「新版歌祭文」は今年の7月、国立劇場・社会人のための歌舞伎鑑賞教室で「野崎村」を観た。福助のお光がよくて泣けた。
その時の感想はこちら
その時にしっかり義太夫を聞き取れるようにと、住大夫の「野崎村の段」のCDで聞き込んで観たのだが、文楽で観るのは初めてなので楽しみにしていた。また今回は「座摩社の段」もあるし、続けてみると印象がまた違うに違いない。
前日に公式サイトを見たら、竹本貴大夫さんがご逝去ということで床の顔ぶれが変わったということだった(ご冥福をお祈りする)。先月末には十九大夫の引退もあり、期せずして大夫陣の若返りがすすむと思われる。
【新版歌祭文】座摩社の段・野崎村の段 近松半二=作
<座摩社の段>
手代小助=桐竹勘十郎:竹本津国大夫
丁稚久松=吉田文司:豊竹咲甫大夫
お染=吉田蓑二郎:豊竹睦大夫
油絞り勘六=吉田幸助:竹本相子大夫
山家屋左四郎=吉田玉志:豊竹つばさ大夫
鈴木弥忠太=吉田清三郎:豊竹芳穂大夫
岡村金右衛門=吉田玉佳:竹本文字栄大夫
山伏法印=吉田勘緑:豊竹始大夫
下男・下女=人形遣い複数:豊竹希大夫
鶴澤清志郎
幕開け前に床にいくつもの台が並んでいると「あぁこの段はかけあいでやるんだなぁ」とわかる。一人で語り分けるのもいいが、かけあいも賑やかで大好きだ。これくらい登場人物が多いと大夫の出入りも多い。
人形遣いは特に事前チェックもしていなかったので、勘十郎が手代小助で出てきてちょっと驚いた。しかし、観ていくうちに「座摩社の段」では小助が一番重要な役だということに気づく。丁稚久松が働く油屋の朋輩で一緒に集金に出かけてきたが、腹痛をおこす仮病を起こして久松ひとりで集金に行かせ、その間にその金を騙し取るための算段。座摩社には先に山家屋左四郎が片思いのお染と両思いになりたいとお百度を踏んでいた。八卦見の山伏法印を巻き込んで左四郎を騙して金を巻き上げる悪事も。とにかく“悪いヤツ”なのだ。
お染も下女とともに参拝にやってきたところに集金から戻った久松と出会い、下女が気を利かせて二人きりにさせると八卦見の小屋でしばしの逢瀬!もう本当に燃え上がっている二人の恋がここでよくわかる。
やがて侍と町人の喧嘩騒ぎが起こり、小屋から出てきて見ている久松の懐から侍が財布をとって町人の眉間を割る。血が着いたのを洗って返すと手水の井戸のところですりかえる。偽物を持って帰る久松。鈴木弥忠太と油絞り勘六が小助の策で打った芝居だった。ところが勘六は岡村金右衛門とさらに一芝居打って金を取り返すどんでん返し。ここは客席に驚きの声が上がる。私ももちろんびっくり!小助の悪ぶりも大したことがない。結局は小悪党というレベルか。それをここまで人形で愛嬌たっぷりにやられると憎めない感じがする。
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どうやら久松の生家側の人間らしい。このお家騒動部分については後発作品の「於染久松色讀販(おそめひさまつうきなのよみうり)」を玉三郎の七役で観た時に頭に入っていたので、その記憶と結びつける。
<野崎村の段>
<義太夫>
中 竹本三輪大夫・野澤喜一朗
前 竹本津駒大夫・鶴澤清友
後 竹本文字久大夫・野澤錦糸 ツレ鶴澤清馗
<人形役割>
おみつ=吉田清之助 久作=吉田玉也
おみつの母=吉田玉英 油屋お勝=桐竹亀次
祭文売り=吉田一輔 船頭=吉田蓑一郎
下女およし=吉田清三郎(代演)
通常バージョンで省かれる場面から。繁太夫節の門付けというのは語って聞かせるだけでなく本も売っていたのだ。久作はおみつの気晴らしに「お夏清十郎」の読本を買ってやる。これが後からお染久松に意見するのにお夏清十郎の所業への意見の態をつくるのに重要な役割を果たすわけだ。
