ぶらぶら人生

心の呟き

梅入りの水

2008-08-02 | 身辺雑記
 私は、平気で不規則な生活をして、体調を崩してしまいがちである。
 が、身体にいいと聞くと、簡単なことなら、すぐ試みる。
 ただ、手の込んだ料理などは作る気になれないけれど。
 試みてはみても、長続きしないことも多い。例えば、高血圧のために、黒豆の煮汁を飲むといいと聞き、わざわざ時間をかけて黒豆を煮て、その汁を飲もうと努力した時期がある。(私は高血圧症という病名をもらっている。)
 しかし、この黒豆の煮汁は、決して口に美味しいものではなく、作っても冷蔵庫に入れたまま飲み忘れ、ついには捨ててしまうことが多かった。
 結局、ひと月も続かなかった。

 特に高齢者は、水分を多く取るようにと言われる。
 その必要は認めても、なかなか水は飲みにくい。
 老いた両親の生前にも、医者から水分をしっかり上げてくださいと、耳にたこができるほど言われた。しかし、父母はあまり水分をとってくれなかった。
 私も苦手である。
 ただ、私の場合、起きてすぐ、骨粗鬆症の薬を飲まねばならず、始めは渋々飲み始めた薬だが、その薬のせいで、朝、コップ一杯の水を飲む習慣だけはついた。
 また、寝る前の水分は「宝水」だと聞き、身体のためにとてもいいと聞いてから(たまたま見た、NHKの朝の番組)、毎晩、寝る前の、コップ一杯の水も、飲めるようになった。
 朝と夜については、優等生である。
 が、日中の水分摂取量は、やはり少なすぎると思っていた。
 ところが、昨日、みのもんたさんの昼の番組で、これならいくらでも飲めそうだと思う水に出会った。
 それは<梅を入れた水>。(写真)
 まだ飲み始めて二日しか経っていないので、決して威張れないのだが、見た目も涼しく美しく、しかも美味しくて、大いに気に入っている。
 梅干に、磁気化した常温の水を注いで、<ああ、美味しい!>と、飲んでいる。
 私は、この飲み方の紹介に、とても感謝している。
 水分摂取を難しいと思う人には、お勧めの飲み方だと思う。
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レストラン<森谷>で (花瓶のグラジオラスとキクイモ?)

2008-08-02 | 身辺雑記

 <そうだ、眼鏡屋へ寄ってみよう>
 喫茶店を出た後、そう思うと、N店に向かっていた。
 男性店員は、眼鏡を作るらしい客の相談にのっていて、私の相手をしてくれたのは、「研究生」の札をつけた若い女性だった。
 視力を調べてもらい、場合によっては、失くした老眼の代わりを作ってもらおうかと考えた。が、今日は時間的に無理だと分った。
 私自身、疲れすぎないうちに帰りたい気もしていた。

 若い女性店員は、私の気分をほぐしてくれる優しい人だった。
 遠景も近景も、鮮明に見えにくいこと、眼科医院に行ってみたけれど、あいにく休診日だったことを告げた。
 「眼は疲れているときにも、見えにくくなるようです」
 「そう? 私、心身ともに疲れています。そのためかしら?」
 と、私は笑んで言った。
 「そんなふうには見えませんけれど……」
 と、その女性は、美しく微笑んだ。決して美人ではないのに、気持ちのいい人だ。
 「ネックレスが素敵ですね」
 と、誉めてくれた。
 私は急に思い立って、家着のまま飛び出してきたのだった。
 ネックレスとイヤリングは、ろくに考えもせず、無造作に選び、目立たないものをつけていた。
 「バッグも手袋もおそろいのピンクで、おしゃれです」
 これも全くの偶然で、意識的にそろえる心のゆとりなどないのだった。
 「年がいもなくね」
 と、私は若い人を前に少々恥ずかしくなった。
 「いえ、お似合いですよ」
 と、終始、笑顔を絶やさない人だ。
 多分、<心身疲れている>という私の心に、彼女は寄り添ってくれたのだろう。
 ありがたいことだ。
 私は、自分のわがままを通しすぎる。我を張りすぎる。
 この女性店員のように、接する人に自然な安らぎを与えられたら、私自身も、もっと生きやすくなるだろう、そんな気にさせられた。
 「今度いらっしゃるときの割引券です」
 そう言って、カードを渡してくれた。

