ぶらぶら人生

心の呟き

雨の小休止に

2023-07-09 | 小庭の四季
 今年は、白椿の実が、三つ、四つ、五つと数えらえるほどできている。
 が、明日は剪定日。せっかくの実も切り落とされる可能性が高い。そこで、ひとつだけカメラに収めておいた。


    



 前庭に咲くギボウシは、毎年、丈が高く伸びすぎて、弓形に曲がってしまう。大変乱暴な咲き方をする。全く見栄えのしない立ち姿である。お世辞にも、美的ではない。
 毎年、剪定の折、庭師のOさんが刈り取ってしまわれる。

 せめて一日、花瓶に挿して眺めようと、まずまずの2本を摘み取ってきた。
 が、花瓶に挿しても、全く自由奔放で、形の整えようがない。


    



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雨、降り止まず

2023-07-08 | 身辺雑記
 雨の一日。
 家に帰ると、途端に雑用が多くなる。
 しなくてはならないことが多いと、妙に、どうでもいいことに目がいく。
 昔も、そうだった。テストの時期になり、総復習をしておかなくてはと思うと、妙に小説が読みたくなるばかりでなく、読み始めてしまう、といった具合に。

 今日は、本棚の前に立って、滅多にページ捲ることのない諸橋轍次大漢和辞典(書棚・上の段)を手にとってみたりする。

 父の名前には、普通の漢和辞典には存在しない漢字が用いられている。しかし、この大漢和辞典には出ている。

 持ち重りする辞典を取り出してみる。
 

    


 父の名前は、「愛」プラス下掲(写真)の漢字で成り立っている。

 生前の父は、自分の名前を正しく読んで(呼んで)もらえなかったのでは? と思う。
 私の知る限りでは、「あいほう」と呼ばれていたが、正しくは「よしか」である。

 大漢和辞典で、「カ」に当たる漢字を調べてみた。
 音読みは、<ホウ>と<ブ>。
 字の意味は、「香気がさかん」とある。
 読みとして、「カ」の音は出ていない。


    


 名づけた人は、祖父であろう。普通の漢和辞典にはない漢字を、どんなつもりで用いたのだろう? と、取り止めもなく考えてみる。

 祖父は明治11年生まれである。
 戦中は村長をしていたが、終戦後、追放された。
 鼻髭や顎髭を蓄えていて、威厳があった。
 俳句を嗜み、「ホトトギス」の一員であったことは記憶にある。
 が、祖父と日常を共にしたわけではないので、詳細は知らない。
 が、知識(漢語力)はあったのだろう。普通の漢和辞典には載っていない漢字を、長男の名前に用いているくらいだから。

 祖父にも父にも、名前の由来を聞かなかったのを残念に思っている。

 父が何かの折に、戯れに氏名占いをしてもらったところ、「畳の上では死ねないそうだ」と話したのは覚えている。その理由は、氏名の字画総数が、<44>であるというのが根拠らしかった。
 父は、占い師の言葉など信じてはいなかった。が、父の晩年を一緒に暮らした私は、昔聞いた話が心に残っていて、老いた父の外出には、それとなく気を遣ったものであった。
 89歳のとき、血小板の減少など、大病に苦しめられたが、祖父が86歳で死去した折、自分は10をプラスし、96歳また生きると冗談混じりに宣言していた、全くそのとおりに天寿を全うした。


 祖父から、八雲塗りの硯箱をもらったのは、就職祝いであったろうか。長く愛用してきたが、今は使っていない。
 書写道具は今も皆揃っている。施設へ持参し、遊びとして墨筆を楽しんでみようかしらと思ったり……。

 片づけなくてはならない仕事がたくさんあるのに、大漢和辞典の前に立ったばかりに、父の名前のことから、祖父の思い出にまで浸ることになった。


 外は雨。
 梅雨前線が居座っていて、被害が出たり、避難指示の出ているところもある。


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庭の白い花

2023-07-07 | 小庭の四季
 しばらく(といっても、4泊だが)家で過ごすことにして、朝食後帰宅。

 部屋に入る前に、庭の様子を見て回った。

 クチナシの花が、一つ咲いていた。

     


