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即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

ブログ開設5周年

2011年09月19日 17時10分53秒 | ブログ
ついに5周年です。

5年前の今日(2006.9.19)、何が何だかわからないけど、ブログというものをやってみようか、ということで、初めてアップした記事がこれ。
初めてのブログ
なんとも初々しい。
3日坊主かもしれないし、とりあえずお試しでちょこっとだけやってみようと思い立って、早5年。
毎年振り返って書いた記事がこれ。
ブログ1周年(2007)
ブログ開設2周年(2008)
ブログ開設3周年(2009)
ブログ開設4周年(2010)

あんまり更新できなかった時もあったけど、それほど長期離脱もなく、よく続いたもんだ。
継続は力なり。

Danchoさんssayさん川島さん風屋さん、そして振られ飛車さん英さん、など、当初の頃からのブログ仲間が盛り立ててくれたのが大きいです。
途中からメインのようにもなった将棋関連だけでなく、線路関連、テレビやメディア関連、震災関連などの記事もつれづれなるままにいろいろ書いてきて、コメントやTBをいただくことも含め、たくさんの方々に遊びに来ていただきました。

数えてみたら、5年間でちょうど1500の記事を書いていました。(この記事を入れて)
5で割ると、300/年。
年間300かあ。
よくできました。

5年間も、こんなにずっと記事を書いてきて、それだけ膨大な時間使ってきて、
一体何になったの?
なんかの役に立ったわけ?

これ、人から言われる事もあるし、いつも自分に問いかけてるテーマです。

他にやること、やらなければならないことは山ほどあるし、そんな時間を犠牲にしてまで、毎日のように書き続ける意味ってなーに?
それほどの代償を払ってまで一生懸命書いたところで、誰が見てるかもわからないし、たいした内容でもないわけだから仮に見てくれたとしてもどうってことないし。
それほど大事なことなの?

いつもこれ考えてます。
ブログだけでなく、twitterやfacebookも同じ。
そんなことに時間を使ってていいわけ?
もったいなくないの?
と絶えずもう一人の自分が問いかける。

発信することは、そのことをより考えさせてくれる。
より自分の中で意識させてくれる。
未消化であってもどんどん思いついたら発信してしまうことにより、いろんな意見、いろんなレスポンスがあって、それが刺激になり新たな気づきもある。
より広く深く多角的に自分の中で消化、定着できるようになる。
熟成して昇華する。
まるで違う世界が見えてきたりもする。

最近はfacebookでのやりとりが楽しくってそっちが主戦場みたいになっているのだけど、どちらにしても発信すること、発信し続けることが、大げさに言えば自分を高めてくれる、自分を大きくしてくれる、と実感しているし確信しています。

今までにもこんな記事を書いてきた。

とりあえずアウトプットすること
シンプルに、お気軽に

そして、羽生名人講演会という記事の中で、天下の羽生さんもこう言ってます。
------------------------------------------------
「現代は何もしなくてもどんどん情報が入ってくる。
知らないうちにインプットされてしまう。

つまり現代人は“情報メタボ”になっている。

情報メタボにならないようにするためには、どんどんアウトプットしていかないといけない。
インプットされた情報を自分なりに咀嚼して、しゃべるのでも書くのでもいいので、アウトプットすることが肝心。
その出力パワーを上げることがメタボにならないこつ。
そのバランスは、インプット2割、アウトプット8割くらいでもいい。
------------------------------------------------

情報メタボとはうまい表現です。

普段から、運動(アウトプット)する習慣を身につけて、新陳代謝をよくしていかないといけない。
どんどん汗をかく。発散する。
そして、大事なのは基礎代謝を上げること。
メタボが進んでいくと、悪玉も善玉も含め、情報まみれの重いカラダになり、動きが鈍くなる。

