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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

長崎くんちは、蛇踊りで

2008-10-11 01:29:30 | * 九州の祭りを追って
 10月9日は、長崎くんちの最後の日だった。間にあった。
 くんちとは、陰暦9月9日の重陽の節供で、旧暦9月9日、もしくは19日、29日などの日に、主に北九州から熊本一帯で古くから行われている神社の秋祭りである。行われる日にちは、各地でばらばらである。
 2年前、長崎、唐津、伊万里、白石(佐賀)と、初めてくんち巡りをし、地域によって祭りの特色が色濃く出ているのを知り、それ以来、また見たいと思っていた。去年のこの季節は、東京にずっといたので見ることはなかったので、2年ぶりの長崎くんちであった。
 
 長崎くんちの見ものは、市内の古くからある、その年当番のいくつかの町が独自に行う、演(だ)しものである。7年に1回ずつ当番町は交代し、その年当番町の演(だ)しものが、「庭先回り」と言って、町(市)内の氏子の家々を周るのである。
 今年の演(だ)しものの目玉は、諏訪町の蛇(じゃ)踊りである。蛇踊りは大きな龍の造りが黄金の玉を追って踊り狂う様(さま)で、長崎くんちの代表格となっていい。
 2年前は、「鯨の汐吹き」という大きな鯨が出演したので、その年は蛇踊りは出なかった。
 であるので、蛇踊りを見るのは、初めてである。

 庭先回りは、長崎港にある「お旅所」という出発点を、第1陣が朝7時に、その後順次各町が出発して諏訪神社に向かい、そして街中を周ることになっている。その街周りは、夜8時ごろまで続けられる。

 *くんちの「庭先回り」を追って

 肥前山口で乗り換え、朝10時に長崎駅に着いた。
 庭先回りのスケジュールと市内地図が1枚になっているくんち案内を、駅ビル内の観光案内所でもらって、くんちを取り仕切る諏訪神社の方に向かった。
 長崎は路面電車があるので簡単に行けるのだが、今回は歩くことにした。30分ぐらいで着く距離だ。
 どこでも、町を知るには歩くのが一番である。
 
 神社近くまで来ると、笛と太鼓の音がしてきた。その方に行ってみると、西古川町の本踊りであった。笛や太鼓に合わせて、数人の踊り子がシャンシャンシャンと踊る単純な演しものである。
 街中を巡って、やっと11時ごろ蛇踊りの一行にぶつかった。
 ラッパ、ドラと、金属音を高々と鳴らしながら練り歩いているので、この一行は遠くからでもすぐに分かる。
 ほかの町とは桁が違う行列だ。先導の幟(のぼり)を持った人たちのあとに、蛇である龍の一団が、そのあとに赤い中国服を来た女性による長ラッパ、シンバル、ドラと続き、最後部に和式の笛、太鼓がついていく。その間に、ピンクの中国服の女性の一団が同行しているので、なんとも華やかだ。最後部の和風の人たちは、付け足しのようで肩身が狭そうだ。
 蛇である龍は、頭と腹から長い棒が出ていて10人で担ぐ。先頭の黄金の玉を持った人がその玉をぐるぐる動かしながら進むと、龍がその玉を追って踊りくねるのである。
 蛇は、広い公道から狭い路地まで、氏子のいるところへはどこへでも入っていく。(写真)
 その髪と髭をなびかせながら踊る蛇は、まるで生きているようにダイナミックである。蛇の担ぎ手は、支える棒を右に左に、上に下に、前の動きに合わせて動かし、汗だくである。頭と胴体から尻尾まで動きが合ったときは、大きな波のようにうねる。
 僕は、蛇踊りの追っかけのように、あるときは頭の方に出たり、あるときは最後尾から見たりと、街中を蛇について行った。
 この一行の中で責任者らしい係りの人に訊いたところ、蛇の長さは全長20m。10人で支える蛇の、頭の重さは30kg、後ろの腹の重さは各部10kgぐらいだが、踊りのときは全体が動くので、瞬間的にほかの部位の重さが被い重なってきて、一人にかかる正確の重さは分からないとおっしゃっていた。
 
