ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

09/03/11 映画版「ラ・ボエーム」で「RENT」のよさを見直す

2009-03-13 23:57:00 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

2006年に公開された映画版でミュージカル「RENT」を観てはまり、2回観てDVDも買ってしまった。下敷きになっているオペラ「ラ・ボエーム」も一度観たいと思いつつ機会をうかがっていた。そうしたらMETライブビューイングの「ロメオとジュリエット」で主演していたアンナ・ネトレプコのミミで映画版「ラ・ボエーム」がプッチーニ生誕150周年記念公開で上映されているという情報をGET!
レディスデイに観ようと仕事帰りにテアトルタイムズスクエアにダッシュ!

【ラ・ボエーム(2008)】原題:La Boheme
監督:ロバート・ドーンヘルム 製作国:2008年ドイツ、オーストリア映画
ウィキペディアの「ラ・ボエーム」の項はこちら
あらすじは上記を参照。主な登場人物は以下の通り。< >内は「RENT」で相当する役柄。
ミミ(お針子)=アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)<「RENT」でもミミ>
ロドルフォ(詩人)=ローランド・ビリャソン(テノール)<ロジャー>
マルチェッロ(画家)=ジョージ・フォン・ベルゲン(バリトン)<マーク>
コルリーネ(哲学者)=ヴィタリ・コワリョフ(バス)<コリンズ>
ムゼッタ(マルチェッロの元恋人)=ニコル・キャンベル(ソプラノ)<モーリーン> 
ショナール(音楽家)=アンドレ・エレード(バリトン)

原題のLa Bohemeのhを発音しないからラ・ボエームであり、パンフレットに「15世紀、フランスの人々はボヘミアがいわゆるジプシーたちの故郷なのだと考えた。そこから『ボヘミアン』が彼らのように定住しない者、社会の枠の外で暮らす者という意味をもつ言葉となった」という文章になんだかとっても納得した。
19世紀中頃の小説を元にプッチーニがオペラにしていて、当時の現代物として斬新な内容ではあったのだろうが、現代の私にはかなり違和感があった。

それは当時のボヘミアンの暮らしということでも肺結核が死病という設定でもなく、ミミを愛したロドルフォがどうしようもない男すぎて感情移入できなかったというところだ。ロドルフォは嫉妬深い上に貧しくて愛する女の病気を治してやれないのが辛すぎると別れたいという。この自己中心的な男を見ているとイライラする。そんな男を許す女ミミをドーンヘルム監督はオペラにない場面を加えることで現代に通用する女に造形している。
階上の住人たちが楽しげに暮らしているのに心を寄せていたであろうミミがクリスマスイブにロドルフォが一人になったのをみすましてローソクの火を借りにいく。もらった火をわざと消すのは「RENT」同様。路上で一緒に出かけようと呼ぶ仲間を先に行かせた後、ミミは階下の自分の部屋にロドルフォを誘い込んで一気に恋人関係になるのだ。カフェの場面の二人のベタベタぶりは当然だ。

しかし、このことが自分から強く働きかけて恋人になってもらったという意識をミミは持つことになるわけで、相手が別れたいといえば強く出られずに我慢して別れを受け入れたということになり、説得力が増していると思う。
その後のミミはその美貌で子爵の囲われ者になっているが、死期を悟って愛するロドルフォの側で死にたいと家出をして行き倒れ、そこをムゼッタに見つけられて懐かしい屋根裏部屋に運び込まれるのだ。この無謀な行動に走るミミの心意気には強く共感できるのだが、問題は男である!

二人きりになったところで気持ちが通い合ったのはよかった。ミミの最後に仲間たちは自分たちができることをしようと一生懸命かけずり回ってくれている。しかしロドルフォは医者がきて治療をしてくれればきっと治ると根拠のない希望にすがっておろおろするばかり。仲間に指摘されてミミが息を引き取っていたのに気がつくというマヌケぶりを露呈。そこで悲しく「ミミ~」と叫んでも現代の私たちの心は打たない。馬鹿野郎!なんで腕の中で死なせてやらないんだぁ!!
死病で愛する女が死んでいくという物語は歌舞伎で観た「刺青奇偶」も同様だ(シネマ歌舞伎第8作に!)。半太郎はしっかりお仲を抱きしめて死なせてやるじゃないか。
    
この映画を観て「RENT」のよさがよくわかった。ジョナサン・ラーソンは「ラ・ボエーム」をよくここまで書き替えたと思った。
屋根裏部屋で金はなくても自分の才能を信じて努力している若い仲間たち。紙を燃やす場面やら大家を撃退する場面やらローソクの場面、カフェでの狂乱のクリスマスイブなど、本当に名場面をよく生かしている。
そういえばMETでの上演頻度の最も高いのが「ラ・ボエーム」だということだし、ニューヨーカーはこの物語をよく知っているのだろう。だからそれを現代的にアレンジしたミュージカルはヒットしたのだろう。
ライブビューイングと違って舞台を撮影するのではなく映画にしたのもそれはそれで面白かったと思う。モノクロの画面からカラーの画面への行ったり来たりするのは「オペラ座の怪人」でも「スウィーニー・トッド」でも観たが、物語の時代性を感覚的に表現するにはいい手法なのだろう。
オペラの歌い手は現代のドリーム・カップルらしい。アンナ・ネトレプコのソプラノは好きだし、ジュリエットの時よりもダイエットしたようで死病という役なんだから当然のグッジョブである。

ローランド・ビリャソンのテノールもいいのだがビジュアルがいかにもメキシコ出身という感じでフランス人には見えないのが難点。それとやはりこの役柄は現代人に共感してもらいにくいというのが大損だ。

レディスデイなのにこんなに客席がガラガラって寂しいなぁ状態だった。「ラ・ボエーム」は無理してまた観たいような物語ではなかった。しかし、1965年製作のカラヤン×ゼッフィレッリの映画版くらいなら一度観てみたいとも思う。
写真はこの映画のサントラ盤の画像。