昨年、鼓童結成25周年記念企画として坂東玉三郎と鼓童が共演した「AMATERASU(アマテラス)」初演は、楽器演奏鑑賞は苦手な方なので様子見で見送った。上演までのドキュメンタリーなどのTV番組を観ていたのでNHKの「劇場への招待」も予約録画しつつ後半だけ観たのだが、通しでは見直すこともないままになっていた。
昨年7月の泉鏡花作品の歌舞伎座公演で、以降の東京における玉三郎公演はしっかりと観ることを決意したので、今回の歌舞伎座公演は即決!しかし、直前まで太鼓の演奏ばっかりで寝るんじゃないかなぁという不安を抱きつつ、玲小姐さんと並んで着席・・・・・・。
予想もしなかった一幕38分。あまりの素晴らしさに二人とも包まれていた。
一応筋書から物語部分をそのまま引用。
(一幕)「アマテラス・ツクヨミ・スサノオの誕生から物語は始まる。アマテラス(坂東玉三郎)は、光あふれる楽土・高天原を治めている。そこへ荒れ狂うスサノオ(鼓童・藤本吉利)が現れた。アマテラスの慈愛もその荒ぶる魂を鎮めることができない。アマテラスが嘆きの裡に天の岩屋戸に姿を隠すと世界は闇に包まれた。」
(二幕)八百万の神々が岩屋戸の前にやってきて宴を始めた。音楽と踊りはやがて大きなうねりとなって、アメノウズメ(鼓童・小島千絵子)が踊り出す。神々は囃し立て、その熱気と躍動感は最高潮に。アマテラスはそっと岩屋戸をあけた。」
日本の神話物語でご存知!のお話である。台詞は全くない。若干の歌があって物語の大筋はわかるようになっている。
舞台装置の段になった部分にある大きな丸い銅鑼のようなものは眼を表しているようで、左目からアマテラスが右目からツクヨミが、そして真ん中部分=鼻の部分からスサノオが生まれたということが歌で語られる。国生みの2神からそれぞれの支配の分担を命じられている。衣裳もそのイメージカラー。太陽を司るアマテラスは陽光の黄色。月を司るツクヨミは白。海を司るスサノオは青。ツクヨミは鼓童の笛吹きの男性が演じている(物語の進行上、見せ場はない)。
アマテラスの玉三郎が鼓童のアンサンブルと舞う。高松塚古墳の壁画の女性が身につけているような衣裳で裳をヒラヒラさせながら舞う。いつもの歌舞伎舞踊と違った舞い。指が分かれていない足袋のような金色の布靴の爪先までの柔らかい動きに目がいく。玉三郎は♪アー~アー~♪とメロディだけをアルトのような声で歌い、女性アンサンブルが歌詞を乗せた歌を高い声で歌ってのハーモニーを響かせたのも心地よかった。日本を飛び越えてアジア的な感じの舞台だ。
楽土の平安ムードは青い大きな布を持ったスサノオの登場で破られる。大きな大きな青い布。青一色ではなく紫や緑など青系に染め上げられた布を大きく動かして魂の動きを表現している。床に投げ捨てられた青布はアマテラスに拾い上げられて何度か静かにスサノオの肩にかけられる。それをまた邪険に振り払う弟神。スサノオが、ねぶた祭りのじょっぱり太鼓のように大きな太鼓を叩く姿は迫力いっぱい。その顔には黒い隈取が入れられ、カ~っと口を開いた時には鬼面そのものに見えた。
また鼓童の太鼓を叩く男性メンバーの衣裳は太鼓をたたく時の身体の美しさがきちんと見えるような上半身の素肌がよく見える衣裳だ。スサノオの藤本吉利は若者とはいえないお年だと思うが、筋肉が浮き出る見事な身体だった。若いメンバーまでそれは見事な身体でこれも鍛えた人間の身体の美しさもしっかりと見せていただける舞台になっている。
一幕最後には太鼓の間にたたんで置いてあったアマテラスの陽光を表す大きな大きな黄色い布。これも橙色やら何色かの黄色系に染め上げられている。この光沢・この質感・落ちる時の感じからシルクの布にこだわりの染色を施したものと推測した。ともにそれぞれの布を操って舞台を舞う。歌舞伎座の横長の舞台いっぱいに2色の絹布を翻して舞う美しさに恍惚感が湧いてくる。
アマテラスはついに天の岩屋戸に走りこむ。大きな絹布をなびかせ、その色が残光となって観ている者の目に焼きつく。布も消え、世界は闇・・・・・・。
圧倒的玉三郎ワールドだ。もうあまりの見事さに興奮するしかなかった幕間20分。
二幕は天の岩屋戸に集まってくる八百万の神々=鼓童のアンサンブル。火を焚き、法華の太鼓・鉦・木魚という小さな打楽器の演奏者から少しずつ音を出し始め、どんどんサイズが大きな太鼓が登場してくる。女性太鼓奏者の堀つばさ。初演のTVで玉三郎とともに何かの番組に出ていたのを見て宝塚の男役みたいでカッコイイと思って覚えていた。その彼女が4人の男性奏者を従えて肩から吊り下げる太鼓を叩いていた場面がとっても印象的。TVに出ていた頃は顔がこわばっていたが、世田谷パブリックシアター、京都南座の公演を経て自信がついた表情になっていた。他の奏者もみんな自信にあふれた表情をしているのが嬉しい。
男性の奏者が片手で一つの太鼓の両側をハイスピードで叩くところや、3台を三角に配置して3人の奏者が移動しながら叩くところもすごかった。いずれも大きく足を開いて重心を落として叩いているのも見事。全身が鍛えあがっていて、その筋肉をバネにして叩いているからこんな迫力の音が出るんだろうなぁと感嘆するしかない。
アメノウズメの踊りがトランス状態にまでなるといよいよ宴は最高潮ムードに!
