今年の秋は、よく秋刀魚を食べた。
当初、外国漁船の乱獲により今年の秋刀魚は不漁というニュースが流れ、出始めは結構値段は高かったのだが、今年はあまり食べられないかもと思い、慌てるように買った。しかし、ほどなく一転して豊漁となったようで、例年並みの大衆的な値段に落ち着き、安心して買うことができた。
最近は、秋刀魚の旬も過ぎて、もうすぐなくなると食べられなくなるという思いもあって、毎日のようにスーパーに出向いて、棚に並んでいると買って帰る。
スーパーで1匹買って、ガスコンロの魚焼きグリルの網にアルミホイルを敷いて焼く。その時、同時に茄子を1個並べる。茄子も焼き茄子が一番美味い。
こうして、焼き秋刀魚と焼き茄子が、毎晩食卓に並ぶことになる。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
「秋刀魚の歌・佐藤春夫」
いやはや、佐藤春夫の気持ちはいざ知らず、僕は、その上に黄色き檸檬(レモン)の酸(す)をしたたらせて食べている。近くに人妻の気配もなく。
食後のデザートの果物は、今は柿である(梨もいいが)。
柿食えば、思い浮かぶは 柿絵皿(柿右衛門皿)
(なんとまぁ、苦しい句だね!)
* 磁器の産地、有田
柿右衛門といえば、有田である。
5月の黄金週間に田舎の佐賀に帰ったときは、いつも有田の陶器市に行っては、むやみに食器やコーヒーカップなどを買って帰った。その結果、家にある2つの食器棚には収まらず、閉めきった棚の中に使いもしない陶磁器が積んであるありさまだ。
振りかえれば、計画性も何もあったものではない。一人暮らしなのに、5客揃いでこんなに食器を買うなんて、何たることだ。
クローゼットに入りきれないほどの女性の服の買い集めも、こんなものかもしれないとふと思い、今になって納得した気分だ。
かつて婦人雑誌の編集者だった頃、有田の柿右衛門窯を見学させてもらって、先代(14代)の酒井田柿右衛門さんに話を伺ったことがある。
気さくな方で、気が向いたらふらりと旅に出て野の花をスケッチしたりするんですよ、と朴訥と語ってくれた。
* 山あいに潜む、不思議なツヴィンガー宮殿
ということで、ブラリとタモリもやって来た佐賀県の有田である。
有田は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、肥前・鍋島藩が現地から連れ帰った陶工、李参平(のちに日本名金ケ江姓)が泉山で磁器の源となる土(岩)を発見し、日本で初めて磁器の製造を始めた街である。
学生時代より何度も行った有田だが、数年前田舎に帰ったとき、有田の友人が有田の街を回って「ポーセリングパーク」に行ってみようと言って、車を走らせた。そういう名のところができているのは知っていたが、テーマパークのようなところはあまり興味がなかったので、今まで行ってみようという気も起きなかったのだ。
車は有田の市街から南の波佐見町の方に向かって走った。人も車もほとんど見受けない山あいを車は走って、曲がった道の奥に入ってたどり着いた。
入口から中に入り歩いていくと、いくつかの建物が散在している。酒店やレストランなどを見て、奥に行くと、広いエントランスを抱えた左右に広がった建物が姿を現した。なんと、それは西洋の城だった。(写真)
今まで、建物を見て息を飲んだことは滅多にない。
記憶をたどれば、最も驚いたのはスペインのバルセロナを旅した時、サグラダ・ファミリア駅のメトロの出口から地上に出て前方を見た時のことだ。そこに、いきなり威容とも異様とも思えるサグラダ・ファミリアの寺院が聳えていた。それは、まるで天に昇ろうとあがいている生身の生き物のように見えた。
初めてパリを訪れたときに見た、サクレクール寺院もノートルダム寺院も、街並に溶け込んでいたこともあってか、胸が騒ぐということはなかった。
日本でも、姫路城や厳島神社や新しく再建された東京駅を見たときも、思わず足が止まるということはなかった。
しかし、この有田の山あいに突如出てきた城には、思わず目を見張った。明らかに、日本ではない光景だったからだ。建物の背景も山並みで日本らしさが垣間見えるものではない。
ふとわれに帰れば、ここはどこだろうと思わせる。のどかな古い日本の街並がたたずむ有田の街とは打って変わって、威容で異様な光景が広がっているのだった。
正面のクラシックでデコラティブな門の中に入っていくと、奥には花に彩られた西洋式のバロック庭園が広がっていた。
創りあげられた「美」のなかに、不思議な違和感が息づいている。
実は、この建物はドイツのドレスデンにあるツヴィンガー宮殿を模したものである。
なぜ、この宮殿がここにあるのか?
