草花舎で開催中の<三木俊治展>は、24日で終了した。
(会期は、北京五輪と全く同時期であった。)
展示品が片づけられる前に、ぜひブログに使用した三木俊治作品の写真を撮り直しておきたかった。
そこで、24日、朝のうちに…と思い立ち、カメラと携帯だけ持って、草花舎に向かった。途中、出かける時間が早すぎたことに気づいた。携帯で時刻を確かめると、まだ10時半であった。開店は11時ごろのはず。
一瞬、引き返そうかと考えたが、開店前であっても、写真だけ撮らせてもらうことにしようと、そのまま草花舎に出向いた。
お店には、まだ灯りがついていなかった。
が、ドアは開いていたので、お願いして写真を撮らせてもらった。
用が済んだら、すぐ帰宅の予定だった。戸締りもせず、ツッカケで出かけていた。
が、コーヒーを飲んでお帰りなさいと言われるままに、朝一番のコーヒーをご馳走になってしまった。お財布も持っていなかったので、サービスに甘んじて……。
コーヒーの器は、見慣れないカップであった。
さりげない紋様の入れ方を面白いと思った。(写真)
誰の作品かを尋ねた。
<ハーヴィ・ヤング>作とのこと。
Y さんが、陶歴を書いたプリントをくださった。それによると、
1945年、シカゴ生まれの陶芸家。
1984年、日本に移住し、益子大沢に築窯。
という、経歴の特異な作家のものであった。
控えめな個性を感じる器が、その日の私の気分にマッチしていた。
朝のコーヒーは格別美味しく、特に午前中は、模糊と霞みがちな頭も、すっきりと冴えた。
帰宅するとすぐ、三木俊治展の紹介に使った写真を取り替えておいた。
ブログを怠っているうちに、日々は駆け足で過ぎ去ってゆく。
余生が、日増しに薄くなっていく感じを否めない。
題名だけを記し、草稿のまま留めていたこのブログを開いたあと、目の前に掲げた8月のカレンダーを見上げた。
これは、いつのことだったのだろう? と。
その日は、昼間、草花舎にい行ったことを思いつくと、一連の出来事が思い出されてきた。
食事をしていたとき、グラントワ勤務のA さんが、やはり食事に来られ、
「さっきスーザンさんに会いましたよ」
と、言われた。
実に不思議なご縁だが、スーザンさん、A さん、そして私は、同町内の同じ班に住んでいる。今年の4月以降の、まだ新しいご縁である。
特に、A さんは、草花舎の客としては知り合っていたが、近所に引っ越されたのは、つい最近のことである。
三人とも、草花舎のお客であるというご縁もある。
その日、スーザンさんが、草花舎に姿を現されることはなかった。
<バスで、街に出かけられたのかもしれない>と、話し合った。
その日の帰り、私はA さんに、草花舎に預けたままの、韓国のアーティスト、ペ・ミエさんの小品「日没」を、家まで運んでもらったことも思い出した。
前回の展示会の際、私は、その作品を気に入って、求めていたのだった。
「日没」という作品からは、日本海に沈む落日と海辺の黄昏がイメージされ、私の人生に符合するものも感じられたのだった。
だから、あれは12日(火)のことだった、と今カレンダーで確認した。
スーザンさんが、蓮の花を届けてくださったのは。
その日も、体調が優れず、5時前には入浴を済ませ、早々と夜着に着替えていた。
来客を知らせるベルが鳴ったとき、まずいなと思ったが、仕方なくそのまま玄関に向かった。
スーザンさんであった。
「I go to Hmada.」
ああ、外出先は浜田だったのかと納得した。
浜田で買い求められた花のプレゼントなのであった。(写真)
1本の蓮と、花束によく使われる花(名前が分からない)が、フランス語の文章と花の写真の載った包装紙にくるまれていた。
思いがけぬプレゼントを喜んだが、相変わらず、会話は成り立たず、喜びを表情と態度で伝えるだけだった。
蓮の開花は、池の中でのようには、うまくいかなかった。
一片二片と花弁は開いていったが、そのうち茎の中央部分が黒ずみ始め、満開を待たずにうなだれてしまった。
随分慣れ親しんできた山口の<ちまきや>が、近く閉店する。
今月は9日に山口に行き、<ちまきや>での最後の買い物を済ませたのだったが、近日中に、Y 薬局に行かねばならない用事ができ、急遽22日に再び出かけた。
ついでに、<ちまきや>にも、もう一度寄ってこよう、と考えながら……。
今月末の閉店はかなり以前に決まっており、<ちまきや>の入り口には、「あと10日」と、カウントダウンの表示がなされていた。(写真)
10月から、同じ場所に<井筒屋>が開店されることに決まっている。
しかし、<ちまきや>を名のる店に入るのは、この日がいよいよ最後と思い、喫茶店に憩うことにした。
地下の食品売り場はすでに店じまいされていて、行きつけの喫茶室には行けなかった。折々、利用していたお店だったのだが……。
そこで、3階にある、こちらもよく利用するレストラン「トリコロール」で、友人とコーヒーを飲んだ。
実は前日、明日は山口へ行って来ると電話で友人に話したところ、車に同乗させてもらうことになったのだった。まずは、この日の一番の目的である、漢方を扱うY 薬局に立ち寄ってもらった。
今、体調のコントロールに悩んでいる私は、その前々日、10年前から利用しているY 薬局に電話し、薬の処方を依頼した。
さすがに店主は聞き上手で、病む者の心に寄り添ってくださる。
私の訴えをじっくり聞いた後、漢方の考え方によると、私の体調不良(様々な身体的異常と精神の不安定状態)は、<腎や肝が枯れている>ことによるのだと説明してくださった。
まさに、心身ともに枯死寸前!
相談の結果、しばらく漢方薬にすがってみようと考えるようになり、早速、薬を送り届けてもらった。その代金の支払いと、さらに確認したいこともあって、22日に出かけたのだった。
漢方薬の薬効は、すぐには現れないだろう。だが、わずかながら、体調の恢復がはかれそうな気がしている。
ここ数日、涼しさも増してきた。
<枯れた>腎や肝も、蘇ってくれるかもしれない。
山口往復の道すがら、目にする風景にも、秋の気配が感じられた。田圃の稲が黄色く色づき、収穫のときを迎えようとしていた。
半世紀、なじんできた一つの店が消え、自然の風景も夏から秋へと移行しようとしている。考えて見ると、この世に移ろはないものは何一つない。それが当然の摂理なのであろう。
体調の異変だって、年齢相応の、ごくごく当たり前のことかもしれない。
初老の域に達しながら、老いを受け入れようという心構えが、まだ私にはない。その足掻きが、調子を狂わせる最大の原因かもしれない?
友人と話しているときなど、多分、私の中の異常は、影を潜めているに違いなく、その起伏の変化も私を悩ませるのだ……。