長崎市長が原爆犠牲者慰霊の平和祈念式典の平和宣言で、集団的自衛権容認は平和国家日本を危うくすると発言した。平和宣言は、多くの人が推敲した文章である。個人が思いつきで発言したのではない。
この宣言に関して、自民党の元武蔵野市長の土屋正忠衆院議員が、自身のブログで名指しで批判した。集団的自衛権のような国政を論じるのなら、国会に出て来いというのである。
ずいぶんと乱暴な言い方である。自身が市長を経験して、小泉元首相に乞われて国政にでてきた経過がある。菅直人と選挙区落選、比例区当選を繰り返している。
土屋正忠はいくつかの大きな間違いを犯している。一つは、この宣言は上記のように個人的なものではないことへの無知である。
仮に田上長崎市長が個人的発言であっても、平和の破壊につながりかねない政府の行為に懸念を示すのは、平和都市の首長として当然のことである。その発言をするなということである。一般国民だってその権利はある。
国会でしか、集団的自衛権について論議してはならない、というのが、この男の論旨である。
その国会ではロクに論議はやられていない。むしろ論議を嫌って、与党間だけの調整を繰り返し、閣議だけで決定したではなないか。
安倍内閣は、政権周辺と専門委員会などのメンバーを、お友達で固めて、何かにつけて論議などした形跡はない。特定秘密保護法然り、消費増税然り、武器輸出三原則の廃棄然り、原発再稼働と輸出然り、法人税減税然り、普天間基地県内移設然り、そして集団的自衛権の容認であり、枚挙にいとまがない。
国民の殆どが、説明不足と思っている集団的自衛権容認であるが、土屋のような取り巻き発言は、私はオトモダチですよというシグナルを安倍に送り、次期入閣を目指しているのである。土屋は、発言の訂正をしていない。
こんな狭量で理念のない男に、集団的自衛権について論じていただきたくはないのである。
羅臼港
春誓い羅臼港