ぶらぶら人生

心の呟き

これは面白い! (三木俊治氏の作品)

2008-08-24 | 草花舎の四季

 黒い大きな額縁(実際の額縁は、写真よりずっと大きい。作品部分との比率が全くでたらめ。これまた写真の撮りりそこない、と言えそうだ)の中に、独特な赤色を背景にして、銀色の踊り子(?)が刻まれている。(写真)
 製作のプロセスについて、三木先生の説明を受け、理屈としては一応納得したのだが、実に細やかな表現が、どうして可能になるのか、具体的にはやはり分らない。

 分らなくて、かまわないのだろう。
 ただ、作品が面白い。
 顔が、大きなおっぱいの上に、逆さまにくっついている。常識ではあり得ない姿。
 大仰な手足の躍動。大胆で繊細。
 一心不乱に踊る姿が、とらえられている。
 踊りの真髄を、遺憾なくとらえた作品とでも言えばいいのだろうか。
 無垢なる美しさ!

 原始の踊りは、まさに、かくのごとくであっただろうか?!

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三木俊治先生、来画廊 (先生と客)

2008-08-24 | 草花舎の四季
 昨日、草花舎で、三木先生にお会いした。
 8月8日以来、お目にかかるのは二度目である。
 庭めぐりをした後、先生とお話した。

 展示会開始日の8日に、初めて三木作品に触れ、その後も草花舎に出かけた時には、そのたびに作品の鑑賞を楽しみながらも、長い間、ブログを書く元気がなかった。
 日を経て、21日に、やっと先生の彫刻展の記事をブログに書いた。それを、Y さんがプリントし、今日来廊の先生に、渡されたのだった。
 先生の意図からすれば、的外れなことを書いたかもしれない……、そんな思いでいたので、恥ずかしい限りだ。
 それに、このところ、頭が混濁しがちで、自分の書いているものが、どれだけ客観性を持っているのか、判断しかねている。人に読まれるに値するものかどうか?

 三木先生は穏やかな芸術家なので、あらわに不満は言われなかった。
 ただ、私の添付した写真は、どの角度から撮ったものか、不審がられた。
 その写真は、8日に撮ったものだった。
 その夜、その作品の前には幾人かの人が集い、先生の話を聞いていた。
 私は自分のいた位置から、深く考えもせず、シャッターを切ったのだった。
 だが、それは全く不自然なものであるばかりでなく、作品の意図を無視した撮影の仕方だった。例えば、壁に、絵画を逆さまにして掲げたようなもの……。

 最近の攻撃的な私なら、文句を言わずにはいなかっただろう。
 先生は、ただ向きの不可思議を指摘されただけだった。
 昨日も、デジカメを持っていたにも拘らず、その場で、作品を撮りなおすところまで気がまわらなかった。
 このところ、私の精神は鈍麻している。
 過敏すぎたり、鈍感過ぎたり、一貫性を欠いている。

 先生との対話を楽しんで帰宅した後、それも夜更けてから、あの作品は撮りなおし、ブログに真っ当な写真を添付しなければ、と初めて思ったのだった。

 (今朝、それを実行した。21日のブログに添付してある写真は、今朝、草花舎に出向いて撮りなおしたもので、五輪の位置が自然な向きになっている。)
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8月の庭 (ランタナ)

2008-08-24 | 草花舎の四季

 昨日は、暦の上の<処暑>。
 そろそろ暑さが止み、新涼の間近いことを意味するようだ。

 きのうの午後、買い物がてら散歩に出かけた。
 こころなしか、風がさわやかである。
 過ぎようとする夏を振り返ってみると、今年は7月が暑すぎた。おまけに身辺の雑事や心配事も多く、心身ともにまいってしまった。
 不調の要因の一つは、年齢のせいもあるだろう。

 何とかしなくてはと、先日来、体調恢復のために、漢方薬を飲み始めたが、即効を期待するのは無理で、昨日も相変わらず、午前中は、ベッドに横たわり本を読んで過ごした。
 そんなだらしなさを、自分でもてあまし気味である。
 散歩は気分転換になるだろうと、買い物に事寄せ、元気を出して出かけたのだった。家にいる限り、友人や妹からの電話があれば言葉を交わすだけで、どうかすると人間社会から完全に遮断されている感じを覚える。

 散歩の途中で気分が変わり、買い物の前に、まずは草花舎に寄り、コーヒーを飲んでこようと思い立った。
 先日20日、明日は病院に行ってくると言いつつ不調を訴えた私に、漢方薬がいいのではと、勧めてくださったY さんに、その後の報告もしておこうと……。
 近所で気兼ねなく人に接し、しかも、快い空間は、草花舎である。
 三木俊治氏の彫刻展もあと二日になり、展示終了前に、もう一度作品に接するのもいい、そんな気持ちも心をよぎって……。

 その朝、東京から来られた三木先生は、お客の一組と話しておられた。
 私の定席に荷物を置くと、私は庭に出た。
 庭の木々や草の地面を初秋の風がよぎる。
 片隅に、お祭飾りのような花が咲いていた。
 <?>と、思いながら足を止める。
 昨年も咲いていたはずだし、同種の黄色一色の花が、家の花壇にもある。
 「この花、なんて言いました?」
 画像をY さんに見せて尋ねる。
 「?…………?………………ランタナ!」(写真)
 Y さんの右脳に記憶されていた名前も、口の端に上るまでには、少々時間がかかった。それでも思い出せるから立派だ。
 (ランタナ、ランタナ………)
 と、幾度も口ずさむ。
 果たして、来年、この花に巡り合うとき、記憶の引き出しから、ランタナの名前を取り出せるだろうか? おぼつかない。

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