久作は大阪の油屋に暮の挨拶に出かけるが、そこに久松が小助とともに帰ってきた。小助は詮議詮議と騒ぎたてるところに、久作が急ぎ戻ってきて小助に金を叩きつける。ここまでが‘端場’で上演がされないことが多いというが、やっぱりここも小助が大暴れ!今回は勘十郎を小助にあてて、小助バージョンの上演かとも思ってしまった。
久作がふたりに祝言をさせるということにして、以降は住大夫のCDで聞いたのとほぼ同様の場面が続く。しかしながらお染が姿を現してからおみつの様子は歌舞伎よりももっと激しいヤキモチ行動にびっくり。久作に据える灸の火をお染の手に押しつけている!人形ならではの誇張した表現に楽しませてもらいながら、おみつのこれからの不幸へ突き進んでいく。病みついているおみつの母も歌舞伎と違ってちゃんと出てくる。CDの登場場面より多いような気がするが、とにかくおみつの母の死が迫っての思いがしっかり描かれる。そのためにお染久松が自分たちの恋を貫くために生きていられない申し訳ないと思う気持ち、おみつが二人を生かすために尼になる選択のせつなさがより際立っている。
歌舞伎の幕切れもいくつかの型があるようだが、おみつが父親にすがって泣いての幕切れは六代目菊五郎の工夫だったろうか。
CDでもそういう場面はなかったが、今回の上演はさらに籠と舟で分かれて大坂に戻る場面、籠屋と船頭のチャリ風演出をきかせている。特に船頭はうっかりと水の中に落ちて這い上がり、棹も忘れたりと笑わせる。濡れた背中も斜めにかけたてぬぐいで拭くところなど、「菅原伝授手習鑑」の水奴を思い出した。
泣きあげての幕切れは、悲劇の人物にスポットを当ててクローズアップするような演出。今回のような幕切れは、悲劇の人物から引いて視点を人の世全般の中から鳥瞰するような演出(クローズアップの反対はなんていったらいいんでしょう)のように感じた。どっちもありなんでしょう。
写真は公式サイトで今公演のチラシ画像のお光。
12/07文楽鑑賞教室①「寿柱立万歳」、解説
12/07文楽鑑賞教室②「沼津」
12/15十二月文楽①「信州川中島合戦~輝虎配膳」
>切の住大夫さんの語りはやっぱりいいなぁ......ここに反応して一昨年12月の東京公演の感想をTBさせていただいた次第です。今ちょうど住大夫さんの新刊の文庫本を読んでいるところです。文春文庫の『文楽のこころを語る』ですけれど作品ごとに語っていただいていることの聞き書きなのでスラスラ読めてもう少しで読み終わります。
2月も東京は三部公演なのでしっかり観る予定です。歌舞伎もいいですが、物語自体を楽しむには文楽の方がいいですねぇ。しばらくは文楽と歌舞伎を中心に観ることにしようと思っています。
コメントとTBを有難うございました。古いエントリにTBさせて頂くのもどうかと思いましたが、関連したエントリの方がいいだろうと、こちらにTBさせて頂きました。
文楽は年に4度くらいしか拝見していないのd、しばらくは初見の演目が続きそうで愉しみでもあります。
>「座摩社の段」にブっ飛びましたぁ。大夫が出たり入ったりの9人を相手に三味線はたったの1人だし......そうそう9対1というのもかなりのオドロキでした。さすがに三味線は交替できないでしょうね。音の継続性がなくなるだろうし、ツレが加わったりいなくなったりするくらいの変化しかさせられないでしょう。この段は大夫が多すぎてツレも出せない?!
>山伏のワンマンショーだし(笑)......確かに小助といいペアのキャラだったと思います。お染と久松のおデート中も覗いてたしねぇ(笑)
(注)かしまし娘さんの記事は名前をクリックすると読んでいただけますのでご紹介m(_ _)m
今年は歌舞伎と文楽の両方で「野崎村」を楽しめましたね。
でも、なんと言っても「座摩社の段」にブっ飛びましたぁ。
大夫が出たり入ったりの9人を相手に三味線はたったの1人だし。
山伏のワンマンショーだし(笑)