ぶらぶら人生

心の呟き

体の補強 (撫子)

2008-08-30 | 身辺雑記
 昨日街に出て、これは歩けなくなるのでは、という不安に駆られた。
 今までに経験したことのない、右足の痛みに、足を引きずらねばならなかったからだ。

 かかり付け医に再び相談してみる必要を感じたが(前回、一度相談はしている。その時、両足の血流を調べてくださった。その結果、動脈硬化の疑いあり、との診断はもらっているのだが、もう少し様子を見ようということになっている)、とりあえず、過日、M レストランで偶然出会い、人間の体について話を交わすことになった整体治療師に相談してみようという気になり、街から帰るとすぐ電話した。M でお会いした時、名刺をいただいていたので。
 明日の11時からなら時間が空いているとのこと、早速、予約しておいた。

 そこで、今日、<ひまわりカイロプラクティック>(整体治療室)に出向いた。
 「chiropractic」を英和辞典で調べると、「脊柱指圧療法、カイロプラクティック」と出ている。今までご縁がなかったけれど、かなり一般的な治療法なであろう。
 <ひまわりカイロ>の「chiropractor」(脊柱指圧師)は、早内良介先生。

 初めての整体治療!
 体をゆったりするようにと言われても、身体はコチコチになりがちだった。
 体の背部、手先から足先まで、専ら整体師の触手による<手当て>を受けた。(膝の部分で、一度だけたの補助器具?を使われた。)
 治療後は、全身がほぐされた感じで、生き返ったような気がした。
 自分では手の届かないところを、押さえたり引っぱったりされているうちに、体の老廃物が取り除かれてゆくかのようであった。

 治療師、早川先生のお人柄が、安堵感を与えるせいでもあろう。会話も楽しい。治療の間に交わす会話が、私の心に溜まった滓までも、浄化してくれるような気もした。私のように心身ともに弱い人間は、時にこうした<手当て>にすがるのも、無意味ではなさそうだ。整体師との相性も大事なのかもしれないけれど。

 足の不具合がよくなるかどうかは分からない。
 痛みは、多分血流の悪さと関係がありそうな気がしている。
 早川先生は、右足裏の魚の目をさして、これは痛くないかと尋ねられた。
 一番力を入れて歩く部分にできた、その厄介物は、歩行の際、絶えず気になっている。かばいながら歩くことが多い。折々自分で芯の固い部分を取り除いてみるが、一時しのぎに過ぎない。
 やはり病院で除去してもらった方がいいと、勧めてくださった。
 さらに、漢方医から<腎や肝が枯れている>と言われた話をすると、一年に一度は詳細な血液検査をすべきだとも、助言してくださった。
 コレステロール値を中心にした簡単な血液検査は、かかりつけ医の指示により、時折受けているのだが、その他は4年前に検査して以来、詳細な検査は受けていない。病気をあえて探さなくても、という気持ちが強く、検査を避けているようなところもある。が、未然に防げることには、もっと積極的であっていいのかもしれない。

 <ひまわりカイロ>から帰ったあとも、血液が、体内を快適に巡っているような感覚の中にいられるのは幸せなことだ。

 (写真 家裏の崖に咲いた撫子。秋の七草が咲き始めている。萩や葛の花も、野道に咲いているのだろうか?) 
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医療技術の進歩 (パイナップルリリー)

2008-08-30 | 身辺雑記
 兄が脳腫瘍の手術を受けたのは、27日であった。
 正午から始まった手術が終わったのは5時だったと聞いている。
 そうした手術に立ち会った経験がなく、手術のやり方も、術後がどんなふうなのかもよく分からない。
 兄嫁からのメールで、手術が無事終わり、意識が戻ったとの知らせを受けたのは、夜の8時を過ぎていた。

 ところが翌夕、兄の携帯からメールが入った。<昨日、無事手術が終わった>と。
 24時間後には、メールが打てるとは、驚きであった。
 (翌日、兄嫁のメールで分ったことだが、医師からはメールすることは禁じられていたらしい。兄が勝手に送信したのだと知った。)
 それにしても、脳の手術を受けながら、そうしたことが可能であるのが不思議だ。

 さらに驚きは続いた。
 術後の翌々日に当たる昨夕は、兄の携帯から電話がかかってきた。
 ひどく威勢のいい声であった。
 <もう二、三年は生きたいと思っていたが、それは無理かもしれない。これからは、一日一日、生きている幸せに感謝して過ごしたいと思う>
 その電話で、兄は余生の生き方まで語っていた……。

 視野狭窄などの原因となっている、神経の周囲にある腫瘍は取り除けなかったと聞いている。
 それが、これからの生活にどのように影響するのか、さらに何らかの治療が続けられるのか、予後のことはよく分らない。
 ただ、19日、病院に見舞ったときに比し、術後が悪くなったとは思えない。
 兄も、医学の進歩を口にし、術後も食欲があり、用便も自分で達しられるなど、順調な恢復ぶりを喜んでいたのだが……。

 しかし、人生は不定。
 アフガニスタンで、住民のために情熱を傾けて生きていた伊藤和也さんが、拉致の瞬間まで、自らの命の限界を感じることはなかったでだろう。
 また、思いがけぬゲリラ豪雨で、明日の自分が存在しないなど、その犠牲者は考えもしなかったに違いない。
 老少不定のはかなさ、人の運命といったものに思いを致した。兄の明日が分からないのと同じように、私の明日だって分からない。
 兄の悟り(?)の如く、病む者ばかりでなく、人間みな、確実に存在する今日の幸せをかみしめて生きるべきなのかもしれない、そう思う昨夕であった。


 (添付の写真は、過日、M レストランで見た<パイナップルリリー>。緑の花とは珍しい、と思いつつ眺めたが、一般的には白が多いのかもしれない。ピンクの花もあるようだ。)
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