ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/03/08 娘よ、卒業おめでとう(T-T)

2006-03-08 23:53:44 | つれづれなるままに

今日は娘の定時制高校の卒業式。仕事を早く上がって学校にかけつけた。全日制の方と違って人数が少ないので視聴覚室が会場。夏のPTA臨時総会と文化祭もこの部屋が会場だった。今日は紅白の幕がめぐらされ、正面には校旗・県旗・日の丸の3点セット。
15人の卒業生が入場。制服がないので、ほとんどの子が黒のスーツで大半がパンツスーツ。わが娘も同。黒い靴まで用意している子と学校の上履きのままと両方あり。ひとりだけが着物に袴姿。
卒業証書授与の時に通路に出て写真をとらせてもらう。携帯のカメラでこの1枚とあとは普通のカメラで何枚かとる。少ないのですぐに終わるが続く表彰。皆勤賞とかかなって思ったらいろいろな表彰があった。全国高等学校定時制・通信制教育振興会から成績が優秀な生徒、スポーツ成績が優秀な生徒、生徒会活動に励んだ生徒などに表彰あり。
校長先生の式辞の中でも入学時の人数の半分になっての卒業だが、卒業を迎えた生徒の頑張りを讃える内容もあり、こういう表彰も大事なんだなと思った次第。

卒業生代表の答辞には、4年間学校を続ける大変さやそこでやめていった仲間を思う気持ちも盛り込まれていた。仲間意識を強めていった諸行事や修学旅行を思い出して万感がこみ上げたようで、仲間の生徒も先生方もすすり上げ者が何人も。私も修学旅行の最終日、東京駅まで迎えに行ったことを思い出して、涙が...。
とっても厳粛だったけどあったかい卒業式だった。

式の後に別室で「卒業を祝う会」=卒業生、保護者、先生方による茶話会もあった。担任の先生は定年を前に一緒に卒業されるという。卒業生を送り出して自分の教師生活にピリオドを打たれたのだった。先生にも生徒たちから感謝状と記念品が送られた。手書きの感謝状には30数年の教師生活(定時制では15年)をねぎらう言葉が!額に入れた寄せ書きと万年筆も!先生もすごく感激されていた。
全員一人一言ずつというのをやったのが、私は初めてそこで名前と顔がわかったような状況だったが、その一言ずつがまた胸をうつ。娘のような転校組も少なくないし、親の関係で日本にきたアジアからきた生徒が一生懸命覚えたであろう日本語で気持ちを伝えてくれる。あるお母さんはもっとたどたどしい言葉で短い感謝の言葉。
娘の前にしゃべった生徒さんは毎日お母さんに車で送ってもらっての登校で卒業できたのも家族のおかげと感謝の気持ちを泣きながらしゃべる。それを聞いていたお母さんが私の隣にいて「こんなこと言うなんて思わなかったから」と泣いている。娘から付添登校の生徒は他にもいるんだよときいていたが、この母娘さんだったのね!と同じつらさを共感して私も涙。
続く娘も「私は転校してきて1年間だけだったけど、最初とっても不安だった。このクラスのみんなが優しかったのでなんとか卒業できた。本当にみんなと卒業できて嬉しい」と泣きながらしゃべる。もう私は滂沱の涙。娘の隣に座っていた私の番。ちょうど一年前この部屋で転入試験を受けてこちらに入れてもらったこと、小学校での教師のいじめから男子生徒によるいじめへ、中学での不登校、高校でそれを知る男子生徒からまたいじめられたこと、それによって人がこわくなって引きこもってしまい、休職していた私が付添登校して1学期、復帰後もおりおりに付添って修学旅行でも迎えに行ったくらいでやっと余裕日ゼロでの卒業。女子高のこのクラスで一緒に卒業できて本当に感謝している。これからちょっと休んでから少しずつでも外に出て行けるようにバイト先を一緒にさがしたりしながらやっていきたい。携帯だと連絡とれないことが多いので自宅の電話が留守電に切り替わるくらいまで電話していただければ連絡とれると思うので声をかけてやってほしい...というようなことをしゃべった。袴姿の女性校長先生とは夏のPTA総会の後でいろいろ話をきいていただいていたのだが、もう涙涙できいていただいた。

とにかくみんな可愛かったよ~。定時制に通ってくる生徒は勤労学生ももちろんいるが、今は不登校とかいじめとかの経験者が多い。仕事と学校の両立だけでなく、精神的なつらさと闘いながらの高校生活となる生徒が少なくない。入学時から半分になってしまうほど、つらさは生半可なものではない。それを乗り切って卒業を迎えることができた、生徒も親もお互い大変だったねという共感にあふれた会だった。

娘に遊びにいってこいと背中をプッシュし、カラオケにいくグループに合流できたのを確認後、私はひと足先に花束や荷物を持って帰宅。茶話会でいただいたケーキでひとり、娘の卒業を祝うのであった。

追記:
冒頭の一同起立の後、開式の言葉に続き、「国歌」斉唱。その後着席の号令がかかるのだが、君が代は歌いたくないのでひとりだけ先に着席してしまった。これくらいのことでもけっこう勇気がいる世の中になってしまった。