 昭和40年代の終わり頃であっただろうか、渡哲也によって、<♩クチナシの白い花……>が、歌われたのは。

 クチナシの花を見ると、職場の小グループで、有馬温泉へ旅した折のことが蘇る。
 その夜、数人で、近くの喫茶店へ入った。そこには、先客の和服姿の男性がいて、私たちに断って、クチナシの花を歌ったのだった。
 ただそれだけのことだが、クチナシが思い出させる、たわいない旅の一コマである。


 シロシキブの花。

     



 白い実をつけるナンテンの花。

    



 今日、帰宅した私を、真っ先に迎えてくれたキキョウの花。

    


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『近代秀歌』

2023-07-06 | 身辺雑記
 永田和宏著『近代秀歌』を再読。


     

 
      お勧めの一冊。



 歌人の作者によって選び抜かれた100首の歌を中心に、十章に分けて、近代の秀歌が紹介されている。柱となるのは100首だか、さらに100首以上の歌が取り上げられている。 

 第一章 恋・愛  
      人恋ふはかなしきものと
 第二章 青春
    その子二十櫛にながるる黒髪の 
 第三章 命と病い
    あかあかと一本の道とほりたり
 第四章 家族・友人
    友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
 第五章 日常
           酒はしづかに飲むべかりけり
 第六章 社会と文化
    牛飼が歌よむ時に
 第七章 旅
    ゆく秋の大和の国の
 第八章 四季・自然
    馬追虫の髭のそよろに来る秋は
 第九章 孤の思い
    沈黙のわれに見よとぞ
 第十章 死
    終わりなき時に入らむに

 となっている。その章の立て方、歌の選択も素晴らしい。
 この本を最初に読んだのは10年前だから、ブログにも感想を書いているだらう。が、何を書いたかは、全く思い出せない。

 私自身は、短歌形式で思いを綴ろうとしたことはない。が、人の作品を読むのは好きである。
 この本は座右に置いて、今後も、折々読みかえしたい。

 老いとともに、読書力、読解力も弱るものだなあ、と、最近思うようになった。その点、エッセイや短歌、俳句などを読むのは、苦にならず、まだ楽しめるような気がしている。

 短歌に親しんだ最初は、石川啄木であった。戦後の13歳ころ、通学の汽車の中で、『一握の砂』『悲しき玩具』を誦じた。啄木の次に接したのは、北原白秋であった。

 好きな歌人を5人あげるとすれば、やはり石川啄木、北原白秋、若山牧水、窪田空穂、与謝野晶子ということになるだろうか。




  施設の自室から見た今朝の朝陽。

    



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セイヨウニンジンボクなど

2023-07-05 | 身辺雑記
 Tさんにいただいた花を花瓶に挿した。
 セイヨウニンジンボク(右)
 ホソバオケラ(左)
 朱色のバラ。

     



 夕陽を眺めて一日を終える。

     



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夏の<花と実>

2023-07-04 | 散歩道
 久しく散歩に出かけていない。
 午前10時半、スマホで当地の気温を確かめると、28度とあった。まもなく29度、30度と上がっていく様子。
 気温の少しでも低いうちに歩いてこようと出かけた。
 歩いたという気になれる最短距離のコース。それは桜並木の小径を歩き、大塚神社の通りを帰ってくるコース。
 私の歩数で、2000歩余り。2キロ足らず。36分の散歩。

 その間、足を止めて眺めた花や実。


   Google lensで調べたところ、
   グオリオサ(別名・ユリグルマ・キツネユリ)

   



            アケビ(形も色も変化なし)

    



             桜の木に絡まっている 
      昨年のカラスウリ

     



       ダントク

    



