監督:ジャン・ダニエル・ポレ(1話) ジャン・ルーシュ(2話) ジャン・ドゥーシェ(3話) エリック・ロメール(4話) ジャン・リュック・ゴダール(5話) クロード・シャブロル(6話)
出演:ミシュリーヌ・ダクス(1話) ナディーヌ・バロー(2話) バーバラ・ウィルキンド(3話) ジャン・ミシェル・ロジェール(4話) ジョアンナ・シムカス(5話) ステファーヌ・オードラン(6話) 1965年仏
ヌーヴェル・ヴァーグ、つまりフランスから始まった映画の新しい波は、1950年代後半から60年代の全世界の映画界を席巻したと言っていい。
日本にもその波は押し寄せ、大島渚や吉田喜重などの松竹ヌーヴェル・ヴァーグをはじめ、篠田正浩、蔵原惟繕などが影響を受け開花させた。さらに、本家ヌーヴェル・ヴァーグに影響を及ぼしたといわれる中平康の名も付け加えなければならないだろう。
このヌーヴェル・ヴァーグは、狭義の意味ではフランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の主催者アンドレ・バザンの思想性の影響の元に制作された、ジャン・リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメールなどの、監督たちの作品を指した。
しかし、広くはアラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダなどのモンパルナス界隈に集まっていたドキュメンタリー出身の左岸派も含めて総称されるようになった。
この波は、映画にとどまらず、サルトルをはじめとするフランス実存主義者や、ヌーヴォー・ロマンと称せられたアラン・ロブグリエ、マルグリッド・デュラスなどの(相互)影響もあった。
この映画「パリところどころ」は、パリの街をモチーフに、当時のヌーヴェル・ヴァーグと称される監督たちのオムニバス映画である。
40年前のパリの街角が映し出される。
最も瞠目すべき作品は、第2話のジャン・ルーシュ監督による「北駅」である。
北駅近くにアパルトマン(日本ではマンション)を買った新婚夫婦が、出勤前の朝の部屋で映し出される。そこで、家(部屋)を買ったのはいいが、すぐ近くで工事が始まって煩く、買ったのは間違いだったと女性が言い出し、夫婦喧嘩になる。
女性は、今夜は帰らないと言い放って家を飛び出し会社に向かった。女性が道路を渡ろうとした際に接触しようとした車から男が出てきて、謝った。そして、歩きながら女性に話し出す。男は真面目で金持ちそうである。
謝っていた男性は、このまま二人でどこかへ行きませんかと誘う。そして、ついには空港へ行って、どこか遠くへ出かけないかと話は、非現実的であるが魅惑的な方向にいく。とは言っても、男は詐欺師のようではないし、金はありそうな紳士である。
女性は、男に好感は持てたものの、これから会社があるし、一緒に行かないと断わる。
なおも、男性は誘い、言葉を続ける。
「何げない出会いも、運命の象徴になりえます」
「突然どこかに行きたくなる。通りすがりの見知らぬ人と」
「人は相手を知れば知るほど、逃げたいと思う」
「秘密が消えると、愛は消える」
男の言う言葉は哲学的で、多くの知己に富んでいる。
「例えば、闘牛です」と男は言って、言葉を繋ぐ。
「いつも牛と闘牛士が戦う。どちらかが死ぬ。同じことの繰り返しだが、戦う相手は毎回違う」
「男女の出会いも有史以来同じことの繰り返しだ」
女性は「どちらかが死ぬの?」と質問する。
男は「死が怖い?」と逆に質問する。
女性は「誰でも怖いわ」と応える。
男は言う。
「君は人生を愛し、秘密が好きだね」
「じゃあ、行こう。我々は死よりも強い」
女性は、それでも冷たく「話もあなたも魅力的よ。でも行かないわ」と答える。
すると男は打ち明ける。
「実は、今日、自殺しようと思っていた。しかし、あなたの笑顔に会って考えが変わった。賭けてみようと思った。もし、あなたが同意してくれたら、私に不可能はない」と。
だから、ぜひハイと言ってほしいと頼む。
それを聞いても、女性はハイとは言わないで、断わる。
すると、男は、陸橋の上に登るやいなや、その向こうへ飛び落ちる。女性は叫ぶが、地面に叩きつけられた男をカメラが上から映し出す。
この間15分ほどを、カメラはほとんどカットなしで撮り続ける。
最もヌーヴェル・ヴァーグらしい作品と言える。
ジャン・リュック・ゴダール監督による第5話も面白い。
付きあっていた男を二股にかけていた女性が、速達を二人に出すが中を間違えて投函し、2人のところに行って何とか言い訳し、ごまかそうとする話である。
