かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

佐賀城下で、「世界遺産への道」を思う

2010-04-01 02:38:30 | 気まぐれな日々
 3月の終わり、佐賀城下の堀割りを歩いた。
 おりしも、桜が満開だ。
 佐賀城跡・本丸歴史館からさらに南に行くと、大きな堀が左右に広がり、それは城を四角く囲むように伸びていく。かつてこの堀には蓮の群れが繁っていたが、今はない。
 堀に沿って伸びる遊歩道には、満開の桜の淡いピンクが連なっている。水辺の桜は、儚さを醸し出して、その魅力に付加価値を与えている。(写真)
 例年なら東京にいて、皇居の堀端の千鳥が渕の桜を堪能していたことだろう。
 佐賀の桜を見るのはいつ以来だろうか。会社勤めの頃はこの季節帰省しないし、その後フリーになっても帰っていないので、そう思うと学生時代以来になるのかもしれない。
 先日、小学校の前を通ったら、校門の脇に桜の木があり、花を咲かしていた。僕が入学したときも咲いていたに違いない。記憶は遠くおぼろげだ。
 学校と城に、桜はよく似合う。
 桜は、じっと冬を耐え忍んできたかのように一気に咲き誇り、惜しむ間もなくはらはらと散っていく。卒業と入学・入社、出会いと別れがやって来る、この季節に照準を合わせたかのように咲く桜。その散り際を、武士の潔さに例えられもした。

 この3月、佐賀城本丸歴史館にて、「世界遺産への道」と題したテーマ展を開いていた。外の桜を見ながら、展示場をのぞいた。
 現在、世界遺産の暫定リストに登録している「九州・山口の近代化産業遺産群」に向けての展示である。
 ずっと鎖国を続けていた日本は、江戸幕末期、西洋列強国の日本への接近により、やむを得ず開国し、明治維新後、急速に西洋技術の導入、近代化を進めていった。それを担っていたのが、九州・山口に起こった軍事、石炭、製鉄、造船、紡績などの産業群であった。
 世界遺産へ向けての産業遺産群の候補地には、福岡の三池炭鉱跡、八幡製鉄所跡、下関の前田砲台跡、長崎の造船所、高島・端島炭鉱跡、鹿児島の旧集成館跡、山口の萩反射炉跡、恵美須ヶ鼻造船所跡、ほかの候補地が挙げられている。
 佐賀からは、当初、唐津にある石炭王、高取伊好の邸宅が挙げられていたが、時代的に少し後だということ、それより幕末期に最も近代技術開発が進んでいた佐賀藩の工業技術跡が重要だということで、そのなかの一つ、「三重津海軍所跡」がリストアップされた。

 長崎湾岸の警備を担当していた佐賀藩は、幕末期、三重津(現佐賀市川副町・諸富町)で、独自に海軍技術の教練を行っていた。幕府が、長崎に置いていた長崎海軍伝習所を廃止したことにより、ここにその施設を移し、やがて日本初の蒸気船「涼風丸」の建造に成功させた。
 佐賀藩の近代化遺産には、このほか、日本初の反射炉で製鉄大砲を製造した、「築地(ついじ)反射炉跡」。
 浦賀に現れた黒船の来航に危機感を持った幕府は、江戸湾に砲台を設置するため、佐賀藩に大砲鋳造を依頼する。そのために造られた、「多布施反射炉跡」。その遺構は、現在でも東京のお台場に残っている。
 また、佐賀藩が進めた、洋書の翻訳、薬剤や煙硝の試験、蒸気機関や電信機の研究などを行った理化学研究所である「精錬方跡」、などがある。
 しかし、これらについての記録はあるものの、現在建造物等は何も残っていない。
 それで県と市は、最近、三重津海軍所跡(川副町)での発掘調査を行い、ドッグの遺構の跡と思われる杭などを発見した。
 今回の佐賀城本丸歴史館での「世界遺産への道」の展示は、三重津海軍所関連の跡地からの出土遺物、反射炉や蒸気機関の図、などを公開したものだ。

 福岡や長崎には、炭鉱の跡も多く残っている。残したというより無人島となって残っていた長崎の軍艦島と呼ばれている端島も、近代化産業遺産群の候補地であり、廃墟ブームもあって、いまや人気の観光スポットだ。
 ひるがえって佐賀県だが、唐津、多久、北方、大町、江北町などに優良な炭鉱所があったが、その施設や建築物はほとんど残っていない。多久にわずかに放置されたように残っているが、どの町にも産業遺産あるいは町の遺産として残しておこうという考えは、まったくなかったようだ。
 最近、「人間魚雷」と呼ばれる特殊潜水艇の工場だったとも言われる、伊万里市の「川南造船所跡」が、老朽化して危険だという理由で1年以内に撤去されることになった。昭和初期に当初ガラス工場として建てられたこの建物は、廃墟ファンには有名なところだ。僕も知らずに偶然この建物の前を車で通ったことがあるが、ひと目見て強いインパクトを受け、車を止めてしばし見入ったものだった。
 新聞報道によると、この建物の撤去関連費用に、市は2010年度に1億1300万円を当初予算案に計上したとされるが、保存をできないものなのかと思ってしまう。
 佐賀は、過去の歴史をかんがみても、おしなべて保存とPRに非積極的なように思える。それでいて、「佐賀はなんもなか」と自虐的に話す人が多い。そんなことはないのに。
 世界遺産に登録された島根の石見銀山跡(大田市)を、世界遺産に登録される前に行ったことがある。そこで、地元の人たちの、町並みと銀山跡の保存に対する強い情熱と一体感を感じた。

 佐賀が輝きを取り戻すためには、佐賀にあるものを自ら見出し、自ら密やかにでも育てなくてはならない。
 今は、せめて周りにある桜を、しばし楽しもう。すぐに、惜しげもなく散ってしまうのだから。
 散りゆくもの、消えていくものの中に、密かに「美」が隠されているのだ。
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