ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

09/03/22 映画「さらば、わが愛~覇王別姫~」をDVDで観た

2009-03-30 23:56:46 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

昨年3月にシアター・コクーンで蜷川幸雄演出の舞台「さらば、わが愛 覇王別姫(はおうべっき)」を観た。続けて翌月に映画版をル・シネマで観ようとしていた直前に父の急の知らせが入って観ないままになっていた。
一年たって3連休の出かけない日に、玲小姐さんにお借りしたDVDをようやく観てみた。その直後に「Beauty うつくしいもの」をどこで観ようかと検討していた時にシネマート六本木で同時期に「さらば、わが愛~覇王別姫~」も上映しているのがわかったが、ここでなぜ4月に上映企画が多いのか疑問が湧く。DVD鑑賞の報告がてら質問してみたら玲小姐さん曰く「レスリー・チャン」が4月に亡くなったのでそれを追悼するためでしょ」。うーん、納得だ!

2008年3月のシアター・コクーン「さらば、わが愛 覇王別姫」の記事はこちら

【さらば、わが愛~覇王別姫~】(1993年/香港/172分)
監督・脚本 チェン・カイコー
主なキャストは以下の通り。    
小豆子→程蝶衣:レスリー・チャン
小石頭→段小樓:チャン・フォンイー
菊仙:コン・リー

まず映画でこそと思ったのは、少年時代をじっくり描いていることだ。子役も途中で代替わりさせて45分かけて蝶衣と小樓の育った環境と二人の関係をしっかり描いている。京劇の役者育成をしながら街頭で日本でいう角兵衛獅子のような見世物をしてお金を稼がせている集団。どの子もガリガリに痩せていてアクロバティックな動きが身についている。きっと雑技団とか体操とかの才能を育てられている子どもたちからキャスティングされているのだろう。
特に2人目の小豆子の子役が実に巧い。遊郭の女郎が育てられなくなって捨てるように預けていった小豆子は母親に似たのか美しい顔立ちで髪を剃りあげられた小さい頭と細く華奢な身体つき。頭で石を割るような頑丈で逞しい小石頭に心を寄せていく様子がせつない。小豆子が宦官だった金持ちの翁に弄ばれる犠牲と引き換えに小石頭とのコンビが世に出たのだ。京劇の女形の運命らしい。

レスリー・チャン=蝶衣とチャン・フォンイー=小樓に切り替わると実に美しい女形と頑健な立役で見惚れる。チャン・フォンイーがどうもどこかで見た顔だと「レッドクリフ」のプログラムで探したら曹操役の人だった!こうしてみると東山紀之はなかなか頑張っていたじゃないかと思えた。小樓の遠藤憲一は姿はいいのだが声が通らなかったのでやっぱり駄目だったと(^^ゞ
圧倒的にレスリー・チャンの蝶衣は美しく圧倒的な存在感。コン・リーの菊仙は負けている。
しかし、映画では小樓と菊仙の二人の男女の恋愛模様も実にたっぷり描かれている。遊郭の3階から飛び降りて受け止めるという場面は舞台では無理だ。それが文化大革命の時代に不幸な最後を予感する場面のキーワードとして有効に使われるというのがすごい。
そしてこの濃厚な夫婦関係に打ちのめされて蝶衣がパトロン袁世卿とのアヘンを含めた関係に耽溺してしまう対照が激しく悲しい。

袁世卿の役者の細くて耽美の世界にしか棲めなくなってしまったような妖しい目がまたよい。彼が運命の剣を蝶衣に与えてしまったんだなぁ。袁世卿のような存在は文化大革命では生き延びることはできない。その運命すら予感させるような半分この世にない目つきが印象的だった。

シネマート六本木の映画の説明に「京劇の古典『覇王別姫』を演じる2人の役者の愛憎を、国民党政権下の1925年から60年代の文化大革命時代をはさんだ70年代の末まで、50年にも渡る中国の動乱の歴史と共に描く一大叙事詩」とあった。
清王朝から国民党政権へ、日本の占領→敗戦くらいまでは京劇もなんとかなった。日本軍に媚びた漢奸だという疑いも晴らした。蝶衣のアヘン中毒を必死に直したのも小樓と菊仙だったし、菊仙の流産の不幸もともに乗り越えた。
しかし小樓が保身のために共産党に飲み込まれていくことが蝶衣との絆を断ってしまう。さらに文化大革命の嵐は小樓に心ない言葉を次々と吐かせてしまう。この男の小ささが招く不幸。万人の前で遊女だった女は愛していないと宣言した夫に絶望した菊仙の自殺。

袂を分かっていた二人が「覇王別姫」で再共演することになり、その舞台の上で蝶衣は虞姫になった。映画の冒頭のタイトルロールが流れる絵はまさにその「覇王別姫」最後の悲劇の場面。虞姫の首を突き抜ける剣の絵。だから映画でその場面はなくて終る。実にイマジネーションを喚起される。
この死に方で虞姫は項羽への愛を全うし、蝶衣は小樓へ思いをたたきつける。この世でかなうことのなかった思い。蝶衣の愛、菊仙の愛を受けるにふさわしい人間だったのだろうかと、小樓はそれを一生自問し続けるのだろうか?

男二人女一人で古典芸能を生きた物語が「Beauty うつくしいもの」と共通はしているが、3人の愛憎のドラマに焦点がある「~覇王別姫~」の方は重たく苦しくせつない。
ふと映画「M.バタフライ」も思い出された。京劇の女形ソン・リリン(ジョン・ローン)を女と思って愛してしまったフランスの外交官ガリマール(ジェレミー・アイアンズ)。ソンは中国共産党のスパイとして行動することを強要されていて、外交機密をもらしたガリマールは裁判で全てを知らされて絶望する。収監された牢獄の余興で京劇の女形を演じ、隠し持ってきたカケラで頚動脈を掻き切って死ぬのだが、あれは「覇王別姫」の虞姫だったのか。愛した幻の女への愛を全うしての最後だった。
アジアへの幻想に生きて死んだフランス男の哀れな人生。中国とフランスって似ているかもと玲小姐さんと盛り上がったっけ。最近、洋の東西の文化比較に関心が向いている私である。

写真は映画「覇王別姫」の宣伝画像。