ぶらぶら人生

心の呟き

空にも秋 (8月26日の朝の空)

2008-08-27 | 身辺雑記

 このところ、朝夕は空気がひんやりし、日中でも随分さわやかになった。
 猛暑をもたらした太陽も、<処暑>の辺りから、大人しくなった。

 昨朝、空にも秋が来たなと、上空の雲を眺めた。もくもくとした雲の峰は消えて、鰯雲が一面に広がっていた。(写真)


 今日は、青空のない一日。雨がよく降った。
 今、心落ち着かぬまま、黄昏の空を眺めている。
 兄が、頭の手術を受ける日である。
 以前のメールでは、9時から手術が始まり、うまくゆけば、午前中に意識が戻るはず、とあった。
 今朝、8時半過ぎに届いた兄からメールには、急患のため、手術の予定時間が昼頃に延びた旨、記してあった。

 手術は成功したのか、術後の経過はどうなのか、まだ何も分らない。
 本人からの連絡は不可能なはず。兄嫁からの知らせを待ちながら、心が落ち着かない。
 メイ・サートンの『今かくあれど』の感想を記すつもりで、パソコンに向かったのだが、時刻の進むにつれ不安が募り、それは、またの日に延ばすことにした。

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今年の蝉 (蝉の亡骸)

2008-08-27 | 身辺雑記
 今年は溢れるように鳴く蝉の声を聞かない。
 蝉の姿を目にすることも少ない。

 一度だけ、草花舎の入り口を出たところで、庇を掠める蝉を見た。
 「アッ、蝉!」
 と、思わず声を発した。
 そばに佇んでいた人が、Y さんだったか、T ちゃんだったか、スーザンさんだったか、それは定かに思い出せない。あるいは、A さんだったか? 複数の人がいたようにも思う……。
 とにかく、それが今年見た初めての蝉であった。ジィーと鳴いて、空に消えた。

 昨日の朝、朝顔の鉢に水をやろうと外に出たとき、犬走りに、横たわる蝉の亡骸を見つけた。腹を上にした、静謐な死の形であった。まだ蟻が群がることもなく、きれいな姿をしていた。
 私はそっと手にとり、門柱の上にのせて、その短い生の終焉を弔い、土に返してやった。鳴き方の一番騒々しい油蝉であろうか。(写真)

 私はふと、山口の師の家に過ごした幾年かの日々を思い出した。
 夏の季節になると、庭土に1センチほどの穴があちこちに見うけられた。
 蝉の幼虫が這い出した穴であった。
 さらに、脱け殻が透明な姿で、家の壁や庭の木々に残っているのも、よく見かけたものであった。
 脱皮するプロセスを佇んで眺めたことも、幾度かあった。

 私は、その飴色をした蛻の殻を、一つの造形美であるかのごとく、結構楽しんで眺めていた。
 夏のとある日、<ここにも、あそこにも>と面白がって、師に指し示したことがあった。そのときの師の反応を今も忘れない。「うん」と答えたあと、あえて見ようとはされなかった。そればかりか、その表情には、<見たくないよ>と、書かれているように思ったのだ。
 私は再び、蝉の抜け殻のことを話題にしなかったし、むしろ見つけたときには、師の目に止まらないように処理をしておいた。

 90歳に近い師の目には、不吉なものに映ったのだろうか?
 その理由を知るよしもなく、師との永訣の日は来てしまった。
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