ぶらぶら人生

心の呟き

メイ・サートン著 『82歳の日記』

2008-08-03 | 身辺雑記
 『82歳の記録』を読み上げたのは、一週間前だった。
 メイ・サートンの著作の中で、手にした最初の本である。
 その後に、アマゾンに注文した本が届き、詩集『一日一日が旅だから』を読み、次いで『猫の紳士の物語』を読んだ。(いずれも、すでにブログに紹介。)

 私の嗜好のせいによるのだと思うが、詩よりも物語よりも、作者の心がそのまま顔を出す、『82歳の記録』のような、エッセイ風日記を一番面白いと思う。人に読まれることの、あらかじめ約束された日記だが、そこには、作者の素顔がのぞいている。
 日本に紹介された本のうち、最も読まれているらし(?)『独り居の日記』(私の購入した本は、第14刷目の一冊)は、『82歳の日記』に先立つ日記だが、未読の書で、今からの楽しみである。(もう一冊未読のまま手元にあるのは、『今かくあれど』。こちらは小説。)

 私は読書を通して、死期の近づきつつある、最晩年のメイ・サートンにまず出会ったことになる。
 この書の核となるのは、人間の老いの日々の大変さである。サートンはそれをオブラートにくるまず正直に書いている。
 人によっては、大病などの経験もなく、恵まれた条件のなかで老いを迎える人もあるだろう。そうした人にとっても、老いの日々は、若き日に比べれば、決して心楽しいものではあるまい。それなのに、サートンの場合は、ガンを患ったり、心臓病を繰り返したりしている。欝との闘いの日々でもあったらしい。得体の知れない病気に苦しんでもいる……。
 日記に出てくるのは、決して順風な日々ではない。
 それだけに、読みがいがある!
 順風満帆の人生を読まされても、おめでた過ぎて、感動もなく面白くもない。
 ここに書かれた、不安の中で生きる老いの日々の記録は、長生きすれば、いずれ私だけでなく、大方の人が辿る道でもあるだろう。
 老いを疑似体験できる一面がある。
 だが、この日記は、単に病苦や老いの寂しさを綴っただけのものではない。
 知的であり、人間的であり、味がある。

 最晩年を過ごした、アメリカ東海岸のヨークの家での暮らしが書かれている。地図でその位置を確かめてみて、想像を超える冬の厳しさも、想像できた。
 サートンは、ヨークの、生活周辺の自然を描く。海を描き、草花を描く。
 彼女の家を訪れる人々、友人や手伝い人、医者や土地の人々など、様々な人が、多数登場する。そうした交友の様子なども、日記に細やかに描かれている。
 読んでいるうちに、メイ・サートンのワールドに、私自身も仲間のひとりとして存在しているかのような錯覚さえ覚えた。
 ピエロという猫も、サートン家の大事な同居人である。ピエロは、必ずしも、サートンの意のままにはなってくれない、気ままな猫である。
 
 この日記を読む楽しさは、サートンの視野の広さに接する喜びにもある。
 老いてなお、サートンの政治への関心や批判力は衰えていない。
 一面、サートンは、自らの文学者としての自負ほどには、斯界が理解してくれないことを嘆く場面もあり、人間臭さも隠さずに書いている。
 自分の詩や小説、エッセイなどの仕事に対し、揺るがぬ自信があったのであろう。

 が、やはり、老いに伴う不安、それはこの日記の重要な部分である。
 老いの不安に苛まれるとき、これを読む読者は、巧まざる日記に接して、救いを得ることになるかもしれない。
 ただ、老いの不安や苦痛は、非常に個別なものである。
 結局は、自らが克服してゆくより仕方のないことなのだろうけれど。

 老病といえば、私の兄は、心臓の二度目の手術で入院中である。手術は成功したけれど、目の見えにくさがあり、その原因が軽い脳梗塞によるものかもしれないらしい。メイ・サートンよりはまだ若い兄なのだが……。
 明日、MRIの検査が行われるという。姪たちも遠路帰省していると、兄嫁から昼前、メールが届いた。
 兄からのメールには、不安も記しつつ、耐えるしかないとも、書き添えてあった。
 死に至る道は、人によって少しずつ異なるにしても、苦しみは避けて通れそうにない。老いの坂を上りつつある私も、最近は、心身に不安を覚えることが多い。
 ただ、今日は、昨日と比較にならないほど、風景が明るく見えている。遠景も近景も。まるで別の眼で見ているかのようだ。
 昨日、眼鏡屋の女性店員が言ったとおり、心身の疲れが、目には大きな影響を及ぼすのかもしれない。日ごとに波があるらしい。
 兄の眼も、繰り返された手術からくる、一時的な心身の疲れや衰えが原因ならいいのだが……。 
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メイ・サートン著 『猫の紳士の物語』

2008-08-03 | 身辺雑記

 『猫の紳士の物語』の原題は、『THE FUR PERSON』である。
 『82歳の日記』を読んでいるとき、しばしば『毛皮の人』という作品名が出てきた。
 今回、原題を見るまでは、『猫の紳士の物語』=『毛皮の人』とは知らず、別の作品だと勝手に思い込んでいた。

 メイ・サートンは、無類の猫好きのようだ。
 いつもサートンの傍には猫がおり、生活の中で欠かせない存在だったようだ。
 『猫の紳士の物語』中の猫も、メイ・サートンと同居した猫がモデルらしい。
 一匹の猫が、飼い主のない街猫(いわゆる野良猫)であった時代と、ハウスキーパーを求め、猫の条件にあった庭のある、部屋数のある家を見つけ、そこを終の棲み家として生きてゆくプロセスが、専ら猫側から見た心理、心情として書いてある。

