雨の一日。
家に帰ると、途端に雑用が多くなる。
しなくてはならないことが多いと、妙に、どうでもいいことに目がいく。
昔も、そうだった。テストの時期になり、総復習をしておかなくてはと思うと、妙に小説が読みたくなるばかりでなく、読み始めてしまう、といった具合に。
今日は、本棚の前に立って、滅多にページ捲ることのない諸橋轍次の大漢和辞典(書棚・上の段)を手にとってみたりする。
父の名前には、普通の漢和辞典には存在しない漢字が用いられている。しかし、この大漢和辞典には出ている。
持ち重りする辞典を取り出してみる。
父の名前は、「愛」プラス下掲(写真)の漢字で成り立っている。
生前の父は、自分の名前を正しく読んで(呼んで)もらえなかったのでは? と思う。
私の知る限りでは、「あいほう」と呼ばれていたが、正しくは「よしか」である。
大漢和辞典で、「カ」に当たる漢字を調べてみた。
音読みは、<ホウ>と<ブ>。
字の意味は、「香気がさかん」とある。
読みとして、「カ」の音は出ていない。
名づけた人は、祖父であろう。普通の漢和辞典にはない漢字を、どんなつもりで用いたのだろう? と、取り止めもなく考えてみる。
祖父は明治11年生まれである。
戦中は村長をしていたが、終戦後、追放された。
鼻髭や顎髭を蓄えていて、威厳があった。
俳句を嗜み、「ホトトギス」の一員であったことは記憶にある。
が、祖父と日常を共にしたわけではないので、詳細は知らない。
が、知識(漢語力)はあったのだろう。普通の漢和辞典には載っていない漢字を、長男の名前に用いているくらいだから。
祖父にも父にも、名前の由来を聞かなかったのを残念に思っている。
父が何かの折に、戯れに氏名占いをしてもらったところ、「畳の上では死ねないそうだ」と話したのは覚えている。その理由は、氏名の字画総数が、<44>であるというのが根拠らしかった。
父は、占い師の言葉など信じてはいなかった。が、父の晩年を一緒に暮らした私は、昔聞いた話が心に残っていて、老いた父の外出には、それとなく気を遣ったものであった。
89歳のとき、血小板の減少など、大病に苦しめられたが、祖父が86歳で死去した折、自分は10をプラスし、96歳また生きると冗談混じりに宣言していた、全くそのとおりに天寿を全うした。
祖父から、八雲塗りの硯箱をもらったのは、就職祝いであったろうか。長く愛用してきたが、今は使っていない。
書写道具は今も皆揃っている。施設へ持参し、遊びとして墨筆を楽しんでみようかしらと思ったり……。
片づけなくてはならない仕事がたくさんあるのに、大漢和辞典の前に立ったばかりに、父の名前のことから、祖父の思い出にまで浸ることになった。
外は雨。
梅雨前線が居座っていて、被害が出たり、避難指示の出ているところもある。