それにしても、ブログを始めたこと、続けていることで、たくさんの方々とのご縁をいただきました。
中でも身に余る光栄だと思っているのは、プロ棋士をはじめとする将棋関係者の方々とずいぶんと親しくさせていただくようになったこと。
実際にお目にかからせていただいた方もたくさんいます。
それを考えると、ブログの力って恐るべしです。
ブログをやってなかったら多分、いや、絶対に実際会うことはなかっただろう方々。
初めて会ったプロ棋士から、見てますよ、なんて言われることもある。
観戦記者Kさんは会うたびに、毎日見てますよ、と言ってくれるだけでなく、いろんな棋界関係者にnanaponさんのブログは面白いから見るように、とPRしてくれてるようです。

たいがーさんオジサン、ぐーちゃんなど、仲良くさせていただいている(単に呑み仲間なだけ?)将棋ファンの方々もそうだけど、将棋関連の記事よりも、どうも他のジャンルの記事が受けてるらしい。
たまに会った時の将棋関係者との会話は、本当なら将棋の話なわけだけど、
『線路のことでメディアに問い合わせした結果はどうなったの?返事来た?』
『nanaponさんのお友達の軽井沢のカフェは、なんでやめちゃうの?』
『あの旅行の写真、よかったよねえ。』
など、こういうつきあいができるのは全部ブログのお陰。

先日の王座戦第一局大盤解説会の後、仲間の将棋ファンと一杯やった後の別れ際、オジサンが笑顔で手を振りながら、

『nanaponさん、またね。ちゃんと更新してよね~、楽しみにしてるよ~。』

と一言。

いや、もうこういう風に言われちゃうとだめです。
振り絞って、老体に鞭打って、頑張って書き続けなきゃと気持ちが引き締まります。

これもまたブログを通じて知り合えた境治さんの話も印象的でした。

地道に書き続けていたブログ記事のひとつをあの佐々木俊尚さんがtwitterで取り上げてくれ、数十人だったアクセスが一気に数千人になったという話です。
ぼくのソーシャルメディア体験〜広告の新たな地平線・その11〜と言う記事にそのことが詳しく出ていますが、境さんはそんなきっかけもあって、『テレビは生き残れるのか』という本を出版されるなど幅広く活躍されています。

一期一会。
たくさんのご縁に恵まれて感謝に絶えません。
本当にありがとうございます。


たまたま今日は敬老の日ということもあり、今後ともこのブログ、元気ではつらつとして長生きしていけるよう、カラダに気をつけて頑張っていく所存です。

このブログもはや5年も経ち、最近はずいぶんパワー、情熱、文章力、構成力など、衰えたんじゃないの?とか言われているようですけど、まだまだ大丈夫です。

過度な期待はせず、目の前の一局一局(ひとつひとつの記事)を自分らしく力を出し切る、という羽生三冠の方針でやっていくしかないと思っています。
日々ゆるゆると楽しみながら一生懸命やって、結果として6周年、7周年にたどり着けたらいいと思っています。

皆さま、今後とも引き続き気軽に遊びに来てください。
そして、(いつもレスが遅くて申し訳ないけど)コメント、TBなども気軽にいただければうれしいと思っています。

ということで、不完全でも、未消化でもいいので、なんとか自分らしい発信を続けていけたらとつくづく思う敬老の日のブログ開設5周年記念日でした。
コメント (7)
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ブログ4周年お祝いコメントに対して

2010年10月15日 01時46分01秒 | ブログ
お陰様で、9月19日にブログ開設から4年も経ち、ブログ開設4周年という記事を書きました。

お祝いコメントをたくさんいただいたので、ずいぶん遅くなってしまいましたが、レスかたがた再度ご紹介させていただきます。

4周年慶祝&TB深謝&お互い「切磋琢磨」 by Danchoさん

>私が今日まで続けられたのも、nanaponさんのこの『即席の足跡』があってのものです。
くだけた感じで恐縮ですが、素晴らしい「同期」に恵まれて、私のところも何とか…というのは感じます。

ありがとうございます。
同期の桜ですね。
ここのところの健筆ぶりには頭が下がります。
これからもともに切磋琢磨しつつゆるゆる続けていきましょう。

>私も、nanaponさんや、川島さん、風屋さんもかなぁ…皆さんと同じ様に、ブログが「生活の一部」になりつつあります。仕事も面白いし、ブログも面白くなってきています。

