かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

日枝神社への初詣は、演奏会のあとで

2017-01-09 03:04:35 | * 東京とその周辺の散策
 1月7日、赤坂サントリーホールでの演奏会に行った。
CD制作と連携するスタイルで昨年2月から始められた、国際的に活動している吉野直子のハープ・リサイタルである。ブルーローズ(小ホール)とはいえチケットはすぐに満席になり、臨時の補助席が設けられるほどの人気である。
 プログラムは、ハープだけのために書かれたブリテン作曲の組曲、ヒンデミットおよびクシュネクのソナタ、そして後半が、ハーピストであるサルツェードの3曲であった。
 吉野直子さんの夫と親しいこともあって彼女の演奏はもう何度も聴いているが、これだけハープだけのソロで聴かせてくれる演奏家は、日本では彼女の右の出る者はいないのではなかろうか。

 *

 演奏会が終わったときは、まだ日も暮れていない夕暮れ時だ。
 7日といえばまだ松の内だ。演奏会を聴きにいった学生時代の同窓友人たちと、日枝神社に初詣に行くことにした。
 日枝神社は、サントリーホールのあるアークヒルズの前の六本木通りを溜息に向かい、ぶつかった外堀通りを左に赤坂見附の方に行ったすぐの山王下にある。
 通りに面して鳥居があり、階段の参道を登った先に社殿がある。菊の御紋が目についたと思ったら、ここはかつて官幣大社だった格式上位の神社なのである。
 そして、明治に定められた東京10社に指定されている。

 ちなみに、東京10社とは以下の通りである。
 ・根津神社
 ・神田明神
 ・亀戸天神社
 ・白山神社
 ・王子神社
 ・芝大神宮
 ・日枝神社
 ・品川神社
 ・富岡八幡宮
 ・赤坂氷川神社
 ※白山神社は、多摩市にある神社ではなく文京区白山にある神社である。

 三が日を過ぎたとはいえ、都心の真ん中にある神社だけあって参拝者はまだ多い。賽銭をあげるのに、並ばないといけないほどである。(写真)
 杯にお神酒をいただいた。
 日枝神社といえば、昨年9月におわら風の盆の踊りを見に富山に行ったおり、富山市内を散策しているとき日枝神社に行きついたことを思い出した。そのとき、東京にもあるしどこが本家なのだろうと思ったが、調べたら埼玉県川越市の日枝神社が最も古いようだ。
 しかし、今ではこの東京赤坂の日枝神社が最も有名だろう。東京にあるということは、そういうことなのである。とはいえ、東京の日枝神社がこれだけ人気があるのなら、歴史ある川越市の日枝神社にはもっと注目を浴びてほしいし、敬意が払われないと腑に落ちない。

 *

 日枝神社の裏参道を出て通りに向かって歩いていると、情緒ある少し云われのありそうな塀が目に入った。そこが都立日比谷高校だった。
 僕が受験生の頃、全国高校生の間で燦然と輝いていた超名門高校だ。旧制の府立1中で、ずっと東大合格者は断トツ1位だった。しかし、学校群制度の導入により東大合格者は急激に減少したが、近年復活しつつある。

 日比谷高校と聞いて思い出すのは、「赤ずきんちゃん気をつけて」で1969年の芥川賞作家となった庄司薫だ。庄司は日比谷高校・東大法学部卒の絵に描いたような当時のエリートコースの経歴で、ベストセラーになった一連の薫君シリーズの小説の主人公も著者と同じく日比谷高生である。
 彼は当時人気の美人ピアニストの中村紘子の名を小説の中に登場させ、のちにちゃっかり彼女と結婚してしまった。
 僕は作意的に饒舌で軽薄な文体とした庄司薫の小説はまったく好きになれなかったが(読むのもいやになったぐらいであったが)、「赤ずきんちゃん気をつけて」より10年前の、彼がまだ20歳の時に本名の福田章二で書いた「喪失」は衝撃だった。この小説は、僕にとって20歳の感性の標本となり、その後いつまでも不遜と自己嫌悪の間で揺れ動く僕の前に立ちはだかった。
 庄司薫の本は世間受けするために計算ずくで書いたもので、僕の本質は福田章二だよ、と冷笑しているように思えたものだ。しかし、彼は作家福田章二に戻ることなく、庄司薫を続けることもなく、中村紘子の夫になってしまった。

 日比谷高校の先には議員会館や自民党本部があり、ビルの間から国会議事堂が見える。
 日比谷高校の門が開いていたので入ってみた。この日は土曜日だし、それにまだ冬休みなのか授業は休みのようだ。
 門を入った正面の建物の中央頭部には時計があり、やはり風格が漂っている。その時計は大きさこそそう大きくはないが、東大の安田講堂の時計を想起させるものだ。生徒に、このまま東大へ行きなさいよと囁いているかのようである。門を入ったときから、情操教育を行っているのだ。
 日比谷高生は、このような環境で勉強していたのか?
 僕の通った、素朴な佐賀の温泉町の高校とはずいぶん違うなあ。

 *

 日も暮れてきたので、赤坂に出て昨年の暮れに行って美味しかった鰻屋に行くことにした。新年会を兼ねて、鰻を肴に熱燗の日本酒を飲んだ。
 正月の松の内も明け、今年も始まった。


コメント
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