そしてついにアマテラスが好奇心をおさえられずに戸を開き光が漏れてくる。その白い衣裳の玉三郎の姿が見えた瞬間、あまりの神々しさにじわっと涙が湧いてきてしまった。力持ちたちがぐっと扉を開いてしまうとアマテラスは宴を自分も楽しみ始める。アメノウズメの踊りを真似して踊り、2枚の扇を使っての舞、両手に鈴を持ち鳴らしながらの舞へ(心底楽しそうな表情。多神教の神々は人間くさいところがいいのだ!)。
玉三郎の手首のスナップの強さはシュノーケリングで鍛えられているからだろうか。その鈴の音の切れのよさ。海に潜って全身に身につけた大自然との一体感がこのアマテラスの神々しさを裏打ちしているような気がしてしまう。男性女性の性別を越えた菩薩のような神のような存在を具現化するのに玉三郎の今の肉体こそふさわしいと思う。
アマテラスも加わった宴が最高潮に達して終幕。現代アジアの舞台作品として一級の舞台だった。太鼓の音楽美、演奏する肉体美、演奏する動きの踊りのような美しさ、舞踊の美しさ。演出・主演した玉三郎の作り出した舞台すべてが美しい。鼓童メンバーも玉三郎の指導によくここまでついていって見事な舞台をつくってくれたものだとつくづく思った。
幕が下りてもあまりの素晴らしさに続く拍手。だんだん手拍子に変わっていく。幕がまた上がる。繰り返すうちに3階席でも少しずつスタンディングオベイションになる。歓呼に応える玉三郎と鼓童のメンバー。玉三郎は常に鼓童のメンバーを気づかい、若手を花道に行かせたり、藤本吉利や小島千絵子を両脇に立たせて引き立たせている。この気持ちの通い合う関係の素晴らしさに惜しみのない拍手を送るしかない。何度も幕が上がり、玉三郎に促されてアンコール曲の太鼓の演奏が始まる。幕が下りてもまだ続く。また上がってアンコールでもう1曲。掛け声のように歌う歌だった。歌舞伎座いっぱいに響く歌声の力強さに満足して打ち出された。
玉三郎がアマテラスを演じながらも師匠が弟子の成長を確認できた慈愛に満ちた表情を垣間見せることも嬉しかった。こうして玉三郎が歌舞伎の世界を越えて彼の芸術の継承をする若手を育てていることが有難い。
玉三郎がどこまでいくのかをしっかりと見届けたいと、あらためて強く思った一日となった。
写真は、松竹の公式サイトより今回の公演のチラシ画像。
今日は職場で「ネパール音楽の夕べ」でした。終了後の懇親会で「アマテラス」のプログラムを見せて「鼓童=ジャパニーズ・ドラムス・グループ」を知っていますかと拙い英語で聞いたら「イエ~ス」とくいいるように観ていました。「タイコ」って言ってましたから、本当にタイコは国際的に通用する言葉になっているんですね。表紙はジャパニーズアクター玉三郎って言ったらそれも知っているって!世界の玉三郎、世界の鼓童なんだって実感しました。
公式サイトでも全体を見ていらっしゃるというか・・・食べるもの1つも気持ちに影響してくるようなことも書かれていました。
名前が変わらずずっと玉三郎のままでいてほしいと思ったりしています。
TBをうちました。
昨日、職場で「ネパール音楽の夕べ」があったんですが、懇親会で鼓童と玉三郎丈の両方をネパールの方は存じてました。世界に轟いた「玉三郎」の名前は変えずにずっといかれるのだと私は思っています。守田勘也の名前は玉三郎丈のお眼鏡にかなった立役さんに襲名させるようにだけされればいいんじゃないかなぁと勝手にこれも思ってます。私は勝手に将来の襲名をイメージしては喜ぶ奇癖を持っているのです(笑)
玉三郎丈は大自然と人間の関係を五体全部でとらえられて、ご自分で発信されている方だと思っています。だからアマテラスそのものに見えました。
★六条亭さま
太鼓の素晴らしさに目覚めてしまった舞台となりました(^^ゞ
初演からの進化をしっかり見ていらっしゃる六条亭さんのレポは大変に有難いです。玉三郎さんと鼓童のコラボの継続、私も大賛成です。
そうだ、この舞台も歌舞伎座建替え中にパリオペラ座に持っていくというのはどうでしょうか?そうそう、絶対オペラ座ですよ。團十郎丈の次は玉三郎丈にあのガルニエの舞台に立っていただきたいです!!
私も玉三郎は別格で名前もこのままかなと思っています。勘也の名跡はその通りですね。
「源氏物語」「ミュージカル人生」2本のTBを有難うございました。ご紹介されていた太陽の『歌舞伎源氏物語』、古本屋で買いました。明石以降の再演の時しか観ていないので玉三郎丈の藤壺を観ていないのです。続けてDVDとか出してくれないかしら。