えて積み上げてきたものが生きているなぁと感慨深い気持ちになった。

歌舞伎座さよなら公演ということで、歌舞伎座でしばらく出していない「元禄忠臣蔵」を通し上演としてかけたのはよかったと思う。国立とは2人変えた顔ぶれで幸四郎・團十郎・仁左衛門の3人の内蔵助も夜の部で並べたことも堪能。
来年4月までのさよなら公演では通し上演を積極的に盛り込んで欲しいという思いが強くなった。

写真は「元禄忠臣蔵」の演目名と千穐楽の2本の垂れ幕がかかる歌舞伎座正面を携帯で撮影。
3/20歌舞伎座の元禄忠臣蔵①「江戸城の刃傷」
3/20歌舞伎座の元禄忠臣蔵②「最後の大評定」
3/20歌舞伎座の元禄忠臣蔵③「御浜御殿綱豊卿」
3/26歌舞伎座千穐楽の元禄忠臣蔵④「南部坂雪の別れ」
3/26歌舞伎座千穐楽の元禄忠臣蔵⑤「仙石屋敷」


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