今、佐賀の空には夢が広がる。いや、夢が浮かんでいる。運がよければ、それを見ることができる。
佐賀平野で、佐賀インターナショナルバルーンフェスタが行われているのだ。
バルーンは風船? いやいや、佐賀平野に浮かぶのは、もっと大きい熱気球である。
一度、バルーンに乗りたいと思っていた。いつの時代でも、空を飛ぶのは人間の夢である。
飛行機は、機械に運ばれているといった感じで、飛んでいるという気はしない。ハンググライダーは鳥のような気持ちにさせそうだが、少し勇気がいる。かつてモンブランの麓の町のシャモニーで、その機会を逃してしまった。
その点、バルーンは安全でゆったりとしていて、景色を堪能する余裕も持てそうだ。佐賀バルーンフェスタでも、乗ることができそうだが、早朝の定員先着順なので別の機会にして、まずはバルーンの競技を見に行こうと思いたった。
10月31日に始まった佐賀バルーンフェスタは、11月4日まで行われる。様々なイベントが編まれているが、バルーン競技は朝7時からと、午後3時からの2回行われる、予定である。あくまで予定なのは、天候次第ではすぐに中止になるという、デリケートな競技なのである。
初日の午後の部に合わせて、バルーンフェスタ会場に出向いた。
会場は、佐賀市の西のはずれ、佐賀平野の中ほどに流れる嘉瀬川の河川敷である。佐賀県の南部で有明海までなだらかに広がる田園地帯の佐賀平野は、高い建物がなく、バルーン飛行に適した格好の環境である。だから、何度か世界大会も行われているのだ。
この期間、JR長崎本線の鍋島駅と久保田駅の中間に位置する嘉瀬川陸橋付近に、臨時の駅「バルーン佐賀駅」が出現する。
広い河川敷の会場に行くと、テントがいくつも張られていて、車も何台も停まっている。テントの中に入ってみると、食べ物屋や名産物売り場、お祭りのような出店もある。
これはすごい。僕が見た限り、佐賀県最大のイベント会場のようである。来ている見物人も多い。実際の来場者数は知らないが、黄金週間の有田陶器市に迫りそうだ。
競技参加者に外国人も多いとあって、行き交う人に外国人が見受けられる。出店にトルコ料理店もあって、店の男がしきりに女の子に愛嬌を振りまいていた。インターナショナルなのも、佐賀県らしくなくて新鮮だ。
そもそも、バルーン競技は何を競うのかと思っていた。
競技種目はいくつかあるようだが、離陸したバルーンが離れたところに設定されたゴールにどれだけ近づけるかを競うのだそうだ。
バルーンは自由自在に操縦ができるわけではないので、風任せということになる。風の方向、強さは一定ではなく、高度によっても違ってくる。つまり、どのような風が吹いているかを見極め、それを巧みに捉えて乗らないといけない。でないと、ゴールになかなか近づけないことになるのだ。
ゴール地点に上手く近づいたら、地上のゴールの印に向かってバルーンからマーカー(砂袋)を落とし、より近くに落とすことによって得点を競うのである。
会場から一斉に飛び立つ競技と、会場がゴールになっている競技とあるそうだが、この日は会場から一斉に飛び立った。
広い河川敷の会場に、番号ごとに何十個もペチャンコになった気球が寝かせてある。
バルーンが飛ぶか飛ばないかは、開始時間の30分前に決まるとある。
開始は午後3時だが、天候を調べてかなかなか始まらない。空を見ると快晴ではないが、穏やかな天気だ。青空ものぞいている。風も強くないと思うのだが、それでも、上空の風を見ているようで、やっと開始時間の30分過ぎにスタートの合図がなされた。
僕は関係者でないのだが、バルーンのすぐ近くで見物させてもらうことにした。
ペチャンコになった気球に、スタッフによって風が送り込まれて次第に丸く膨らんでくる。そして、電球の形をした気球になって、立ち上がる。最後にバーナーで熱気を噴きつける。すると、すっと浮かびあがる。飛び立ちだ。
遠くに、すでに浮かんでいるのもある。あちこちで、浮かび出した。それぞれ形は同じだが、色とりどりで綺麗だ。さらに上空に揚がると、飛んでいるというより浮かんでいるといった感じだ。(写真)
