ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

09/08/15 納涼歌舞伎第一部①「天保遊侠録」は意外な収穫

2009-09-06 23:59:56 | 観劇

納涼歌舞伎の感想を第一部から書き始めよう。まずは勝海舟の幼年時代のその父とのドラマから。
【天保遊侠録(てんぽうゆうきょうろく)】作=真山青果
公式サイトよりあらすじと主な配役を引用の上で修正加筆。
幕末天保時代、若い頃から放蕩三昧で無役の御家人勝小吉(橋之助)は、向島の料理茶屋に大久保上野介(彌十郎)を招いて役を斡旋してもらう為の御振舞いの宴を催すこととなり、その当日。小吉は金の無心に来た甥の松坂庄之助(勘太郎)を窘めている。
まもなく井上角兵衛(亀蔵)らが上野介お気に入りの芸者の八重次(扇雀)を連れて現れるが、小吉の座敷と知って八重次は出るのを嫌がる。以前小吉と深い仲になり、捨てられた八重次。小吉に会うと恨み言を言うが、その折、離れに案内されていた小吉の息子・麟太郎(宗生)が顔を出す。小吉は、この宴が神童とも言われる息子を立派に育て上げる為に思い立ったことなので、上野介の機嫌を取るよう八重次に頼む。庄之助が実家の金を持ち出してきたのを賄賂にあてて親戚代表にもして、いよいよ宴が始まる。御振舞いではどんなにいびられようとも席がお開きになるまで辛抱しなければならないのだが、庄之助も小吉も堪りかねて暴れ出し啖呵を切ってしまう。ついに上野介が怒って席を立ち、残った面々と一触即発となる。そこへ江戸城の奥勤めをしている阿茶の局(萬次郎)が現れて代わりに詫び、その場を納める。
阿茶の局は小吉が養子になっている勝家の娘で義姉にあたり、麟太郎を若君の遊び相手に召すという。小吉は手放すつもりはないと拒むが、当の麟太郎がご奉公を望むので、小吉は八重次とともに麟太郎と阿茶の局の乗った駕籠を見送るせつない別れの幕切れとなる。

真山青果作の舞台は「元禄忠臣蔵」の連作を観ている。「仮名手本忠臣蔵」とは異なり史実を踏まえた重厚な芝居を楽しんだ。
「天保遊侠録」はそれとはガラッと違った世話物的な作品で、幕末の傑物・勝海舟とその父の物語が、実に人間臭く描かれていた。役に取り立ててもらうには力のある人とその影響力のある人たちに贈賄するのが当たり前になっているというのは、当時の世相であろうが、現代でも就職をめぐって同じような事件も起きていることも想起させ、実に皮肉が効いている。
勝小吉は黒の羽二重でめかしこんで張り切っているのに、「定九郎(忠臣蔵)では困ります。弥左衛門(「義経千本桜 すし屋」)でなければいけません」と世話役に指摘されている。そもそもここから小吉が地道に世渡りしていくのに向かない人物だとよくわかる。
そんな男でも息子可愛さのあまりに、役につこうと一生懸命頭を下げているのだが、辛抱できずに放つ啖呵がまた実に気持ちがいい。上位者に言いたくても言えずに我慢している人が少なくないだろう現代の観客にもウケそうな場面だ。アウトローの人情ものというのはやはりなかなか面白いのだ。

登場人物の家族関係と演じる役者の家族関係が橋之助、勘太郎、宗生で全く同じと言う面白さもあって、20年ぶりに歌舞伎座で上演とするのかと思っていた。しかしながら実際に観てみたら、幕末の腐敗した世相を描く内容も今の世相と重ねるという企画意図もあったのかと、ちょっと嬉しくなった。

橋之助の黒の羽二重の着流し姿は平成中村座での定九郎をまず思い出すし、「四谷怪談」の伊右衛門も思い出す。
真山青果が歌舞伎の役名を使ってのお遊びを芝居に盛り込んだのも、案外こういう効果もねらっていたのかもしれないと思えた。

そして一番嬉しかったのは、萬次郎の阿茶の局。今回も通る声で一声を響かせて登場するだけで舞台の雰囲気が一気に変わった。それまではなんとなく歌舞伎座で時代劇を観ている感じだったのが、一気に大歌舞伎になった。2007年の團菊祭で父の十七世市村羽左衛門七回忌追善狂言で「女暫」の巴御前での主演があまりに立派で忘れられない。今後も是非こういう重要なお役で活躍する姿が観たい役者だ。

こんな感じで続けて書いていきたいと思っている。
写真は歌舞伎座ロビーにあった納涼歌舞伎の特別ポスターの「天保遊侠録」の橋之助を携帯で撮影したもの。
8/15お盆に納涼歌舞伎一部・二部を続けて観劇の簡単報告はこちら


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4 コメント

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同感ですね! (さちぎく)
2009-09-07 22:32:09
橋之助は江戸っ子御家人の気質がぴったりで、啖呵も小気味良く好演。萬次郎がきっぱりとステキな姉様ぶりを演じて、最後がまとまりましたね。
世相は本当に現代と同じ?いつの世も~という感じでしたね。
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★さちぎく様 (ぴかちゅう)
2009-09-07 23:36:47
真山青果って史劇ばっかりの人じゃなかったんだってイメージを一新してしまいました。
橋之助の息子、甥っ子との共演ってうまく揃いすぎでしたが、さらに萬次郎で一気に満足度が高くなって、意外に楽しめてよかったです。
続けて「六歌仙~」も書くつもりで~す(^O^)/
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「弥助」だったのでは? (六条亭)
2009-09-09 21:45:52
ぴかちゅう さま

コメント返しが遅くなりました。私の方は諸事雑用に追われて、観劇感想をだいぶ溜め込んでいます(^_^;)。10月一杯はこんな状況が続きそうで、ご迷惑をおかけします。

さて、「定九郎では駄目で、すし屋の弥助に」という台詞は少なくとも同じ初日観劇をされ、拙記事にコメントをいただいたSwinging Fujisanさまの感想記事でも「弥助」となっています。

http://kasuga-hatsune.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-008c.html

作者の意図からしても「弥左衛門」より「弥助」の方が一般的にも理解しやすいと思いますが。

橋之助さんは、この勝小吉はぴったりのカッコよさでしたね。また萬次郎さんが貫禄を示して、この演目をしっかりと締めていましたね。

TBをうちました。
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★六条亭さま (ぴかちゅう)
2009-09-09 23:42:43
TB&コメントを有難うございますm(_ _)m
>「弥助」の方が......そうですね、身をやつしても!というような意味で「弥助」なのかもしれないと思えてきました。着物の色でひっぱられたかもしれません。
また上演されるのを観て最終的に納得するんだと思いますが、次にかかるのはいつで、今度はどんな顔ぶれになるのかを楽しみにしていようと思います。それまで元気に観劇を続けないといけませんね(^O^)/
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