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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

原子爆弾への微かな記憶と怖ろしい時代へと

2014-08-06 | 政治と金

私は1943年東京で生まれ、終戦の時には広島県尾道市の山奥に疎開していた。後程知ることになるのであるが、2歳になったばかりの時に大人たちが外に出て、真っ赤になる太陽を見つめていた。真夏の午前中に空に浮かぶ太陽が、茜色になる異様さを記憶している。人生最初の01記憶である。
その後村には、ピカにやられた人たちがたくさん戻ってきた。当時村の 人たちは、”ピカ”と呼んでいた、大型爆弾の落ちた広島に支援にったり人たちがたくさん亡くなられた。なぜか、「ピカにやられた」とい言葉ばかりが鮮明に記憶に残っている。
そうした人たちの家の前を通ると、何かしら匂った記憶があるが、大人たちには近寄ることを禁じられていた。

今年は第一次世界大戦から100年になる年である。近代の戦争は、それまでは兵士あるいは武士などの戦闘要員の戦いであったが、一般人が被害になる戦争でもあった。
空襲などは典型で非戦闘要員が大量に殺される戦争になった。原爆はその究極の姿である。更には世代を超えて遺伝子を壊し続ける。全く予測されなかったものである。

今日は69回目の広島原爆投下の日である。きな臭くなってきた政権からの、犠牲者への言葉あったが、反戦平和の言葉もない空々しい挨拶もあった。
平和公園の原爆戦没者碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは繰04 返しませぬから」と刻まれている。
主語がないとか、日本は被害者であるとか、狭量な右からの批判はあるが、人類が犯した戦争について、あるいは開発した無差別兵器・原子力爆弾を糾弾する、簡素ながらも名文である。

今新たな戦争への門戸が開かれようとしている。戦争を勝利できなかったと、悔やむ軍国主義の遺伝子が復活する。

コメント (1)
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