 町を歩き回っているうちに、新大工町の演じものの一行に出くわし、興福寺に行き着いた。その寺の境内で、詩吟による詩舞が行われた。
 歩き疲れた3時に、諏訪神社で、くんち最後の日の目玉である「お上り」が行われるので、神社へ行った。街に下っていた3台の神輿が、「もりこみ」と言って、魂を入れて、神社の最後の石段を、本殿まで一気に駆け上がる行事である。
 行くと、すでに階段の下から上の本殿まで人でいっぱいだ。上段の桟敷席で見るのは2年前と同じである。
 神輿の「お上がり」は、あっという間に終わり、祭りのクライマックスは過ぎた。
 終わったあと、諏訪神社の長崎くんち案内書に、「日本三大祭りのひとつ」と書いてあったので、巫女さんに、あとの二つはなんですか、と訊いてみた。
 各地の有名どころの祭りが勝手に言っているので、正式な三大祭りはないとのことだった。居合わせた地元の90歳を超える長老に訊いてみても、知らないとのことだったから、はっきりした定説はないのだろう。
 ただ三大くんちは、この長崎くんちのほかに、唐津くんち(唐津神社)、博多おくんち(櫛田神社)が定説のようだ。

 *中華街のチャンポンの味

 10月だというのに、この日は夏の盛りのように暑かった。半日歩き回ったせいもあり、汗が引きもきらない。
 諏訪神社の「お上り」を見たあと、喉の渇きと空腹を満たすために、食事をしに行くことにした。胃の中は、すでに朝から考えていたチャンポンを待っている。
 2年前、偶然見つけた中華街の江山楼での特製チャンポンの味は忘れられなかった。
 諏訪神社から、中島川に沿って新地中華街へ歩くことにした。ほぼ長崎の主な街中を歩くことになる。
 途中眼鏡橋などを見ながら歩いていくと、大きなアーケードへ出た。観光道りアーケードと交差する浜町アーケードで、大きく賑やかだ。佐賀市の商店街アーケードはかつての賑やかさは失せて衰退しているのだが、長崎は活発だ。
アーケードを通り過ぎると、銅座橋に出た。
 銀座でなく、金座でもなく、銅座というのが渋い。
 その先は、新地中華街だ。
 ほかの店は目もくれずに、まっすぐ江山楼に入った。
 まず、エビ、イカ、肉の3個セットの焼売(シュウマイ)と東坡肉(トンボウロウ)を肴にビールを1本。
 東坡肉は角煮饅頭のことで、分厚い肉の角煮とホウレンソウ煮を、ハンバーガーのように、ふっくらとしたマンジュウに挟み、甘く濃いカルメラ味のたれを流し込んで食べる。これが旨い。パン風のマンジュウは、思ったより胃に重くならない軽さだったので安心した。
 さて、次はお目当てのチャンポンと紹興酒を熱燗銚子で。
 2年前に来たときは、海鮮味の特製チャンポンを食べた。値段は特製が1575円で、並が830円であるが、違いを訊いても店の人は、当然のことながらどちらも美味しいですよと言う。特製は、フカヒレがのっていて、具も20種類と豊富だが、普通のチャンポンとどう違うのか、今回は並みのチャンポンを頼んだ。
 並でもエビや貝の海鮮も入っていて、何よりスープが僕が知っているチャンポンと違って、潮の香りと味がする。こちらも、特製に劣るとも勝らない美味しさだ。
 チャンポンは、時としてこってり感が残るが、スープを飲み干しても舌にしつこさが感じられず、さっぱりとしているのはいい。

 *思案橋ブルース

 中華料理店を出るとすでに夜だったので、思案橋の方へ足が向かった。長崎の盛り場である。
 僕は酒は好きだがあまり強くはないので、すでにいい加減気持ちよく酔っていたが、せっかくの思案橋である。知っている店など1軒もないが、どの店に行こうかと思案しながら、雑居ビルの中の小さなスナックに入った。
 店は開けたばかりで、客は僕が最初だった。その店のカウンターで、佐賀へ帰る終電まで、ウイスキーの水割りを飲んだ。終電といっても早いもので、長崎発21時半の特急である。9時には店を出たいので、そんなに飲む時間はない。
 感じのいい店で、そんなときの時間はあっという間に過ぎてしまう。
 「長崎くんちを見にきた」と言ったら、帰りに店の女性が、「うちのところの町で出した、くんちの記念のものです」と言って、1枚の手ぬぐいをくれた。
 それには、青地に白で、紋様と魚が染め抜かれ、上段に「大漁万祝 恵比寿船」と、下段に「平成二十年くんち奉納 賑町」とあった。くんち奉納踊りの頭領が采配に使ったという、「采」のミニチアの縁起物も付いている。