何十基ものバルーンが、空に浮かんでいる。
それらは、いつしか小さくなって、そして見えなくなっていった。風に吹かれて、行ってしまった。見物していた人たちも立ち上がり、徐々に数が少なくなっていく。
あのバルーンたちはどこへ行ったのだろうと思って、河川敷でパンフレットを売っていた関係者に訊いてみたが、アルバイトの学生でよくわからなかった。やはり、同じ疑問を持っていた若い外国人の女性が、あのバルーンはここに戻ってくるのか、と訊いている。3人で考えた。
僕たちは、バルーンは戻ることはないだろうという勝手な結論を出して、会場を後にした。彼女はベネティア近くに住むイタリア人で、福岡の大学に短期留学に来ていた学生だった。
思わぬ国際交流も楽しめる、インターナショナルな佐賀バルーンフェスタだった。
*
翌日、11月1日、朝、電話で起こされた。僕が前日バルーンを見に行ったのを知っている、同じ町に住んでいる中学時代の同級生が、すぐに江北町の方を見てみろ、バルーンがいっぱい飛んでいるぞ、と言って電話を切った。
江北町とは、JR駅でいえば肥前山口駅周辺で、佐賀平野の中央あたりにあり、僕のいる町の隣町である。僕は起きて、近くの高台に行き、江北町の方を見た。
遠くバルーンが数基見えた。この日、朝飛び立ったバルーンがここに飛んできたのだ。バルーンはさらに西の方に流れ、白石町の方に向かっていた。
そうか、どこへ行くのだろうかと疑問に思っていた、嘉瀬川の河川敷の会場を旅たったバルーンは、数キロ離れている江北町、白石町を目指して飛んでいたのか。
白石町は農業の町で、田んぼが広がる。僕は、バルーンはどこに着地するのだろうかと思いながら、じっと見ていた。バルーンは、白石町の薄靄の田んぼの中に沈んでいった。今すぐにでも、そこへ自転車で飛んでいきたかったが、バルーンが見えなくなったのを見届けて、家に帰って、湯を沸かしてお茶を飲んだ。
起きて、一杯の緑茶を飲むのが日課である。
疑問に思っていた、飛んでいったバルーンの行方がわかって安心した。
佐賀平野で、佐賀インターナショナルバルーンフェスタが行われているのだ。
バルーンは風船? いやいや、佐賀平野に浮かぶのは、もっと大きい熱気球である。
一度、バルーンに乗りたいと思っていた。いつの時代でも、空を飛ぶのは人間の夢である。
飛行機は、機械に運ばれているといった感じで、飛んでいるという気はしない。ハンググライダーは鳥のような気持ちにさせそうだが、少し勇気がいる。かつてモンブランの麓の町のシャモニーで、その機会を逃してしまった。
その点、バルーンは安全でゆったりとしていて、景色を堪能する余裕も持てそうだ。佐賀バルーンフェスタでも、乗ることができそうだが、早朝の定員先着順なので別の機会にして、まずはバルーンの競技を見に行こうと思いたった。
10月31日に始まった佐賀バルーンフェスタは、11月4日まで行われる。様々なイベントが編まれているが、バルーン競技は朝7時からと、午後3時からの2回行われる、予定である。あくまで予定なのは、天候次第ではすぐに中止になるという、デリケートな競技なのである。
初日の午後の部に合わせて、バルーンフェスタ会場に出向いた。
会場は、佐賀市の西のはずれ、佐賀平野の中ほどに流れる嘉瀬川の河川敷である。佐賀県の南部で有明海までなだらかに広がる田園地帯の佐賀平野は、高い建物がなく、バルーン飛行に適した格好の環境である。だから、何度か世界大会も行われているのだ。
この期間、JR長崎本線の鍋島駅と久保田駅の中間に位置する嘉瀬川陸橋付近に、臨時の駅「バルーン佐賀駅」が出現する。
広い河川敷の会場に行くと、テントがいくつも張られていて、車も何台も停まっている。テントの中に入ってみると、食べ物屋や名産物売り場、お祭りのような出店もある。
これはすごい。僕が見た限り、佐賀県最大のイベント会場のようである。来ている見物人も多い。実際の来場者数は知らないが、黄金週間の有田陶器市に迫りそうだ。
