ぶらぶら人生

心の呟き

中野孝次の2冊の本

2023-07-24 | 身辺雑記
 家から持参していた、中野孝次の本を2冊(『生きたしるし』と『今を深く生きるために』)を読了。

 歳のせいであろうか、是が非でも感想を書きたいという気持ちが高まらない。


    




    
    
    
 
 瑣末なことだが、『生きたしるし』には、当市の話が出ていることなど、すっかり忘れていた。
 <過疎地>の始まりは、町村合併により益田市の一部である匹見の奥地・広見であるとの記事が載っている。

 社会人となったばかりの折、友人の就職先が、その秘境の地・広見だった。稀な田舎だから来てみてと誘われ、私は、一度訪れたことがある。
 匹見まではバスで行き、その先、広見まではトラックに乗せてもらった。田舎のなかの田舎といった集落に、友達は部屋を借りていた。
 昭和38年の豪雪当時、私は津和野にいて、2階の部屋から、日ごと眺めていた青野山が、窓を塞ぐほど屋根に降り積もった雪で、全く見えなくなるほど、大雪を遭遇した。
 その年、広見の豪雪は、そこに住むことを住人に諦めさせるほどのものであったようだ。一気に多くの人が、その地を去り、一気に過疎地となったことも聞き知っている。しかし、過疎地の第一号であるとは、知らなかった。

 中野孝次は好きな作家のひとりである。
 最初に読んだのは、小説『麦熟るる日に』であった。その後、エッセイ集をかなり読んできた。
 今回、そのうちの2冊を施設に持参して再読した。
 1925年生まれの作者は、昭和を丸ごと生き、2004(平成16)年に逝去された。

 今回、特に気づいたことは、文体の特徴であった。
 漢語が多用されている。そのため、文章が重厚になり、一方で、軽やかさや親しみやすさに欠けることにもなっている。
 中野孝次の主張そのものが、硬質である。その点からも、漢語の多用が、決して不自然ではない。
 が、少々重苦しい感はある。
 これこそが、中野孝次の文体であると認めつつも…。
コメント
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