 この日はよく歩いた。
 犬も歩けば、棒にあたる。
 人も歩けば、縁起にあたる。

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遠くから見ていた姫路城

2008-10-09 01:55:57 | ゆきずりの*旅
 佐賀に帰る途中、姫路で降りた。
 もちろん、目的は姫路城である。
 新幹線で通るとき、いつもその姿は見ているのだが、まだそこに行ったことはなかった。富士山と一緒で、遠くから見ていただけだった。遠くからもその均整のとれた姿は美しく、いかにも絵に描いたような城に見えた。
 江戸時代以前の城で天守を持っている城は、12しか現存しない。姫路城はそのうちの1つで、松本城、彦根城、犬山城とともに国宝に指定されている。いや、国宝というより、世界遺産に指定されている日本の唯一の城である。
 
 日本は、城のある町は観光地でもある。日本の各地域の拠点の町が、城下町として栄えた歴史もある。城の周りにはおおむね桜が植えてあり、春には花見の名所にもなる。日本の町の中心は、城であったと言ってもいいし、今でもそうあり続けているところも多い。
 姫路の町も、地図を広げると城が中心だと分かる。

 これが、ヨーロッパではまったく違ってくる。ヨーロッパの街を旅していて気づくのは、教会の異様な大きさと構造である。華麗だけでなく豪壮でもあり、人を畏れさせる威厳を誇る。ヨーロッパの教会の威容は、城をもしのぐ。
 日本人に人気の高い世界遺産でもあるフランスのモン・サン・ミッシェルなどは、修道院というより海に囲まれた要塞のようだ。実際、英国との百年戦争のときはその役目を果たした。
 ロマネスク、ゴシック、バロックとヨーロッパの建築様式は、教会とともに発達したといっていい。
 
 姫路城に間近に接してみると、その多様な日本の美の様式を見出すことができる。
 城の周りに張り巡らされた濠、門の中に入ると迷路のように作られた通行路、漆喰の白壁に刻まれた銃口穴、随所に配置された櫓(やぐら)、7層(地上6階、地下1階)にも上る天守閣。それらは戦いのために造られた建築物でありながら、華麗な装飾に満ちている。
 屋根の瓦には紋が刻まれ、窓は装飾に充ち、柱や垂木も製作者の美意識が滲んでいる。外から見ると、石造建築物のように見えるが、中に入ると木造建築物だと分かる。
 それなのに、高さは46m(建物31m、石垣15m)あり、天守閣からは姫路の町が見渡せる。

 夕刻、城から出ようとしたとき、入るときには気づかなかったが、城門の屋根の上に、鳥の彫刻があるではないか。鯱ではないし白鷺のようなので、これから白鷺城の異名があるのかと思った。
 しかし、その首が動いたので、それが生きている白鷺だと分かった。鳥はしばらく留まっていたが、やがて飛び立った。
 姫路城は、白鷺がまさに飛びたたんとする美しさに例えて、別名白鷺城と言うらしい。運良く、白鷺城で白鷺が飛び立つのを見ることとなった。

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◇ スティング

2008-10-03 02:54:57 | 映画:外国映画
 ジョージ・ロイ・ヒル監督 ポール・ニューマン ロバート・レッドフォード ロバート・ショウ 1973年米

 詐欺は良くないことであるが、詐欺師には悪質などうしようもない奴と、悪いことをしているのには違いないが憎めない奴の、2種類いるように思える。
 やはり面白いのは、小さな詐欺師が大きな悪党どもをだますという話である。それも、スケールが大きいほど、スリルに富んでいる。
 世の中、不景気になると詐欺師が横行する。

 「スティング」は、ジョージ・ロイ・ヒル監督による、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード共演の「明日に向かって撃て!」(1969年)に続く、2人のコンビによるヒット作品である。
 題名の「スティング」(Sting)は、刺す、痛みなどのほか、俗語として、だまし取るの意味もある。
 内容は、1930年代、詐欺師の話である。
 シカゴの街のチンピラ詐欺師(ロバート・レッドフォード)が、偶然に大物ギャング(ロバート・ショウ)の金をくすねてしまう。それで、相棒でもある師匠(詐欺師)が殺される。
 ギャングに仕返しするために、身を隠している伝説の詐欺師(ポール・ニューマン)のところへ行き、一緒に組んで大芝居を打ち、ギャングを貶めるという話である。
 ギャングをうまく騙し、巧妙におびき寄せ、罠にはまらせる段取りは、唸らせるものがあるが、時代設定が1930年代だからいいのだろう。今見ると、少し安直な仕組みだと思うところもあるが、それでも最後までスリリングに見せてくれる。