主演のジョアンナ・シムカス(「冒険者たち」など)が可愛い。彼女は「招かれざる客」で共演したシドニー・ポアチエと結婚し、早々と映画界を引退してしまった。
出演:ミシュリーヌ・ダクス(1話) ナディーヌ・バロー(2話) バーバラ・ウィルキンド(3話) ジャン・ミシェル・ロジェール(4話) ジョアンナ・シムカス(5話) ステファーヌ・オードラン(6話) 1965年仏
ヌーヴェル・ヴァーグ、つまりフランスから始まった映画の新しい波は、1950年代後半から60年代の全世界の映画界を席巻したと言っていい。
日本にもその波は押し寄せ、大島渚や吉田喜重などの松竹ヌーヴェル・ヴァーグをはじめ、篠田正浩、蔵原惟繕などが影響を受け開花させた。さらに、本家ヌーヴェル・ヴァーグに影響を及ぼしたといわれる中平康の名も付け加えなければならないだろう。
このヌーヴェル・ヴァーグは、狭義の意味ではフランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の主催者アンドレ・バザンの思想性の影響の元に制作された、ジャン・リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメールなどの、監督たちの作品を指した。
しかし、広くはアラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダなどのモンパルナス界隈に集まっていたドキュメンタリー出身の左岸派も含めて総称されるようになった。
この波は、映画にとどまらず、サルトルをはじめとするフランス実存主義者や、ヌーヴォー・ロマンと称せられたアラン・ロブグリエ、マルグリッド・デュラスなどの(相互)影響もあった。
この映画「パリところどころ」は、パリの街をモチーフに、当時のヌーヴェル・ヴァーグと称される監督たちのオムニバス映画である。
40年前のパリの街角が映し出される。
最も瞠目すべき作品は、第2話のジャン・ルーシュ監督による「北駅」である。
北駅近くにアパルトマン(日本ではマンション)を買った新婚夫婦が、出勤前の朝の部屋で映し出される。そこで、家(部屋)を買ったのはいいが、すぐ近くで工事が始まって煩く、買ったのは間違いだったと女性が言い出し、夫婦喧嘩になる。
女性は、今夜は帰らないと言い放って家を飛び出し会社に向かった。女性が道路を渡ろうとした際に接触しようとした車から男が出てきて、謝った。そして、歩きながら女性に話し出す。男は真面目で金持ちそうである。
謝っていた男性は、このまま二人でどこかへ行きませんかと誘う。そして、ついには空港へ行って、どこか遠くへ出かけないかと話は、非現実的であるが魅惑的な方向にいく。とは言っても、男は詐欺師のようではないし、金はありそうな紳士である。
女性は、男に好感は持てたものの、これから会社があるし、一緒に行かないと断わる。
なおも、男性は誘い、言葉を続ける。
「何げない出会いも、運命の象徴になりえます」
「突然どこかに行きたくなる。通りすがりの見知らぬ人と」
「人は相手を知れば知るほど、逃げたいと思う」
「秘密が消えると、愛は消える」
男の言う言葉は哲学的で、多くの知己に富んでいる。
「例えば、闘牛です」と男は言って、言葉を繋ぐ。
「いつも牛と闘牛士が戦う。どちらかが死ぬ。同じことの繰り返しだが、戦う相手は毎回違う」
「男女の出会いも有史以来同じことの繰り返しだ」
女性は「どちらかが死ぬの?」と質問する。
男は「死が怖い?」と逆に質問する。
女性は「誰でも怖いわ」と応える。
男は言う。
「君は人生を愛し、秘密が好きだね」
「じゃあ、行こう。我々は死よりも強い」
女性は、それでも冷たく「話もあなたも魅力的よ。でも行かないわ」と答える。
すると男は打ち明ける。
「実は、今日、自殺しようと思っていた。しかし、あなたの笑顔に会って考えが変わった。賭けてみようと思った。もし、あなたが同意してくれたら、私に不可能はない」と。
だから、ぜひハイと言ってほしいと頼む。
それを聞いても、女性はハイとは言わないで、断わる。
すると、男は、陸橋の上に登るやいなや、その向こうへ飛び落ちる。女性は叫ぶが、地面に叩きつけられた男をカメラが上から映し出す。
この間15分ほどを、カメラはほとんどカットなしで撮り続ける。
最もヌーヴェル・ヴァーグらしい作品と言える。
ジャン・リュック・ゴダール監督による第5話も面白い。
付きあっていた男を二股にかけていた女性が、速達を二人に出すが中を間違えて投函し、2人のところに行って何とか言い訳し、ごまかそうとする話である。
主演のジョアンナ・シムカス(「冒険者たち」など)が可愛い。彼女は「招かれざる客」で共演したシドニー・ポアチエと結婚し、早々と映画界を引退してしまった。