かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

鶴川でシャンソンを

2016-05-31 01:09:05 | 歌/音楽
 鶴川駅といえば、小田急線で新宿から向かって新百合ヶ丘の先、町田の手前にある。駅の北側は東京都町田市であるが神奈川県川崎市がこの辺りは入り組んでいる。
 駅の北側には交通量の多い鶴川街道が走っていて、この道路一帯に店が集まっている。
 都心から車で多摩に帰るときは、この鶴川街道を通って小野路から多摩に抜けていた。また、新宿あたりで飲んでいて小田急多摩線の終電に遅れた場合は、まだ走っている相模大野方面の最終の電車で鶴川で降りて、タクシー乗り場に走ったりしたものである。
 だから、鶴川といえば通り過ぎるだけであった。
 何年か前に、初めて鶴川を歩いた。そのときは駅前のホールでコンサートがあり、それが終わったあと、白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅「武相荘」を訪れた。前から一度は行こうと思っていたところだった。
 武相荘は、鶴川駅から北へ歩いて行ける距離の少し高台にあった。
 中庭には入れたが、ちょうど門が閉まる時刻だったので家の外観を眺めて帰ってきた。緑に囲まれた情緒のある佇まいだった。和歌でも詠いたくなる環境だと思った。

 *

 5月21日夕方、鶴川の私邸で日野美子さんのシャンソン・コンサートがあった。日野さんのコンサートを聴くのは久しぶりだ。
 鶴川駅の北側の細い坂道を蛇行しながら登った先の高台に、そのコンサートが行われる浜田家はあった。
 坂の急峻を利用して玄関を挟んで上下各1階の3層の木造建築だった。建物は設計家の故尾角湛正氏によるもので、玄関を入るとリビングの向こうに青い空と多摩地域の街並みが広がっていた。
 地上の地下1階部分からは大きなヒメシャラ(姫沙羅)が伸びていて、その向こうにはヤマボウシ(山法師)が白い花(総苞)をつけている。地階から伸びた柱には、これまた枝と思わせる太いアケビ科のムベ(郁子)が 樹木のように伝っていた。
 まるで避暑地の別荘のような家だ。

 遠く青空が見える家で、夕暮れの日を背に日野美子さんが立つ。ギター伴奏は並木健司氏。
 開いた窓から、風が流れていく。コンサート会場やライブハウスとは、一味おもむき(趣)が違う。
 まずは、「サンジェルマンへおいでよ 」(Viens a Saint-Germain)から始まった。僕は初めて聴く歌だ。 ダニー・ブリアン自身の作詞作曲による1991年のデビュー作というから、シャンソンにしては比較的新しいといってもいい。
 この日は、「さくらんぼの実る頃」( Le Temps des cerises)といった古いシャンソンから、フレンチ・ポップスと呼ばれたミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」(Tout,tout pour ma chérie)、シルヴィー・ヴァルタンの「 思い出のマリッツァ」(La Maritza)などがあって楽しい。
 最後は大御所エディット・ピアフの「愛の讃歌」( Hymne à l'amour)、そして「水に流して」( Non, je ne regrette rien)。締めは日野さんの一八番「星に祈ろう」であった。
 久しぶりのシャンソンは心を若返らせる。

 *

 先日の朝日新聞の書評に興味深い記事(細野晴臣評)が載っていた。「田中角栄研究」で有名になった知の探究者である立花隆の新作が、「武満徹・音楽創造への旅」という音楽をテーマにしたものだということだ。
 そして、武満が音楽を志した動機というのが書かれていた。それによると、戦時中、学生の頃に聴いた敵性レコードで、それはリュシェンヌ・ボワイエの「パルレ・モア・ダムールParlez-moi d'amour 」(聞かせてよ愛の言葉を)だったという。この曲を聴いて武満は、「戦争が終わったら音楽をやろうと心に決め」たという。
 クラシックではなくシャンソンだったというところが嬉しくなった。

コメント (1)
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