 家の中で、姿を消してしまった老眼鏡の一つは、もう出て来る可能性はないだろう。眼科医院で、診断を受けた上で、もう一つ、眼鏡を作ることにしようと考えている。

 中途半端な時間になったので駅前に出て、レストラン<森谷>で、昼食をして帰ることにした。
 ここにはいつも、大胆に活けられた花がある。
 なじみのウエイトレスに、
 「黄色い花は、キクイモ?」
 と、尋ねた。昨年知った花に、そんな名前があった。<イモ>とはかわいそうだと思った記憶がある。そのキクイモらしい花とピンクのグラジオラスが活けられていた。(写真)
 「そうかも……」
 との返事だった。
 <森谷>は果物屋なので、食事にそえられるフルーツが美味く、ちょっと贅沢な気分になる。

 今日も暑い一日だったが、街歩きをしているうちに、心身の疲れが、少し薄らいだ気がした。 

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益田川沿いの道 (咲き残りの印度浜木綿)

2008-08-02 | 身辺雑記
 心の冴えない朝であった。
 4時前に眼が覚めてしまった。再び眠れそうにもなく、すでに届いていた新聞を持ち込んで読んだ。そのうち、枕辺の障子が白んできたので、いつもよりはるかに早く起き出した。

 昨夜は、深夜、兄嫁からメールが入った。それには兄の血管の手術は無事終わったけれど、眼が見えにくく(そのことは、先日、母の法要のとき、兄自身の口からも聞いていた)、医師は軽い脳梗塞を疑っておられ、明日検査があるという知らせであった。
 兄嫁も、引き続く心配事で自律神経失調症の気があり、老夫婦の大変な日常を案じつつ返信メールを打った。そのあと眠れなくなってしまった。
 すでに飲んでいた半錠の睡眠薬に加え、また半錠を飲み足して、やっと眠りに入ることができたのだった。
 にも拘らず、今朝も早い目覚めとなってしまった。

 実は昨夕、暑中見舞いの返信を記し、それを投函するつもりで外出した。ついでに、近くのスーパーで買い物もしてこようと……。
 ところが、帰宅してみると、主目的だった葉書は、裏口に置いたままになっていた。最近、こんなミスが多すぎる。
 今朝は折角早く目覚めたので、陽の昇らぬうちに投函してこようと、外出した。
 8月に入って、朝夕の空気は、わずかではあるが、秋の気配をはらんでいるように思える。外気が思いのほか気持ちいい。
 突っ掛けを履いて出かけたので遠出はできないけれど、散歩代わりに、少し遠回りをして帰ろうかと思った。が、早くも山の端に朝日が姿を現したのを見て、そのまま引き返すことにした。

 その帰途、あわや交通事故に遭うところだった。歩道を歩いている私の後ろから来た車が、真横に近づいたと思うや否や、私の目の前をよぎり、小径に向かって右折したのだった。
 運転手は慌てて警笛を鳴らし、そのまま行き過ぎた。接触こそしなかったが、危険を感じる近さであり、無謀な運転にぞっとすると同時に、腹立たしさを覚えた。
 私はよく自分の世界に入り込むと、周りのことをすっかり忘れ、車の少ない一車線の道などでは、後ろから来た車に警笛を鳴らされたことはある。が、今日はきちんと歩道を歩いていたのだし、私に何の非もなかったはずである。多分、車の運転手が、距離の目測を誤ったに違いない。
 命拾いをした思いであった。
 (先ほどのニュースで、どこの話か見落としたが、自転車と自転車の衝突事故があり、女性が死亡したと報じていた。似たような事故になり得る可能性を持っていたと思う。)

