即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

棋士の根源的な魅力について

2010年11月17日 11時51分05秒 | 将棋
以前も下記のようにいろいろ書きましたが、団鬼六先生の話です。

近代将棋最終号と囲碁将棋ジャーナル
将棋の100年後
世事にうといこと
名人戦第四局に向けて

つい最近、新刊が出たようです。将棋の話もあるようなので、近々読ませていただきます。
死んでたまるか 自伝エッセイ
団 鬼六
講談社


今日は、将棋世界12月号から連載(隔月)が始まった「鬼六おぼろ談義ー棋士交遊録」というエッセーについて。

団先生の持ち味がとてもよく出ていて、思わず惹き込まれてしまいました。

ご本人もブログでこう書かれています。
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三度のメシより将棋が好きで、
何よりも棋士を愛す。

老いも病いも踏み越えて
自称「将棋バカ」作家が
愛情と哀愁を込めて綴る痛快人生エッセイ
いよいよスタート!

「棋士として勝負師の魅力はもとより、
一人の男、女としての魅力を書き残して置きたい」

                   -団鬼六
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いかにも団先生らしい筆致で、鬼六ワールド全開です。
これからどんな逸話が飛び出すのか、まだ見ぬ棋界の裏側を見せてくれるのか、本当に楽しみです。

特に今回のコラムのこの部分、とても共感します。(一部引用させてもらいます。)
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私は昔から将棋を愛すると同時にどういうわけか棋士が好きだった。

何故、棋士が好きかというと棋士には大人の世界の悪徳的なものから解放された幼児性があるからである。

囲碁にしろ、将棋にしろ、それぞれの棋士は碁を打つ、将棋を指す、という専門部分のみに価値があるのであって、その棋士から専門的部分を取り除いて価値付けようとすると、万事、全て素人くさくてまるで値打ちがない。

その世事に疎いということ、碁、将棋抜きではこの棋士は語れない、ということが棋士というものの魅力に感じられたものだ。

とにかく小学校、中学校時代から奨励会に飛び込んで、将棋一筋に育ってきている人間というものは何か大人になり切れない子供っぽさを持っているものである。

俗世界に毒されてしまった私などは彼らと接することで、ふと魂の安らぎを感じることもある。

大人の世界に加わる前の自由で奔放な少年時代を若い棋士、いや、中年棋士、いや、老年棋士からも充分嗅ぎとることができるのだ。
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僕のように観る将棋ファンとして感じる「将棋」というものの魅力。
その大部分はここに書かれているような棋士そのものの魅力に他ならないと思う。

プロとして、一生、勝負というものに向き合い、それを生業にし、9×9の升目、盤上に人生のすべてを賭ける。
そこには、政治とか、ビジネスの世界などによくあるような、団先生がいみじくも書かれている「大人の世界の悪徳的なもの」は存在しない。

そういう俗世界と切り離されたところで、勝ち負け、とか、没頭、の世界でずっと生きてきたことが、“子供っぽい”などと一言では言い尽くせない魅力を育んできた。

普通の人間では考えられないほど凝縮された集中力や独特の嗅覚。
俗世間の汚れがついてないから、限りなく透き通っているし、研ぎ澄まされている。

温和な人格や優しい人間性も含め、特に強い棋士に満ち溢れている限りない魅力。

そして、いくつになってもふとした時に垣間見られる、少年(少女)のような表情、しぐさ。

自由で奔放で、真っ直ぐで勢いがある。

盤を前にした時の凛として美しい棋士のたたずまい。

将棋ファンとして、棋士の方々といろんな形で触れ合ったりさせてもらいつつ、その魅力の一端を味わえることが本当に幸せなことだと感謝しています。

ますます棋士ならではの魅力を存分に振りまきつつ、将棋の魅力を発信していってください。
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