 ポール・ニューマンを一躍有名にしたのは、ビリヤードで金を稼ぐプロを描いた「ハスラー」(1961年)である。
 この映画以来、ニューマンは少し道を外した男を演じ続けているように思う。いや、そういう役があっているのだ。どこかに傷を持っているがために、太陽を真っ直ぐに見られない男の雰囲気を持っている。
 それに比べてレッドフォードの方は、端整な顔立ちに甘さもミックスされているので、役としても真の悪人にはなりきれない。やはりこの人は、バーバラ・ストライサンドとの「追憶」(1973年)や、ミア・ファローとの「華麗なるギャツビー」(1974年)のような、シリアスな恋物語があっている。
 
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◇ 氷壁の女

2008-10-01 01:20:39 | 映画:外国映画
 フレッド・ジンネマン監督 ショーン・コネリー ベッツィ・ブラントリー ランベール・ウィルソン 1982年米

 スイスの山小屋ロッジに、アルプス登山を楽しみにやってきた男と女。男は頭も薄くなった、初老の見るからに紳士で、女は若くてチャーミングで、20代であろうと思われる。
 二人は周りから父娘と思われたが、夫婦と名乗る。二人はロッジに着くやすぐにダンスを踊るなど、まるで新婚のように仲睦ましい。舞台は1932年であるが、親子ほど年の離れた夫婦など今ではよくある話で、そう珍しいものでもない。
 男は医者でダグラス(ショーン・コネリー)といい、妻の女はケイト(ベッツィ・ブラントリー)と言った。二人はイギリスから、アルプスの登山を楽しみに来たのだった。ダグラスは山の経験は豊富だが、ケイトは初めてである。
 登山のガイド役に選ばれたのが、若くて誠実そうな村の男ヨハン(ランベール・ウィルソン)。
 主な登場人物は、この3人と言っていい。

 原題は、「Five days one summer」、「ひと夏の5日間」とあるように、この山小屋ロッジからアルプス登山を行った3人による5日間の話なのである。
 ダグラスとケイトは実は叔父と姪の間係で、いつしか愛し合うようになり、ダグラスの妻の目を盗んでの旅だった。
 初日は、山は初めてというケイトも含めて3人で山を登る。ガイドのヨハンはケイトに少し心惹かれているようだ。ヨハンはケイトから、ダグラスがいないとき、実はダグラスには別に奥さんがいて、二人は結婚していないと聞かされる。それを聞いたヨハンは、すぐに別れないといけないとケイトに強く言う。
 ケイトはヨハンに会い、そして山に登って、そこで起こった出来事を経験することによって、少しずつ変わっていく。
 ケイトは、「私は、このままこの村へ残る」とダグラスに言いだす。
 最後の頂上への登山は急峻の難所なので、ヨハンとダグラスの2人で登ることになる。
 2人になったとき、ヨハンがダグラスの不倫を罵り、彼女が不幸だと言い放ったので、2人は掴み合いになる。
 山頂に登ったあと、下山の途中2人は落石に遭い、1人が谷底に落ちてしまう。

 この映画を見たとき、井上靖の「氷壁」を思い出した。
 こちらは、日本の北アルプス(アルプスなどと臆面もなくつけたものだ)の奥穂高が舞台だ。山に登った2人のうち、親友の切れるはずのないザイルが切れて、彼は死ぬ。なぜ? 疑惑と醜聞がたちこめる。
 こちらの物語も、2人の男の間に女が存在する。

 この映画は、愛の物語である。
 不倫であるが、愛しあっている2人。その2人きりの秘密のアルプス登山旅行は、幸せのように見える。
 アルプスの山小屋ロッジに着いたとき、ダグラスがケイトに言う。
 「幸せかい?」
 ケイトは、こう答える。
 「今日、この瞬間は幸せよ。でも、次の瞬間とても悲しくなるの。絶えられない…」
 愛があるから幸せとは限らない。いや、愛があるから、苦しみや悲しみがやっても来る。
 愛は、幸せと不幸せをもたらす。幸せだけの愛など、存在しない。

 この映画は、登山の映画である。
 美しいアルプスと、その急峻の山に登る姿が頻繁に登場する。ピッケルの使い方、ザイルの結び方など、知らない者にも登山の技術というのがよく分かる。
 しかし、危険を承知でどうして山に登るのかと勘ぐるのは、山に登ったことのない人間の戯言なのかもしれない。
 山登りには、アルプスの画面を見ているだけで楽しめる映画だろう。

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