花弁に特長があり、少しよじれたような形をしている。
花弁に特長があり、少しよじれたような形をしている。
昨日、久しぶりに「草花舎」へ行った。
暫くお店が休業中であったし、私も数日、旅に出たりして訪問のチャンスを逸してきた。
前回、草花舎の庭を訪れたのは、Yさん(店主)が不在中の5月8日だった。それ以来の訪問である。
10日間に、庭の風情が随分変わっていた。もう既に<夏の庭>である。
木々の葉が茂り、地面を草花が覆い、空間が狭くなったような感じだ。
まだ咲いているだろうと思っていた花の姿がなかったり、見慣れぬ花が咲いていたりで、移ろいの速さに戸惑いを覚えた。
久しぶりにおいしいコーヒーをいただいた。
5月8日に撮った写真は、名前の分からない花もあって、ブログへは未掲載のままになっている。写真を持参し、Yさんに見てもらって名前を確認した。
その後、お庭に出て草花を見て歩いた。
昨日も、沢山の花との出会いがあった。
一気には書ききれないので、思いつくままに書き留めてゆこうと思う。
(実は、18日の夕、東京から帰り、昨日はまだ旅の興奮が続いていたせいか、比較的元気に動き回ったのだが、今日はドスンと音を立てて疲れが出た。全くの無気力状態になり、頭の巡りもすこぶる悪い。昨夕届いた旅の荷物を整理する気にもなれず、旅行カバンは部屋の隅に座ったままである。旅日記の記録も早々にと思いながら、写真をパソコンに取り込んだ後は、手付かずの状態である。
疲れが遅れてやって来るのは、年のせいだろう。焦っても仕方がないので、ボツボツ出来ることから片づけてゆくことにしよう。)
というわけで、昨日、草花舎の庭で、30枚あまり撮った写真の中から、まずは、「ジキタリス」と「テイカカズラ」を取り上げておくことにする。
手前にすっくと立っているのがジキタリス。
その背景に、壁を這っている蔓性の植物がテイカカズラである。小型の白い花が咲いている。(写真)
ジキタリスは、私が知らなかっただけで、広辞苑にさえ登場する知名度の高い花のようだ。和名では<狐の手袋>というらしい。英名<Foxglove>の直訳なのだろう。
草丈が1メートルを超える場合もあるようで、とにかく見映えがする。鐘形の花が茎全体に密についているけれど、いやみはない。
Yさんの話によると、イギリスの庭園には必ずといっていいほど見受けられる花らしい。
たまたま北原白秋の詩集を読んでいたら、「ヂキタリス」という語が目に入った。
夏の日なかのヂキタリス、
釣鐘状(つりがねがた)に汗つけて
光るこころもいとほしや。
またその陰影(かげ)にひそみゆく
蛍のむしのしをらしや。
<第二連 略>
ほんに内気(うちき)な蛍むし、
嗅(か)げば不思議にむしあつく、
甘い薬液(くすり)の香(か)も湿(しめ)る、
昼のつかれのしをらしや。
白い日なかのヂキタリス。
(詩題「蛍」―詩集「思ひ出」より)
ジキタリスの花を眺め、さらに白秋の詩を読んで、急に身近な花となった。以後、どこでこの花を見ても、その存在に気づくだろう。
テイカカズラの白い花はほのかな香を漂わせて咲いていた。
古名を「マサキノカズラ」というそうだ。
草花舎の窓枠にそって蔓を伸ばし、風情を添えている。
テイカは、鎌倉前期の歌人、藤原定家と関係があるようだ。辞書によると、「定家」という能の一つ(金春禅竹作の鬘物)があり、それは藤原定家と式子(しょくし)内親王との激しい恋を扱った物語で、死後も内親王の墓に定家葛(ていかかずら)がまつわりついたという伝説に基づいて、脚色されたものだという。
謂れを聞けばなかなか面白い。