市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

【お知らせ】台湾と日本との友好親善を目的に群馬県台湾総会の新春盛会が2月17日に伊勢崎で開催予定

2013-01-26 13:49:00 | 国内外からのトピックス

■今年の旧正月は2月10日(日)ですが、新春恒例の群馬県台湾総会の新春盛会が2月17日(日)正午から伊勢崎プリオパレスで開催されます。群馬県台湾総会の関係のイベントとしては、昨年11月18日に前橋市のロイヤルホテルで開催された元台南市長・羽鳥又男生誕120周年祭以来です。
 今年の新春盛会には、東京の台北駐日経済文化代表処代表(台湾の駐日大使に相当)の沈斯淳氏夫妻が参加される予定です。当市政をひらく安中市民の会の事務局は、毎年、旧正月明けに開催されるこの行事に参加をしていますが、今年は、例年になく盛り上がることでしょう。なぜなら、日本にとって最も信頼できる隣国として、台湾の存在をあらためて認識できたからです。東日本大震災の義援金でも、世界で一番たくさんの寄付をしてくれた台湾のかたがたとの交流を深めるためにも、重要なイベントです。

 そのため、群馬県台湾総会では、県内外の政官財界の要人あてに招待状を出しています。先月12月18日に、台湾の台中市長と友好交流協定に署名したばかりの大澤正明・群馬県知事を始め、前述のとおり昨年11月18日に元台南市長・羽鳥又男生誕120周年祭で台南市との有効姉妹都市をめざす前橋市の山本龍・市長や、国際交流のイベント等でいつもお世話になっている伊勢崎市の五十嵐清隆・市長、そして、かつて台湾に留学経験があり台湾には人一倍造詣の深いお隣の本庄市の吉田信解市長にも来賓として参加して頂けるよう、群馬県台湾総会では着々と準備を進めています。

■平成25年1月25日付の上毛新聞トップ記事によると、群馬県は平成25年(2013年)度から3カ年の観光振興計画の概要をまとめ、観光客の入り込み数を大型観光企画「群馬デスティネーションキャンペーン(DC)」を開催した平成23年(2011年)度比で6%増の年間約6200万人に伸ばしたいとしています。このうち宿泊客数も6%増の約930万人を目標値に掲げています。

 この記事の中で注目されるのは、上記の宿泊客数のうち、外国人は倍増の約100万人を目指すと言うことで、とりわけ経済成長が著しい東アジア地域から約2.5倍の約7万人の来訪を見込んでいることです。

 ところが、群馬県は外国人客の誘客に向けて、今年4月に開設予定の上海事務所を有効活用するとしています。これは誤った方針です。というのは中国人客を誘致しても、彼らは尖閣問題でいまだに反日をあおる中国政府の意図に同調し、各地で日本人や日系企業に対する嫌がらせや買い控えなどの行動をとっており、この問題が解決しない限り、血税を投入しても、それに見合った見返りは期待薄だからです。

 竹島問題で国際ルールを無視する韓国の場合も同様なことが言えると思います。ここはやはり、既に来県する外国人宿泊者数の3割強を占めている台湾からの観光客の誘致に必要な戦略に重点的に予算を配分すべきです。

 実際に、台湾の高校生らの教育旅行の誘致にはこれまでも力を入れており、それなりの実績や効果も上がっています。しかし、隣接の長野県に比べると、まだまだ尽力が足りないようです。

■群馬県への外国人宿泊者数は平成22年度に過去最高の約7万3千人になりましたが、3.11大震災の影響で平成23年度は約4万9千人にほぼ半減していました。平成24年度は回復基調にあると見られますが、平成25年度は約10万人を目標に掲げたからには、見通しの暗い

中国の上海に事務所を開いて職員を派遣して遊ばせるよりも、親日の国民が多数を占める台湾や極東ロシアからの誘客に力を入れるべきです。

【ひらく会情報部】

※参考資料
平成25年1月20日(日)付東京新聞P10「暮らし」欄で台湾駐日代表の沈斯淳氏の人柄が報じられています。内容を次に転載します。
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「家族のこと話そう」
父の教えが外交で役立つ
 台湾・駐日代表
  沈斯淳さん
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しん・しじゅん 台北駐日経済文化代表処代表(台湾の駐日大使に相当)。1953年台南市生まれ、75年台湾大政治学科卒業。外交部(外務省)に入り、主に北米を担当。駐チェコ代表、外交部次長(事務次官)などを経て、2012年から現職。
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 小学校から高校まで台湾南部の台南市で過ごしました。父は中学の数学教師。歴史も教え、校長も務めました。穏やかな性格で、いつも冷静、あわてたところを見たことはありません。怒られたという記憶もありません。
 ただ、自分が数学教師だったせいか、数学の成績が悪いと注意を受けました。母は家庭を守るごく普通の主婦です。
 幸い父は九十二歳、母は八十二歳で健在。仕事などは退き、台北で生活しています。
 弟と妹は、それぞれ会社員、大学教員をしています。
 子どものころ見た父の姿で、印象が強く残っているのは、夜に机に向かっているところです。父は幾何学の参考書を何冊か書いていて、図式が正しいかどうか、夜遅くまで何度も確認していました。
 大変だったと思います。教えている生徒の宿題を家に持ち帰っては、夜遅くまで丁寧に添削もしていました、
 私は子どものころは、野球をやっていました。当時は周囲に野球のクラブはなく、近所の友達と遊びでやっていただけでしたが、大学入学後、一年生の対抗戦では、一塁手で出場しました。父はスポーツマンのタイプではなかったですが、書道は得意で、唐詩や宋詩を好んで書いていました。父の書は今も私の自宅に飾ってあります。
 子どものときから、父は「君子の交わり」を強調しました。互いに理解し合い、励まし合って、自分を高めていくんだ、と説かれました。教えは社会に出ても役に立っています。
 目下、私は日本語の猛勉強中です。子どもも日本の大学で日本文化を研究していたので、もっと日本を知ろうと一緒に頑張っています。

■母は料理に誇り
 母は家族においしい料理を食べさせることに誇りを持っています。台南は海の幸に恵まれ、私はサバヒー(英名ミルクフィッシュ)という台湾ではよく食べられている魚が大好き。母の作るサバヒー料理はおいしかったですね。
 父の影響で、大学は台北にある台湾大の数学科に進みました。地方から台北に出てきて、台湾が直面する国際問題や社会の矛盾などを感じ、二年になるときに、政治学科への転科を決めました。

■私の志を尊重
 父に電話で告げると、反対され、すぐ台南から飛んできました。私に理系のままでいてほしかったのでしょう。一晩話し合い、結局、父は私の志を尊重してくれました。政治学科に移り、卒業と同時に外交部(外務省)に入り、外交官として歩みだしました。
 駐日代表(大度に相当)に決まると、父も母も「名誉なこと」と喜んでくれました。在任中に両親を日本に招きたいのですが、高齢なので難しいかもしれません。
 今年四月、台北で宝塚歌劇団の公演が予定されています。日台の重要な文化交流であり、(台湾側の)期待も大きいです。もしも可能ならば、両親もその公演に招待したいです。
     聞き手 草間俊介
     写 真 木口慎子

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