ドイツのアウグスト王によって18世紀初頭に建てられたツヴィンガー宮殿には、当時ヨーロッパでは非常に貴重であった東洋の磁器が集められた。そのなかには、有田の柿右衛門をはじめとする皿や壺がいくつもあった。
アウグスト王は自国での磁器の開発・生産を命じ、ようやく近くのマイセンでヨーロッパ初の磁器の製造を成し遂げる。そこでは、有田の古伊万里や柿右衛門様式の絵柄に似せたものが多く作られた。
こういう歴史もあって、有田町とマイセン市は姉妹都市で、その流れのなかで有田のツヴィンガー宮殿は生まれたのだった。
「ポーセリングパーク」は1993年に開園したのであるが、人里離れた山あいに秘かにたたずむこの宮殿は、あまり知られてはいない。
しかし、2014年公開された映画「黒執事」(水嶋ヒロ・剛力彩芽主演)のロケ地になったことなどもあって、近年はコスプレの撮影地として秘かに知る人ぞ知る地になっているという。
そこへ行くと、無国籍的な気持ちにさせ、胸騒ぎをさせる不思議な雰囲気を醸し出している城(宮殿)である。
当初、外国漁船の乱獲により今年の秋刀魚は不漁というニュースが流れ、出始めは結構値段は高かったのだが、今年はあまり食べられないかもと思い、慌てるように買った。しかし、ほどなく一転して豊漁となったようで、例年並みの大衆的な値段に落ち着き、安心して買うことができた。
最近は、秋刀魚の旬も過ぎて、もうすぐなくなると食べられなくなるという思いもあって、毎日のようにスーパーに出向いて、棚に並んでいると買って帰る。
スーパーで1匹買って、ガスコンロの魚焼きグリルの網にアルミホイルを敷いて焼く。その時、同時に茄子を1個並べる。茄子も焼き茄子が一番美味い。
こうして、焼き秋刀魚と焼き茄子が、毎晩食卓に並ぶことになる。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
「秋刀魚の歌・佐藤春夫」
いやはや、佐藤春夫の気持ちはいざ知らず、僕は、その上に黄色き檸檬(レモン)の酸(す)をしたたらせて食べている。近くに人妻の気配もなく。
食後のデザートの果物は、今は柿である(梨もいいが)。
柿食えば、思い浮かぶは 柿絵皿(柿右衛門皿)
(なんとまぁ、苦しい句だね!)
