駒田信二(1914〜1994)著
昔、求めた文庫本は、文字が小さすぎたり、紙面が黄ばんでいたりして、手に取ってみても、読む気になれないものが結構ある。
『私の小説教室』
下掲の本は、昭和60(1985)年 集英社刊の文庫本。
昔、求めた文庫本は、文字が小さすぎたり、紙面が黄ばんでいたりして、手に取ってみても、読む気になれないものが結構ある。
が、この本は、その弊害がなく、先日、帰宅した際に、施設へ持参した本である。
(幾箇所かに、ラインが入っているので、今回は再読ということになる。)
駒田信二が、小説家、評論家、中国文学者であること、昔の旧制高校時代には、松江で、かなりの期間、教師を勤めておられたこと、後年には、朝日カルチャーセンター小説教室において、文章作法を指導しておられたことなど、活躍のあらましは知っている。
が、それよりも、私が強く記憶しているのは、昔、文芸雑誌<文学界>の誌上で、同人雑誌評を書いておられたことである。
70歳になるまで、私自身、地方の文芸雑誌の一員として、小説まがいの文章やエッセイを書いていた。
そこで、<文学界>を、かなり長期にわたって購読し、掲載された小説を読むと同時に、巻末の「文芸雑誌評」に、関心をもっていた。
時折、私の作品も取り上げてもらった。特選は得られなかったが、ベスト5に選ばれたことはあった。
その作品は、朝日新聞の小さなコラム欄でも、時を同じくして取り上げられた。
ペンネームで作品を発表していたので、親しい友達にも、職場の人にも、私の作品だと気づく人はなかった。
ただ父だけが、朝日新聞の記事を読んで、私の作品かと尋ねた。
親の不思議な勘に、私の方が驚いた。当時は、下宿生活をしていたので、私の日常を知るはずもない父が、どうして分かったのだろう? と、内心で思ったものである。
大昔、同人雑誌評を書いておられた駒田信二に、私の作品も読んでもらったという経緯があり、その名前は、しっかりと記憶している。
『私の小説教室』には、駒田信二自身の「作品」の一部が、引用の形で載っていた。生まれが大正時代の初めごろの方であるし、その小説の文体は、少々古風だなと思った。
今日は、私の方が評者の立場に立って、作品の一部を読ませてもらったことになる。
しかし、今日読んだ『私の小説教室』そのものは、決して古風な書き方ではないし、内容も充実している。
特に、第二章の「私の文章心得十章」には、具体的に、悪しき例文も載せてあって、文章力を高めたいと思う人には、大いに参考になる。
文章を多く書いても、自分の悪い癖や明らかな欠点などは、意外に自分では気づきにくいものである。
再読しつつ、私自身、改めて反省することもあった。
考えさせられたり、学んだり、楽しんだりしながら読了。