ここのところのDanchoさんの記事は、自分が一番楽しんで書かれてるんだなあ、という雰囲気が漂っています。いい意味であまり周囲というか、読者を気にしてない様子がします。

>アウトプットが追いつかなくて、ネタはたまる一方。ためるだけためたけれど、結局手つかずのまま、そのうちにためたネタが陳腐化してしまうという悩みがあるのは事実ですね。

もう腐るほどあります。書きかけのまんま日の目を見ない記事の山が。
陳腐化してないものだけ取り出して、老後にはゆっくり仕上げていきたいなんて儚い希望もあります。
なんかこのまま埋もれてしまう記事たちが可愛そうだ、なんて。(笑)

>しかし、合言葉は、そう、「ゆるゆる」と(笑)。

はい、。できることを無理せずサステイナブルでやっていくしかない。

>ブログは、体力の続く限り、続けていきたいと思います。『最後のブログ』みたいに終われたら良いなぁ…なんて。

あんな時あんな風に書けるのかなあ、と漠然と思うこともあります。
とりあえず、お互い先のことは置いといて、ゆるゆるやっていきましょう。
いつもありがとうございます。

おめでとうございます。  by ssayさん

>せっかくのお祝いの席に、こんなことを言うのも何ですが、
突っ込まれるのがお好きな、nanaponさんですので、あえて。
・このエントリーの文書も「ながっ!」。

わかってらーい!
しょうがねえじゃんか、こういう性格なんだからさあ。

>・ダジャレ無いぞーーー!
でも、このブログのタイトルって、
『「そくせき」の「そくせき」』だったのですね。

文中にダジャレなくったって、タイトルがそうだからいいじゃん。(開き直り)

今は文章を短くしてわかりやすくなって高評価を得るよりも、
より皆をもっとずっこけさせることに重きを置きたい。
ナウくて、ハイクラスで、バッチグーなダジャレを開発したいと考えてます。
何事も日々成長です。

>今後も、勝手に期待させて頂きます。

はい、勝手にしといてください。
そして折に触れ、タイミングのいい突っ込みをお待ちしています。
ssayさんの突込みがないと、一人突っ込みばっかやってないといけなくなっちゃうので。
今後ともよろしくお願いします。

おめでとうございます by たいがーさん

>オヤジギャグというかダジャレなブログタイトル『即席の足跡』に一気に持っていかれたのを告白します。(笑)

ありがとうございます。
ただ、たいがーさんだけは、そんなことじゃなく、現代将棋論とか、羽生善治分析に秀でたブログだと思ってここを訪れていただいてるもんだとばかり思ってました。

>自分もサイトやブログによっていろいろな方に出会うきっかけになりました。nanapon さんにお会いできたから、ssay さんや Dancho さんにもお会いできましたしね。いろんな出会いに力を貰っている。感謝しています。

ありがとうございます。
将棋に関してはたいがーさんに輪を拡げてもらってることが多く、感謝しています。
今後ともまた同じようなペースでお付き合いください。

4周年、おめでとうございます!  by wariさん

> 実はほとんど毎日ブログを読ませていただいているのですが、4年間、1310回にですかー。すごいですね。

先日のような旅行の際の写真+3行くらいの記事もかなりありますから、それほどでもないですよ。毎日しっかり内容のあることを書かれてる方もいるし。

>nanaponさんのブログはたしか、渡辺竜王のブログからのトラックバックか何かで知り、その後も将棋界について書かれている内容がおもしろくて読むようになったのですが、今はその他社会の色んな要素について書かれている内容も興味深くて毎回、考えさせられ勉強させてもらってます。

ありがとうございます。
そう言っていただくととてもうれしいですし励みになります。
将棋以外のいろんなネタも自分の書きたいことを書いてるだけなんですけど、いろんなことが将棋の本質とか側面とつながってくるんですね。
そんなこと考えずにただ書いていたのですけど、最近、なんかいろんなことが共通してるし、根っこは似てる部分がたくさんあるなあ、と感じるようになりました。