 「ぶっきら声」と「やさし声」の女性二人が生活する家に、住み込むことを認められてからは、トム・ジョーンズ(ヘンリー・フィールディングのトム・ジョーンズから)と、名づけられる。
 この本の中には、「猫の紳士の十戒」というのが出てくる。
 猫の心情は、かく在らん、と思われる心情を箇条的に作者がまとめたものだろう。猫の動作を見ていれば、さもありなん、と思えることばかり。さすがに猫を愛する人の眼がとらえた、猫にとっての掟、戒めである。
 猫の折々の心情は、しばしば詩の形式で語られている。詩人でもあるサートンが選んだ、いかにも詩人らしい表現の方法であろう。
 なお、表紙絵や挿絵は、訳者武田尚子の友人で、アメリカの画家、ベンジャミン・レヴィの作品だという。初めて知った画家である。猫がユーモラスに描かれている。

 面白い読み物として、読了した。
 が、猫を主人公とした小説といえば、すぐ夏目漱石の『吾輩は猫である』を思い出し、その面白さを比べるともなく比べているのであった。
 人間の言動を冷静に観察し、人間の内面に潜在する醜さなどを、猫の眼を通して、鋭く書き込んだ漱石の風刺的な小説と比べれば、少々物足りなかった。
 しかし、作者の描こうとする世界も姿勢も、始めから異なっているのだから、そもそも比較するのが間違っているのかもしれない。

 読書というのは面白い。サートンの猫から漱石の猫へ、さらには漱石の他の文学へと波紋のように関心が移り、『夢十夜』を読んでみたり、この作品にならって、夢の形を借りれば、短編小説のいくつかを書くことができるかもしれないと夢想したり……。


 猫好きと猫嫌いは、歴然たる境界線を持つようだ。
 私は、母の死までは、猫嫌いであった。ものを狙う目つきも、身体のぐにゃぐにゃした柔らかさも、身勝手さも、好きになれなかった。犬も嫌いだったから、動物は概して、人間に危害を及ぼしかねない怖いものとして、危険視していたのかもしれない。

 猫を見直したのは、母の葬儀の日、傷ついて現れた子猫との縁による。
 妹が、<可哀相に!>とミルクや餌を与え、<あんた、お母ちゃんの生まれ変わり?>などと、哀れんだので、居心地よさを覚えた子猫は、そのまま居ついてしまったのだった。
 葬儀後、妹は帰阪し、私が子猫の世話をせざるを得なくなった。
 以来、5キロの大猫になるまで、私の傍にいた。しかし、その歳月は、わずか1年7か月に過ぎなかったのだが……。
 その頃、自学自習していた中国語のテキストに、<チャン マオール>(食いしん坊の猫)というのが登場していた。その名をもらって、<チャン>と名づけ、同居人にしてやったのである。チャンも、大変な食いしん坊であった。
 生後間もないときに傷を負い、それがトラウマとなったのか、他の猫に追われては側溝に逃げ隠れるなど、実に臆病な猫だったが、行儀のいい、大人しい猫だった。爪で引っかいて障子や畳を傷つけることはなかったし、荒々しいことは嫌いな性質のようだった。
 私には従順極まりなく、外出先から帰ってくると、どこからともなく現れ、必ず道案内をしてくれた。「こちらでしょ」と、私をふり向きながら玄関に向かって一歩先を歩み、先導するのだった。
 客があれば、玄関先について出て、私の横にきちんと端座し、客の話を聞き入っていた。
 私が机の前に坐れば、必ず膝の上に乗った。5キロは重すぎる体重のため、足の痺れを我慢しなければならなかった。

 チャンは、薄命な猫であった。
 3月初旬の寒い夜、寝室の衾の取っ手を見上げ、その眼を私に向けては、開けてくれと鳴いた。寒いからダメ、と言っても聞き入れてくれなかった。哀願するように鳴き続けるので仕方なく、書斎の窓を少し開け、ここを開けておくから早く帰っておいでよ、と言って外に出した。
 が、その夜、チャンは出て行ったまま、帰ってこなかった。
 翌朝、近くの山で、多数の烏が騒いだ。チャンは力尽きて横たわり、烏の餌食となったのではあるまいか?
 その後、幾日も家の周囲を探し回ったが、その姿を見ることはなかった。
 当時、猫があまり好きではない、93歳の父が健在だったので、私は折に、父よりチャンが長生きする可能性は強く、私が自由の身になったとき、チャンに縛られる日が来るのではないかと、内心で思うことがあった。
 チャンはまさか、私の心配を察したわけではあるまいけれど、突如姿を消したのである。

 ちゃんとご縁があって以来、猫は愛すべき動物に思えるようになったのだ。
 私は他家の猫にも、野良猫にも、出会えば声をかけるようになった。なれなれしく近づいてくれる猫は少なく、大抵は警戒心をあらわにして、逃げ隠れたり、無視したりして、親近感を示してはくれない。そこが、いかにも猫らしくていい。

 今はまだ、猫を友にして、蟄居しようとは思わない。
 足の自由がきく限りは、自由に外出したいし、旅にも出たい。
 当分、飼い猫と同居することはあるまい。

 (余談の方が長くなってしまった。)

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