     Google lensで調べたところ
       ウスベニアオイ

    



       ムクゲ

    



       ツバキの実

    



       ザクロの実

    



     黄花ノウゼンカズラ

    




     オリヅルランの花

    



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帰宅の庭に

2023-07-02 | 身辺雑記
 連日の雨で、草丈の伸びが際立っていた。
 シルバー人材センターに電話して、今月のうちに草取りをしてもらわなくてはならない。

 クチナシの花はまだかと、横庭に回ってみる。まだ蕾は硬い。
 足元に、黄色い花が咲いている。路地に咲くヤブツルアズキである。


     ヤブツルアズキ

    


         ↓

    



 帰宅日は、溜まった五日分の新聞➕赤旗日曜版を読み、持ち帰った洗濯物は、乾燥機付き洗濯機に任せる。
 市の広報、その他郵便物の点検。
 秋になると、毎年、新米を送ってくれていた知己から、腰痛など体調の衰えで、米作りをやめた。よって、お米が送れないという詫び状も届いていた。私より遥かに若い人ではあるが、老いは、さまざまな可能性を少しずつ奪ってゆく。
 お米の実る初秋のころ、一年に一度は会えたのに、それができなくなるのも、寂しいことである。

 知己の里、お米の里は、半世紀以上昔、3年間を過ごした山里である。

 山裾を水量豊かな河が流れ、この季節は、河鹿が鳴いているはずである。


    


 ポトスとオリヅルラン。
 少し大きくなったかな? と眺めつつ、帰宅時には、水やりをする。



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雨上がり

2023-07-01 | 身辺雑記
 夕方になって、雨が完全に上がった。
 久々に、青い空や夕焼け雲を眺める。

    



    



    



    



    



 写真を撮ろうと窓を開けると、たちまち老鶯の声が届いた。囀りに微塵の衰えもなく、澄みきった声であった。
 鶯も、雨上がりを楽しんでいるらしい。

    
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『医者が教える 非まじめ老後のすすめ』

2023-07-01 | 身辺雑記
 著者の大塚宣夫先生は、1942年生まれの医師。


   

  (施設の移動図書で借りた本)


 題名にもある通り、老いて、何もがんぼることはない、<やりたいことをやりたい形でやっていれば、そのうち終わりがきます。>との生き方論。
 そのとおりであろう。


 今日から7月。

 2023年の半分を生きたな、と思う。が、あと半年後も生きているかどうかは分からない。明日のことさえ、わからない。とりあえず今日を生きている。

 歳をとったら「まじめをやめたほうがいい」と、この本にはある。
 それでも、何かに取り組むときは、非まじめでは面白くない。他人から見れば、何をそんなにがんばるの!? と思われるかもしれないけれど、真剣勝負で取り組んでいる時間もある。

 先日、Amazon へ注文して、ストップウォッチを求めた。数独を何分何秒で解けるか? 天声人語を何分で書けるか? を計るために。
 こんなふうに、<非まじめ>の反対である<まじめ>を、楽しんで生きている時間もある。
 老いの形も、さまざまあっていいのだろう。

 「風呂に入らないで死ぬ人はない。3日に一度で十分。」とも書いてあった。しかし、湯船に浸かっているのは、寝ることの次に好きな私は、人の手を煩わさずに済む間は、毎日、お風呂に入りたい。著者も、毎日の入浴をいけない、とおっしゃっているわけではない。

 最も賛同したのは、「起きたいときに起き、寝たいときに寝て何が悪い。」との考え方。
 しかし、施設での生活では、そういうわがままはできない。朝食の、部屋に運ばれる時間が、7時半と決まっているから。
 だから、私は折々家に帰りたくなる。そして、24時間を、自分のしたいようにして過ごしたくなる。

 老後の生き方も、人それぞれでいいのだろう、と思う。人に大迷惑をかけることにならなければ、自己流を貫けばいい、と考えている。


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