田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

幸せパズル(rompecabezas)

2012年07月08日 23時14分54秒 | 日記
 
 
 アルゼンチンとフランスの合作。最近、アルゼンチン映画ってぼちぼち見るような気がします。
なんと言っても「瞳の奥の秘密」が一番深かったけれど、この映画はそこまで真剣な話ではなく、ずっと家族のためにだけ生きて来た専業主婦の話です。

マリアは、料理上手な専業主婦。常に家族のことを考え、みんなを世話してきた女性。

冒頭、パーティが開かれている様子が映ります。お客たちはもちろん、夫も息子たちもみんな座って談笑。マリアだけが次々ともてなしの品を繰り出し、座ることなく動いています。夫や息子も、そんな彼女に「座ったら?」というどころか、用事を言いつける始末。

一人で複数のお皿を持ったがために、ひとつを夫の前に飛ばしてしまうマリア。「ぶつけるんだったら正確にやれ」と睨みつける夫。むかつきますねぇ。しかし、マリアは「今のは練習よ」と言ってのけます。ここで、彼女がウィットに富んだ、頭のいい女性であることがわかります。

しかし、なんと驚くことに、このパーティはマリアの誕生日祝いだったのです!自分で焼いたケーキに自分でろうそくを立てて、自分で出してきたマリア。ろうそくの火を吹き消しただけで、また動き回ります。

そして、パーティの後は洗いもの(食器)の山。こんなの、アリ?

日本と文化が違うのかしら。私は「えぇ?」と思ってしまいました。


ともかく、マリアは片づけの後、プレゼントの中にジグゾーパスルを見つけます。ちょっとやってみたら、おもしろい。

しかし、お買い物のついでにパズルを手に取ると、夫は「そんなもの、時間の無駄だ」と一言。なんでささやかな趣味まで禁止されにゃならん。見ている私はイラッとするわけです。

しかし、やっぱりおもしろい。友人にパズル屋さんの場所を聞いて行ってみるマリア。ある、ある。すんごい数のパスルが。

何度か行くうち”パズル大会に出場するパートナー募集”の張り紙発見。連絡してみるマリア。

そして、会いに行ってみると、まぁ!見たこともないような豪邸!思わず呼び鈴を押しそびれるマリア(わかるわ~)。
しかし、そこは豪邸。ちゃんと玄関にカメラがついてて、主が出てきます。「先ほどから見てました。どうぞ」それは、なにげにダンディな初老の男性。しかも、どうやら独身のよう。お手伝いさんもいます。

こうなってくると、話は違う方向に行くのかな、なんて感じです。しかし、そこはアルゼンチン映画。ハリウッド映画とは違います。

彼女の才能をみた男性ロベルトに「練習しましょう」と言われ、家族に嘘をついて週2回、彼のおうちに練習に来るマリア。彼女はどんどん輝き、その分、今までなかったような「チーズが切れてる」なんてことが起こり始めます。

独身の大富豪のところに嘘をついて通っている、なんて、バレたらなにもなくてもおおごと。見ている方はドキドキです。

しかし、そちらがばれることはなく、むしろ「パズルばっかりやって、家族はどうでもいいのか!」と叱られるハメになります。

そこで、マリアは夫婦二人の旅行を計画した上、夫に「パズルの大会があるのよ。一番早かった人が優勝できるのよ」と切り出してみます。すると、夫は「は?パズル大会?」と言ったかと思うと大笑い。「がはははは」「あっはっはっはっは」と笑いだして止まりません。どこまで妻をバカにしてるんでしょう。本当に腹が立ちました。

この夫は、妻を愛していないわけではありません。優しくするときはちゃんと優しくします。夫婦仲もいいんです。ただ、「妻が主体性を持つ」ということが理解できないんでしょうね。

ともかく、彼女は大会に出て、最初は戸惑いますが、ロベルトの支えもあってロベルト・マリアペアは優勝します。次は世界大会のドイツ。切符も手にします。

しかし、ず~~っと専業主婦だったマリアにはそんな行動は起こせません。ロベルトと危うい関係になったとしても。

結局は行けないのです。ロベルトも「仕方がない。君のチケットだ」と言ってくれました。

ラストは、1人で原っぱに座ってリンゴをほおばるマリア。これが何を意味するのか。一人の時間を確保してゆっくり羽を伸ばしているのか。あるいは、売る予定の土地の交渉に一人でやってきているのか(交渉の日に夫が「行けない」というと「じゃ、私が行くわ」と言っていた。こんなことに夫同伴ではなく行くのは初めて)。あるいは、家を出ようとしていることを暗示しているのか(しかし、その可能性は低い)。

ともかく、息子にすら、家を買うために与えたお金で「(ベジタリアンの)彼女とインドへ自己発見の旅に出るよ、半年くらい。学校を休学して」と言われてしまったマリア。

何かを起こそうとしている前触れのシーンなのかもしれません。

監督は、観客に考えさせるつもりなのかもしれませんが、アルゼンチンの文化もよく知らないアホな私には、ラストの読みとりは難しいです。

私としては、マリアに自分の世界を持って欲しいです。夫や子供に左右されない自分独自の世界を(心の中には持っているのかもしれませんが)。
コメント
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