1945年7月14,15日は北海道が、道北を除くほぼ全道にわたって、空襲を受けた日である。即ち、終戦の僅かひと月前である。ドイツのポツダムでは日本の全面降伏に向けて会談が始まった時期でもある。
この僅か2日間だけの北海道空襲であるが、政府はすでに日本の敗戦を予測していた。平和条約を締結期間が残っているソビエトに仲介を依頼するつもりでいたが、軍部はソ連が条約を破棄し参戦することを知りながら、いたずらに敗戦を認めようとせずいた。
この年の6月に、通常の神経が残っていれば敗戦を認めたはずである。6月には敗戦を認めていれば、二つの原爆もシベリヤ抑留も北方領土問題も、なにより日本各地に空襲もなかったはずである。ほぼ200万人の生命が救えたはずである。
北海道でも、たった二日間の空襲で79の市町村が襲撃され、約2000人が犠牲になっている。菊池慶一さんが「北海道空襲」を上梓して7年経つが、被害地域も死者数も、この時より相当数増えているとのことである。北海道空襲は、広域であったことや過疎地域であったことなどもあって、検証が不十分なのである。
この二日間、毎年北海道各地で慰霊が行われている。最も空襲を激しく受けたのが、北の守りの要地であった根室であろう、2日間にわたって街の中心部がほぼ壊滅状態となっている。
空襲は一般人を狙った、極めて非人道的な戦争行為である。非戦闘要員や民家が狙われる。ほとんどがグラマン機によるものであったが、室蘭周辺は、ミズリー号などからの艦砲射撃を受けている。昨日今日は決して忘れてはならない、北海道の戦争の記念日である。(下記に一度書いている)