ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/05/19 五月大歌舞伎・夜の部②「松竹梅湯島掛額」

2006-05-30 23:58:03 | 観劇
「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」
八百屋お七と吉三郎の話も数多く脚色され上演されてきたようだが、私は全く初めてだった。今回は2つの作品からいい場面2つを抜き出して繋いだ演目とのこと。初代吉右衛門が『吉祥院お土砂』の場の紅長を演じて好評だったために当代が演じるのだという。
『吉祥院お土砂』の場
お話は以下の通り。江戸の大火事で焼け出された八百屋の娘お七は避難先の吉祥院の寺小姓吉三郎に惚れこんでしまう。母おたけ(芝雀)に添わせてくれるように頼むが家の借金の返済代わりに釜屋武兵衛(歌六)との縁談をすすめているという。また吉三郎の生家の家臣若党十内(歌昇)がやってきては紛失した重宝の刀を取り戻せば吉三郎は許婚と祝言を挙げ家督を継ぐという。お七が落ち込む度に出入りの紅屋(口紅に使う紅屋)長兵衛がなだめようといろいろ笑いをとる。お江戸に木曽義仲が攻め上ってきて、美人と評判のお七を側女にしようとする使者長沼六郎(信二郎)もおしかけてくる。紅長がお七を匿って大活躍するというドタバタのお笑い劇。そのために「お土砂」という粉を使う。チラシにあった説明、かけられると体がグニャグニャになってしまうという粉って一体何と思いながら観る。死後硬直がとけるように加持祈祷をした土砂とのことだが、ベンチョーさんがそれをあらゆる人にかけまくって笑いをよんで幕。

お七の亀治郎、顔の拵えがよくなった。菊之助の顔の拵えの改善に喜んでいた私だが今回の亀治郎も目の赤の入れ方がすっきりして美人顔になった。さらに声もこれまでで一番高くて可愛らしい。びっくり!吉三郎の染五郎も若衆姿を初めて観たが美し~。この美しさに間に合ったようで眼福眼福。だんだん線が太くなってきているから滑り込みセーフかもしれない。今回のおふたりは美男美女といえるだろう。しかしどうみてもお七の片思いで猛烈なアタックに吉三郎は折れた感じ。PARCO歌舞伎の堀部ホリ役からこういう強気の役続きだが、亀治郎にぴったりなのかもしれないなとニンマリしてしまう。左甚五郎作の欄間の吉祥天女像にすりかえてお七をかくすという設定でポーズをとる姿もとてもきれいだった。
紅長の吉右衛門、軽みを出すのが苦手と語っていたが、慣れない三枚目を一生懸命演じているのが伝わってくる。お七が渾名を「べんちょべんちょべんちょ~」とつけたという台詞あたりから客席は大笑い。「チッチ吉ー」(この舞台を観た後で本物をTVでやっと見た私!)も飛び出すし、ギャグも一生懸命ひねり出していた。皆さんのブログを見ると「ナントカカントカだワイ」の台詞のあとが日替わりのギャグになっている。私が観た5/14は「.....だワイ、ンレッドの心、♪今以上これ以上愛されるのに~♪」と歌つきで全員が鸚鵡していた。誰かはメロディがぐじゃぐじゃになって.....。菊五郎丈と違ってパロディの選曲が今のものでないところが吉右衛門!五右衛門での宙乗りといい、三枚目といい、吉右衛門が得意でないものに果敢に取り組む姿こそが後進を励ましているんだなあと感じ入った。「お土砂」騒動自体はあんまり笑えなかったんだけど、吉右衛門が染五郎を女扱いがうまいとかパパネタでいじった時にも切り返しながらも神妙だった姿の方が笑えた(^^ゞ叔父・甥の関係はよさそうで観ている方も嬉しいし。

『火の見櫓』の場
前の場とはうってかわる。吉三郎は重宝を取り戻せない責めを負って切腹と決まる。お七が会いにいこうとしても木戸がもう閉っていて江戸市中は通行制限の時間になってしまっていた。お七に仕えるお杉(吉之氶)がその重宝を釜屋武兵衛が持っているのをつきとめて取り戻してくれた。非常時に木戸を開くため櫓の太鼓。それを打てば木戸は開くが非常時以外に打てば厳罰がくだる。吉三郎を救うため、お七は極刑を覚悟で櫓の太鼓を打つという「櫓のお七」という名高い場面。気持ちが高まる部分を「人形振り」で演じるのだが、亀治郎の人形振りは玉三郎のそれとは別物だった。うまいのかどうかは私にはわからないのだが、動きがダイナミックで面白かった。前の場のブリッコのお七が内に秘めた激情を一気にほとばしらせたというような表現。この両極の演技が今回の二つの場面で楽しめたのは大収穫だった。

文楽もまだ三回しか観ていない私だが、やはり人間による「人形振り」というのは人形の動きとは違った。「人間なのに人形のような動きをすること」と「人形なのに人間のような動きをすること」のねらいは全く違うと思った。だからそれぞれ別物として楽しむことがいいのだと思う。さらにあとから文楽の「生写朝顔話」を観た時の発見を書いておく。最後の大井川の場面でそれまでずっと生きた人間のように遣われてきたのに、最後の最後は「人形の動き」を強調した激しい動きで蓑助さんが遣っていたのだった。これはすごいヒントだと思った。「人形のような動き」は変化をつける動きだったのだと解釈した。

新橋演舞場五月大歌舞伎のスタートはいろいろな役者のあらたな面を見ることができた。総体として満足度の高い公演だったと思う。
夜の部①「石川五右衛門」「京鹿子娘道成寺」の感想はこちら
昼の部①「寿式三番叟」「ひと夜」の感想はこちら
昼の部②「夏祭浪花鑑」の感想はこちら
写真は松竹ウェブサイトより今回の新橋演舞場五月大歌舞伎のチラシ画像。
追記
今回のパンフレットを収納する時に気がついた。あっ、コクーン歌舞伎と同じサイズだ!並べてピタリ!!そうか~!!!