今日、草花舎のT ちゃんから、葉書が届いた。
旅先のイタリアから。
T ちゃんは、サルデーニャ(英語名はサルディニア)のカリアリ(カリャリ)で、彫金の勉強中であった。
<それも無事終わり、これからまた旅に出ます。>とある。
私は、地図帳を開いて、その島の場所を調べ、州都カリアリの位置を確かめた。
コルシカ島は知っていたが、サルデーニャは名前も知らなかった。コルシカの南にあって、こちらが大きな島だ。カリアリは、島の南端部にある。
<この街は、リスボンに似ていると誰かに聞きましたが、坂の多い、表情豊かな、アフリカのにおいも少しする独特な街です。>(写真・絵葉書)
と、記されていた。
異国で出会った、沢山の人から親切を受け、毎日がとても充実した幸せな日々であったとも、記されている。
生き生きと旅を楽しんでおられるT ちゃんの様子が想像された。
先日、Y さんが、
「あの子は、どうも外国の生活が好きだし、似合いそう」
と、言っておられた。
確かに、そうかもしれない。
葉書の文面からも、そんな雰囲気が感じられる。
T ちゃんにとっては、外国が家の庭みたいなものなのだろう。
しかし、お盆過ぎには帰国のはず。
また、草花舎で、旅の話を聞くことになるだろう。
そして、スーザンさんを囲んで、日本語会話の勉強をしながら、日本文化、異文化について、語り合う日常が、とりあえず戻ってくるに違いない。
一昨日は、かかり付けのT 医院で、定期の診察を受けた。
ここ一二年、足の血流が悪くなっているのではと、多少気になっている。
先日、草花舎で、Y さんと健康のことを話題にしていたとき、T 医院で、動脈硬化の簡単な検査はしてもらえると聞いた。
そこで、その日、先生に相談した。検査してみましょう、ということになった。
初めて受ける検査だった。心電図検査に似て、実に簡単なものだった。
<血圧脈波検査>というらしい。検査後、「解析結果」表に基づいて、先生の説明を受けた。多少数値は高いけれど、早々に精密検査の必要はないと思う、とのことだった。
が、帰宅後、私の目で、「解析結果」をみると、[右足][左足]とも、同年齢健常者の平均レベルをかなり超えており、太字で<動脈硬化が疑われます>と記してあるのだ。
それでも、大丈夫なのだろうか。
先生は、足の不具合は、脊椎からくる神経性の場合もあるので、もう少し様子をみましょう、とおっしゃったのだが……。
診察を受けた後、街に出た。
昼食をとり、スーパーで買い物の後、帰途につこうと出口に向かっていると、私を呼び止める声があった。ふり向くと、版画家のS さんだった。
<石正美術館へ行くので、家まで送りましょう>と。
S さんは、私の、持ち重りのする買い物袋に手を伸ばし、
「クーラーの効かない、地球に優しい車ですけれど」
と、言った。
Sさんの車には、これまでにも数度乗せてもらっている。確かに、かなりくたびれた車である。
窓を開けて走る。
思いっきり夏の風と蝉時雨が入ってくる。
「美術館にはどんな用?」
「池田一憲を見に」
私は、画家の名を繰り返し、
「どんな画家なの?」
と、尋ねた。
「梅原猛に認められた人のようです」
寡黙なS さんとの会話は、いつものことだが、会話が短く途切れがちである。
「それなら、私も連れていってもらおうかしら」
と言い、久しぶりに<石正美術館>を訪れることになった。(写真)
S さんは、津和野にアトリエを構え、東京の住まいと津和野とを行き来している版画家である。もう40年余りのお付き合いになる。
道中の会話で、美術館からの帰り、私の家に寄ってもらうことにしていたのだが、結局、池田一憲の絵を私も見、一緒に帰ることにしたのだった。
この美術館には、日本画家、石本正の絵画が、いつも展示されている。何度か訪れてはいる。が、いつも人の車のお世話になっている。車を持たない者には、ちょっと不便な位置にあって、近い割には訪れる機会が少ない。
この日は、池田一憲展だけを見ることにした。
入り口を入ると、独特な雰囲気を漂わせた絵が並んでいる。
なるほど、<この男、途方もない。>ということか。
< >の言葉は、梅原猛の言葉で、池田一憲の絵に接したときの発語らしい。
入り口に置かれたパンフレットの表にも、大きく記されていた。
26点の作品には、この画家の強烈な心象が描かれている。具象でありながら見たままを描いたものではない。地霊の宿っていそうな、不思議な世界である。
隣市、浜田の田舎に住み、農業の傍ら、仏教の勉強もしながら、絵を描いている人らしい。
好き嫌いは別にして、一度見たら、忘れがたい作品であった。
特に、一枚の絵の中で、今は亡き大佛文乃さんに再会したのは、驚きであった。大佛さんは詩人であり、かつて同じ同人誌の仲間だった人である。
『おせん淵』は、彼女の代表的な詩集であり、その中の一篇の詩題でもある。
その詩が、絵画化された作品であった。
もう一つ、樹齢600年の「城山桜」を描いた、赤を基調にした作品にも心を惹かれた。
昨年の春、知人の案内で、初めて見た桜であった。
画家は、その絵に、<桜花の見事さばかりではなく、倒れかかった巨枝の、恐竜の首のような生々しさにひかれた。>と書き添えていたが、その言葉通りの老樹であった。<「……さくらの花は散ってはなやぐ」 この岡部伊都子先生の言葉を具現させるために苦心した。>とも、書いてあった。
梅原猛、岡部伊都子の両氏とは、面識のある画家のようだ。
池田一憲の作品を見ながら、梅原猛の『湖の伝説』で知った、早世の画家・三橋節子の絵をふと思い出した。
絵画の姿勢のどこかに、相通じ合うものがあるような気がして……。
S さんの車で、家に引き返し、コーヒーを飲みながら、夕方まで話した。
彼の、つぶやくような語りに肯きながら。