* 磁器の産地、有田
柿右衛門といえば、有田である。
5月の黄金週間に田舎の佐賀に帰ったときは、いつも有田の陶器市に行っては、むやみに食器やコーヒーカップなどを買って帰った。その結果、家にある2つの食器棚には収まらず、閉めきった棚の中に使いもしない陶磁器が積んであるありさまだ。
振りかえれば、計画性も何もあったものではない。一人暮らしなのに、5客揃いでこんなに食器を買うなんて、何たることだ。
クローゼットに入りきれないほどの女性の服の買い集めも、こんなものかもしれないとふと思い、今になって納得した気分だ。
かつて婦人雑誌の編集者だった頃、有田の柿右衛門窯を見学させてもらって、先代(14代)の酒井田柿右衛門さんに話を伺ったことがある。
気さくな方で、気が向いたらふらりと旅に出て野の花をスケッチしたりするんですよ、と朴訥と語ってくれた。
* 山あいに潜む、不思議なツヴィンガー宮殿
ということで、ブラリとタモリもやって来た佐賀県の有田である。
有田は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、肥前・鍋島藩が現地から連れ帰った陶工、李参平(のちに日本名金ケ江姓)が泉山で磁器の源となる土(岩)を発見し、日本で初めて磁器の製造を始めた街である。
学生時代より何度も行った有田だが、数年前田舎に帰ったとき、有田の友人が有田の街を回って「ポーセリングパーク」に行ってみようと言って、車を走らせた。そういう名のところができているのは知っていたが、テーマパークのようなところはあまり興味がなかったので、今まで行ってみようという気も起きなかったのだ。
車は有田の市街から南の波佐見町の方に向かって走った。人も車もほとんど見受けない山あいを車は走って、曲がった道の奥に入ってたどり着いた。
入口から中に入り歩いていくと、いくつかの建物が散在している。酒店やレストランなどを見て、奥に行くと、広いエントランスを抱えた左右に広がった建物が姿を現した。なんと、それは西洋の城だった。(写真)
今まで、建物を見て息を飲んだことは滅多にない。
記憶をたどれば、最も驚いたのはスペインのバルセロナを旅した時、サグラダ・ファミリア駅のメトロの出口から地上に出て前方を見た時のことだ。そこに、いきなり威容とも異様とも思えるサグラダ・ファミリアの寺院が聳えていた。それは、まるで天に昇ろうとあがいている生身の生き物のように見えた。
初めてパリを訪れたときに見た、サクレクール寺院もノートルダム寺院も、街並に溶け込んでいたこともあってか、胸が騒ぐということはなかった。
日本でも、姫路城や厳島神社や新しく再建された東京駅を見たときも、思わず足が止まるということはなかった。
しかし、この有田の山あいに突如出てきた城には、思わず目を見張った。明らかに、日本ではない光景だったからだ。建物の背景も山並みで日本らしさが垣間見えるものではない。
ふとわれに帰れば、ここはどこだろうと思わせる。のどかな古い日本の街並がたたずむ有田の街とは打って変わって、威容で異様な光景が広がっているのだった。
正面のクラシックでデコラティブな門の中に入っていくと、奥には花に彩られた西洋式のバロック庭園が広がっていた。
創りあげられた「美」のなかに、不思議な違和感が息づいている。
実は、この建物はドイツのドレスデンにあるツヴィンガー宮殿を模したものである。
なぜ、この宮殿がここにあるのか?
ドイツのアウグスト王によって18世紀初頭に建てられたツヴィンガー宮殿には、当時ヨーロッパでは非常に貴重であった東洋の磁器が集められた。そのなかには、有田の柿右衛門をはじめとする皿や壺がいくつもあった。
アウグスト王は自国での磁器の開発・生産を命じ、ようやく近くのマイセンでヨーロッパ初の磁器の製造を成し遂げる。そこでは、有田の古伊万里や柿右衛門様式の絵柄に似せたものが多く作られた。
こういう歴史もあって、有田町とマイセン市は姉妹都市で、その流れのなかで有田のツヴィンガー宮殿は生まれたのだった。
「ポーセリングパーク」は1993年に開園したのであるが、人里離れた山あいに秘かにたたずむこの宮殿は、あまり知られてはいない。
しかし、2014年公開された映画「黒執事」(水嶋ヒロ・剛力彩芽主演)のロケ地になったことなどもあって、近年はコスプレの撮影地として秘かに知る人ぞ知る地になっているという。
そこへ行くと、無国籍的な気持ちにさせ、胸騒ぎをさせる不思議な雰囲気を醸し出している城(宮殿)である。