 怖い思いをしたことが原因かどうかは分らないが、中学校の校庭から家に向かって坂道を歩くとき、胸に激痛がはしった。腕にまで伝わる痛み。しばらく佇んで痛みを我慢し、ゆるゆると家にたどり着いたのだった。
 すぐ水を飲み、友人からもらった貼り薬を胸に貼って、痛みの治まるのを待った。以前にも同じ痛みを経験し、前回の診察日に、かかり付けの医院で、心電図をとってもらった。しかし、心臓に心配するほどの異常はないということだった。
 それでも異常が起こるのは、何が原因なのだろう?

 <30代の始め頃、しばらく苦しめられた自律神経失調症? かも>、そんな自己診断をしながら、椅子に座っていると、メールが入った。
 入院中の兄からであった。
 <血管の手術は一応無事に終わり、集中治療室からは、一日で出られたこと。だが、目の見えにくい原因を調べるために、さらに4日、入院を続けなくてはならないこと。前回手術した冠動脈の結果が必ずしも思わしくなく、3か月後にまた検査しなくてはならないこと。ボケるのではないかと気がかりであること>などが記してあった。
 どの程度まで視力が落ちているのか分らないが、低下している証のように、今までと違い、メールの表記はかなり乱れていて、私の心を不安にした。
 すぐ返信を打ちながら、私の方も、なんだか文字がうろうろした。かなり前から、携帯メールの字が見にくい気がしている……。

 自分の身は自分で守るしかない、そう思うと同時に、かかり付けの眼科に行って来ようと思い立った。夏休みは患者が多いことが分かっているので、9月に入ってからにしようと思っていたのだが、兄のことなど考えると、検査は早い方がいいと……。
 土曜日なので、診察は午前中だけである。
 決断すると、バスの時刻を確かめ、街に出た。
 医院に近いバス停で下車、眼科医院に着いてみると、運悪く、<特別休業>の札が下がっていた。

 不運な日はこんなものだろう。
 仕方なく、益田川の土手の道を歩いて街に向かった。
 かつて、パソコンを学ぶためソコロに通っていた頃、よく歩いた道である。
 もう盛りの時期を過ぎた<印度浜木綿>の白い花が、辛うじて咲き残っていた。(写真)
 川沿いの道に、この花がたくさん咲き満ちると、なかなか風情があった。その花の名前を知りたくて、デジカメで撮った写真をいろいろな人に見せては、尋ねてみたものだ。が、ついに分らず、習い始めたばかりのネット上で、初めて、その正式名を自力で調べることができ、感動したことを覚えている。
 パソコンの持つ機能に驚いた最初であった。
 4年前の初夏のころだった。

 炎天下を歩くと、さすがに疲れる。
 行きつけの喫茶店<ロン>に入って、休憩した。
 そこで、久しぶりにY氏に出会い、お互いの近況を尋ね合った。
 赤いチェックのシャツを着込んY氏は、80余歳だろうけれど、相変わらずダンディーである。
 折から、喫茶店に備え付けのテレビでは、今日から始まった甲子園の高校野球を放映していた。カウンターには、昔の高校球児らしい人が坐っていて、Y氏との間で、甲子園の第一回戦、駒大岩見沢と下関工業の対戦が、話題になっていた。
 私もコーヒーを飲みながら、観戦した。
 両チームとも、相手チームから得点の好機をもらいながらも、結局は好守備に阻まれ、2回までは無得点だった。
 そこで、お店を出た。Y氏は、私より一足早く店を後にされた。

 帰宅して、テレビをつけると、8対3で駒大がリードしていた。が、関工も追い上げて3点を追加した。しかし、結果は2点差で駒大岩見沢が勝ち、中国勢の一つが早くも姿を消した。
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