ぶらぶら人生

心の呟き

ユキノシタ咲く

2007-05-10 | 身辺雑記
 家の庭に二種類のユキノシタが咲き始めた。
 一つは、葉や茎が薄緑で、花は白色系のもの、もう一つは、茎が赤く、葉にも赤色の模様が入り、花も薄い紅色をおびたものと。
 写真は後者の花である。下に向かって二枚の花びらが垂れ下がり、上側には三枚の小さな花弁がある。その花びらには、赤紫の斑点の模様がついている。小さな花なのに、花蕊の存在も目立ち、全体的になかなか精巧な細工の施された花である。
 わが家のユキノシタは、庭木の下の日陰に、群れてひそやかに咲いている。私の好みにあった花の一つである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生命力 3 (コンクリートの継ぎ目に)

2007-05-10 | 散歩道
 これこそ実に狭いコンクリートとコンクリートの継ぎ目に、緑の葉と花穂までつけて、一本の小木が生えていた。
 そんなところで無理しなくてもと思ってしまうが、生じた芽は、命を漲らせて、とにかく伸びようとしている。葉にも穂状の花にも特徴があるし、いたる所に生えている木なのに、その名前を知らない。
 どの程度まで大きくなる木なのだろう?
 生じた場所からして、矮小のまま一生を終える宿命を担っているのだろう。
 考えてみると、植物に限らず、そうした悪条件を運命的に背負って生きざるを得ないものは、この世には沢山ある。悲しいことではあるけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生命力 2 (工事標識の中に)

2007-05-10 | 散歩道
 工事現場には、赤と白の縞模様のついた円錐形のものが置かれている。
 注意を喚起するためのものだろう。
 今工事中でもなさそうなのに、片づけ忘れたものか、何か意味があってそこにあるのかはわからないが、散歩の道に、前々から二つの標識が置いてあった。
 あまり気にも留めていなかったのだが、ふと見ると、ここにも、勢いよく伸びた小木が生じているのだった。標識を植木鉢がわりにして。
 
 もう一つの標識には、蓬が若々しい緑の葉を茂らせていた。
 環境を選ばず、どこにでも命の根を下ろす植物のたくましさ!

 (数日後、標識は植木鉢ではなくなっていた。二つの位置は離され、中は空っぽだった。人間の手で、折角の命は淘汰されたらしい。工事管理者も、少々呆れ顔で片づけられたのかもしれない。そこを選んで誕生した植物には気の毒だが、標識を標識として機能させるためには、まあ仕方ないことだろう。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生命力 1 (小さな排水管の中に)

2007-05-10 | 散歩道
 散歩の途中、眺めることに主眼をおいて歩いていると、思いがけないものに、よく遭遇する。
 何か気がかりなことがあって、気持ちがもやもやしているときには、人間はそこに存在するものも見えなくなるようだ。生きているかぎり、悩みから無縁になることはできないが、朝の散歩のときだけは、できるだけ、心をかっらっぽにして歩くように努めている。幼い日の遠足さながらの、天真爛漫な気持ちにかえり、虚心坦懐を旨として。
 心を空にしていると、ものがよく見えてくる。

 おや、まあ!
 と、立ち止まると、コンクリートの側壁に、スイバが奇妙な形に伸びて、壁に張りついているのだ。側壁の排水管にたまったわずかな土に種がこぼれ、一つの命を誕生させ、無事に成長したものらしい。
 植物の生命力のたくましさには感心する。

 わざわざそんなところを選ばなくても、と思いながら眺める。
 壁面から垂直に伸びようとすれば、安定感を欠くだろう。従って、ひとりでに壁に横たわるような伸び方をしたのだろう。単に、環境への順応にすぎないかもしれないけれど、その知恵もすごい。
 見方によっては、巧まざる、芸術的な面白さがないともいえない。
 こんな取るに足りない瑣事が、散歩を楽しませてくれる。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする