(施設の移動図書で借りた本)
題名にもある通り、老いて、何もがんぼることはない、<やりたいことをやりたい形でやっていれば、そのうち終わりがきます。>との生き方論。
そのとおりであろう。
今日から7月。
2023年の半分を生きたな、と思う。が、あと半年後も生きているかどうかは分からない。明日のことさえ、わからない。とりあえず今日を生きている。
歳をとったら「まじめをやめたほうがいい」と、この本にはある。
それでも、何かに取り組むときは、非まじめでは面白くない。他人から見れば、何をそんなにがんばるの!? と思われるかもしれないけれど、真剣勝負で取り組んでいる時間もある。
先日、Amazon へ注文して、ストップウォッチを求めた。数独を何分何秒で解けるか? 天声人語を何分で書けるか? を計るために。
こんなふうに、<非まじめ>の反対である<まじめ>を、楽しんで生きている時間もある。
老いの形も、さまざまあっていいのだろう。
「風呂に入らないで死ぬ人はない。3日に一度で十分。」とも書いてあった。しかし、湯船に浸かっているのは、寝ることの次に好きな私は、人の手を煩わさずに済む間は、毎日、お風呂に入りたい。著者も、毎日の入浴をいけない、とおっしゃっているわけではない。
最も賛同したのは、「起きたいときに起き、寝たいときに寝て何が悪い。」との考え方。
しかし、施設での生活では、そういうわがままはできない。朝食の、部屋に運ばれる時間が、7時半と決まっているから。
だから、私は折々家に帰りたくなる。そして、24時間を、自分のしたいようにして過ごしたくなる。
老後の生き方も、人それぞれでいいのだろう、と思う。人に大迷惑をかけることにならなければ、自己流を貫けばいい、と考えている。