昨日終戦の日、NHKで集団的自衛権についての論議があった。聞いていて空しさを感じいたものである。何かおかしいのである。
賛否3名を配した論議で、もっと盛り上がり終戦の日に相応しい論戦を期待していたが、どちらの陣営もマァマァと言った感じであった。
鳥越氏の、「第一次世界大戦は同盟国の支援、これこそ”集団的自衛権”によって拡大した。第二次世界大戦も同様である。」との発言に、進展はなった。ここでは、”同盟国”の存在を論議すべきであった。
現在の同盟国関係は、正邪を問うことなく単純に同盟国の行為を支持することである。イラクの時に日本やイギリスがアメリカを支持したのがいい例である。
同盟国に、過ちを正すことが何よりも優先することこそが、同盟国としてのある姿である。公明党が支持者の大半を占める創価学会の、反対を押し切って自民党に従うのもその例である。まるでやくざの一宿一飯の恩義で、助太刀するのである。
公海での日本船舶の安全論議はもっと貧弱である。関係者の発言するように、広大な公海に自衛隊が数百キロごとに並んでいても、不可能である。
アメリカの、9.11同時多発テロの暴力を、ブッシュは暴力的に解釈した。武力による報復である。戦火を上げる毎に、ブッシュはテロの危機が無くなった、少なくなったと繰り返し発言した。
現実はその全く逆である。アフガニスタンもイラクもそしてシリアもイスラエルやパレスチナも、より一層戦禍は広がっている。テロは数百倍になったのではないか。
20世紀に暴力は暴力しか生まないことを、人類は体験したはずである。この番組の討論は相も変わらず、国家や国益を軸とした、暴力装置の在り方論議に終始している。
国益を守ることが、最優先で論議は進んでいる。既に、前の世紀から一方的な侵略戦争はなくなている。客観的には、一方的な侵略戦争であっても、必ずなんらかの自衛が強調され国民の支持を得る。
イラク戦争でブッシュが、クリミヤ併合でプーチンが、国民が90%にならんとする支持を受けている。自衛が名目的であっても、これほど大きな意味を持つのである。敵を作りこれに打ち勝つことは、痛快極まりないのである。まるで国民は、水戸黄門の助さん格さんが、悪を征伐するかのように感じているのである。
助さんや格さんに殺された人にも、親いるだろうし家族もいるだろう。悪を征伐した助さん格さんの陰に、数百人の殺された人物がいてその家族がいて苦しんでいることを、21世紀は知らなければならない。正義は、自国に限って存在するものではない。
お互いの正義が戦う紛争の解決は極めて困難である。
が、唯一解決策があるとするなら、強者が譲ることである。弱者の抵抗には、大きな意味がある場合が多い。強者は国益を前面に出すためである。強者が寛容を持つためには、国家間の圧力も国連の仲介も必要であろう。
防衛が戦争の理由である限り、この討論者たちのように、集団的自衛権をお互いに戦わす紛争は消えることがない。戦争が殺人行為であり、人を非人道的に扱う行為であることから、論議されるべきである。でなければ、集団的自衛権の、真の姿は見えてこない。20世紀から何も学ばなかったことになる。