競技参加者に外国人も多いとあって、行き交う人に外国人が見受けられる。出店にトルコ料理店もあって、店の男がしきりに女の子に愛嬌を振りまいていた。インターナショナルなのも、佐賀県らしくなくて新鮮だ。
そもそも、バルーン競技は何を競うのかと思っていた。
競技種目はいくつかあるようだが、離陸したバルーンが離れたところに設定されたゴールにどれだけ近づけるかを競うのだそうだ。
バルーンは自由自在に操縦ができるわけではないので、風任せということになる。風の方向、強さは一定ではなく、高度によっても違ってくる。つまり、どのような風が吹いているかを見極め、それを巧みに捉えて乗らないといけない。でないと、ゴールになかなか近づけないことになるのだ。
ゴール地点に上手く近づいたら、地上のゴールの印に向かってバルーンからマーカー(砂袋)を落とし、より近くに落とすことによって得点を競うのである。
会場から一斉に飛び立つ競技と、会場がゴールになっている競技とあるそうだが、この日は会場から一斉に飛び立った。
広い河川敷の会場に、番号ごとに何十個もペチャンコになった気球が寝かせてある。
バルーンが飛ぶか飛ばないかは、開始時間の30分前に決まるとある。
開始は午後3時だが、天候を調べてかなかなか始まらない。空を見ると快晴ではないが、穏やかな天気だ。青空ものぞいている。風も強くないと思うのだが、それでも、上空の風を見ているようで、やっと開始時間の30分過ぎにスタートの合図がなされた。
僕は関係者でないのだが、バルーンのすぐ近くで見物させてもらうことにした。
ペチャンコになった気球に、スタッフによって風が送り込まれて次第に丸く膨らんでくる。そして、電球の形をした気球になって、立ち上がる。最後にバーナーで熱気を噴きつける。すると、すっと浮かびあがる。飛び立ちだ。
遠くに、すでに浮かんでいるのもある。あちこちで、浮かび出した。それぞれ形は同じだが、色とりどりで綺麗だ。さらに上空に揚がると、飛んでいるというより浮かんでいるといった感じだ。(写真)
何十基ものバルーンが、空に浮かんでいる。
それらは、いつしか小さくなって、そして見えなくなっていった。風に吹かれて、行ってしまった。見物していた人たちも立ち上がり、徐々に数が少なくなっていく。
あのバルーンたちはどこへ行ったのだろうと思って、河川敷でパンフレットを売っていた関係者に訊いてみたが、アルバイトの学生でよくわからなかった。やはり、同じ疑問を持っていた若い外国人の女性が、あのバルーンはここに戻ってくるのか、と訊いている。3人で考えた。
僕たちは、バルーンは戻ることはないだろうという勝手な結論を出して、会場を後にした。彼女はベネティア近くに住むイタリア人で、福岡の大学に短期留学に来ていた学生だった。
思わぬ国際交流も楽しめる、インターナショナルな佐賀バルーンフェスタだった。
*
翌日、11月1日、朝、電話で起こされた。僕が前日バルーンを見に行ったのを知っている、同じ町に住んでいる中学時代の同級生が、すぐに江北町の方を見てみろ、バルーンがいっぱい飛んでいるぞ、と言って電話を切った。
江北町とは、JR駅でいえば肥前山口駅周辺で、佐賀平野の中央あたりにあり、僕のいる町の隣町である。僕は起きて、近くの高台に行き、江北町の方を見た。
遠くバルーンが数基見えた。この日、朝飛び立ったバルーンがここに飛んできたのだ。バルーンはさらに西の方に流れ、白石町の方に向かっていた。
そうか、どこへ行くのだろうかと疑問に思っていた、嘉瀬川の河川敷の会場を旅たったバルーンは、数キロ離れている江北町、白石町を目指して飛んでいたのか。
白石町は農業の町で、田んぼが広がる。僕は、バルーンはどこに着地するのだろうかと思いながら、じっと見ていた。バルーンは、白石町の薄靄の田んぼの中に沈んでいった。今すぐにでも、そこへ自転車で飛んでいきたかったが、バルーンが見えなくなったのを見届けて、家に帰って、湯を沸かしてお茶を飲んだ。
起きて、一杯の緑茶を飲むのが日課である。
疑問に思っていた、飛んでいったバルーンの行方がわかって安心した。