かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ それでもボクはやっていない

2008-03-02 13:38:03 | 映画:日本映画
 周防正行監督 加瀬亮 役所広司 瀬戸朝香 山本耕史 小日向文世 2007年

 世に、濡れ衣、冤罪は多く存在するのだろう。
 やっていないのに、やったとされる。それで、逮捕されたとする。しかし、真実を裁く裁判では真実を分かってもらえ、裁判長は真実の判決を下してくれる、と誰もが思うに違いない。
 映画は、電車の中で女子中学生に痴漢行為をしたとして、警察に連行・逮捕された男性(加瀬亮)の、無実を訴えた裁判の記録である。
 この種の裁判では99.9%が有罪になると言う。いや、裁判になる前に、多くの人が犯行を認めて示談にして、早期に保釈を願う人が多いという。やっていようがやっていまいが、警察が、いや弁護士すらも、そのように持っていくのだと言う。
 この映画では、訴えられて逮捕された主人公は、身に覚えがないので、終始警察でも否認し続ける。たまたま被害者の女の子の後ろに立っていて、背広の裾が電車に挟まれてもぞもぞ動いたのが犯人と誤解されたようだ。
 警察では執拗に追求されるが、早く帰るために、やっていないのにやったと認めるわけにはいかない。結果、裁判になる。
 裁判では、検証が行われ、検事、弁護士のやりとりがある。証人の喚問もある。
 映画を見るものは、この裁判がどうなるのか、傍聴席で見ているような気分になる。彼は、当然やっていないのだから、無罪になると思う。いや、無罪であるべきだと思う。
 しかし、裁判では……
 
 この映画は言う。
 裁判は、真実を明らかにするところではない。
 集められた証拠、材料によって、とりあえず有罪か無罪にする場所にすぎない。

 真実は神のみぞ知る、とよく言われる。裁判所、裁判官は神でないということを知らなくてはいけない。そして、神はどこにいるか分からないということを。
 明日は、自分が痴漢容疑で、いやその他の誤認容疑で逮捕されるかもしれない。

 主人公の純粋な若者を加瀬亮が好演している。人間味ある弁護士に、役所広司、瀬戸朝香がいい味を出している。小日向文世が、嫌みな裁判長を演じているのも適役だ。
 いい映画ではあるが、これが2007年の日本の映画賞を総なめしたとは、日本映画界が小粒になった感は否めない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする