ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

08/07/25 蜷川幸雄の原点へのこだわり

2008-07-25 23:59:35 | 観劇

「わが魂は輝く水なり」のプログラム。ツンドク状態から掘り出して、しっかり読む。
【インタビュー 蜷川幸雄 『わが魂は輝く水なり』について想う】より抜粋
「自分が演劇人としてスタートした時のことを、埋没させず、つねに喚起しないと危ないということを強く感じているんだと思う。そのための一方に清水があり、もう一方に井上ひさしさんの初期の戯曲があるんです。井上さんの当時の作品は、新劇に対する憎悪のような激しい闘争心と、溢れんばかりの言葉の洪水で、今ある演劇を否定したいという想いが、ものすごいんですよ。こういう人たちの作品に取り組むことで、意図的にもう一度初期の自分に戻って、闘争心を燃やしながら戯曲と向かい合ったり、演劇を通して世の中と対峙しよう、としているみたいなんだよ、どうも。こんな風に理屈は付けてるけど、半分は本能的な選択なんだよね。そうやって自分を掻き立てて、普通の老人の終わりにしたくないと意識しているんだと思う。」
【蜷川幸雄と清水邦夫の絆】(寄稿:演劇評論家 扇田昭彦)より抜粋
「それは同時に、蜷川が清水と手を携えて失踪を続けた1960年代から70年代半ばにかけての闘争と騒乱の時代を、今も決して忘れまいとしていることでもある。」
「文中の『森の国』を若者たちの前衛的な小劇場運動(蜷川と清水はこの運動の担い手だった)と解釈し、(後略)」

蜷川幸雄が小劇場から商業演劇に転進して話題になった頃、高校生だった私はなぜ話題になるのかわけもわからなかった。とにかく話題になっている帝劇の「三文オペラ」や日生劇場で「オイディプス王」を宝塚観劇の合間に観たが、何が面白いのかよくわからなかった。
それから観劇をしない時期を経て、娘を産んでから観劇を再開。意地になって蜷川の舞台を観たが、彼の原点をはっきりとは把握してこなかった。
なるほど、蜷川幸雄の常に挑発的なスタイルのスタンスの原点はここにあったのだ!

井上ひさしの初期の戯曲の上演を立て続けにしている理由もこれでわかった。27日にシアターコクーンで「道元の冒険」を観るが、ヤフオクで絶版の文庫本を手に入れて2回読んだ。内容はかなり過激だし、猥雑だし、音楽に乗った言葉の大洪水!
道元の評伝劇にはなっているが、体制派の比叡山の天台宗と対立する様子や人々を救うための方法を求めていくリーダーの狂気に近い苦悩等など、「わが魂は輝く水なり」の木曾義仲軍のリーダーの狂気に重なってくる。この純粋性の素晴らしさと危うさ・・・・・・。連続してこの世界をたたみかけてくる蜷川幸雄の問題意識が刺激的だ。

NHK教育TVの「劇場への招待」で「青砥稿花紅彩画~白浪五人男」も観ながら、蜷川幸雄の舞台に想いを馳せる。こうして古典の作品から前衛的作品まで網羅して観ていくことが面白くて仕方がない。
人間とその社会というのは素晴らしく愚かしく哀しく面白い。


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1 コメント

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興味深いです (hitomi)
2008-07-26 19:47:17
井上さんはこうだったのですか。何も知らずにファンでした。ぴかちゅうさんの記事で勉強になりました。
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