>以前、光栄にもnanaponさんにブログ開設を勧めていただいたこともあるのですが、文を作るのに人一倍時間がかかる不器用者のうえに、今は1歳と2歳の子育て真っ最中なものですから、まだ当分は人様のブログを楽しませてもらうだけにとどめておきたいと思っています(笑)

そうでしたか。けしかけたの忘れてました。文章うまそうな人を見かけるとすぐに薦めたくなっちゃうんです。
独身者を見つけるとすぐにお見合いを薦める親戚のおせっかいのおばさんみたいですね、オレ。
あの人この人も、僕がけしかけたことがきっかけで今は幸せな結婚生活を送っているんですよ、オホホホ。)
子育てが一段落して余裕ができたら、ぜひ始めてみてください。
簡単だし、やってるうちにはまってきますよ。
そして、あなたの人生が変わりますよ・・・。ふふ。(笑)
(何をしようとしてんだ、オレ。)

>これからも(ゆるゆると、ですね 笑)ブログを楽しみに読ませていただきますので、どうぞ今のままで続けていってくださいね。

ありがとうございます。また感想など気軽に聞かせてもらえるとうれしいです。
反響がないと、気持ちが乾燥してしまいがちなので。

おめでとうございます  by 英さん

>私はnanaponさんのブログに出会ったのが3年前ですから、1000日ぐらい訪れていることになりますね。1日に何度も訪れているので、回数は2000回ぐらいかもしれません。

ありがとうございます。まあ、英さんもブログ開設してからはこちらも同じようなもんですよ。

>ほとんどが長文なのでかなりの時間をnanaponさんのところで消費していますね。

いやあ、英さんに言われたくないなあ。
なんなら最近の英さんの記事の長さと比べてみましょうか?
絶対に僕の方が短い自信がありますよ。(笑)

>と言っても、「時間を消費」するより、「知識・見識・情操の補給」といった感が強いです。 これからもどんどん書いて、私に有意義な時間をくださいね。

ありがとうございます。
そう言われると素直に喜んで図に乗ってしまいます。
知識・見識・情操、なんてとんでもない。
できるだけしっかりした内容の記事を書こうとすることで、そんなようなものが少しずつでも身についたらいいかなと思ってます。
まあそれでも、それぞれの方々の受け取り方や感じ方で少しでもお役になっているのであれば本当にうれしい限りです。

皆様、温かい励ましのお言葉など、本当にありがとうございました。

さらに日々研鑽努力し、さらに高み(どんなんだ?)を目指すために精進したいと思います。
今後ともご指導ご鞭撻、突っ込み、合いの手、茶茶などなど、よろしくお願い申し上げ、私からのお礼の言葉とさせていただきます。
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ブログのさびしさ

2010年09月21日 21時29分35秒 | ブログ
ブログ開設4周年の記事の中でもご紹介したある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)というブログ。

前回たかがブログじゃないですか。という記事をご紹介しましたが、今日はブログのさみしさ。という記事。
とても興味深いし、4年もブログを書いてきた身としては、共感する部分が多い記事です。
一部引用させてもらいます。
------------------------------------------------- 
2ちゃんねるのような掲示板とかmixiのようなSNSと比べると、圧倒的にブログはさみしい感じがするんですね。なんでだろうな、と考えると、やはりツールの機能から来るものがあるのでしょうね。基本的に、ブログはパーソナルなツールですよね。自前でやってる人なら持ち家、私みたいな@niftyのココログを借りている人は借家ですが、自宅には変わりがないわけで。その点、2ちゃんねるもmixiもコミュニティーですよね。パソコン通信の頃は、ニフティフォーラムなんかもありました。

 <中略>

 mixiなんかは、mixiに入るという感じで、2ちゃんねるに至っては「住人」という言葉もありますよね。みんなが住む場所、それは「寮」とか「下宿」みたいな感じでしょうか。だけど、基本、ブログは自宅の書斎という感じ。書くときも、私の場合なんかだと、PCはオフライン。仕事をしたり、飲みに行ったり、パチスロ打ったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、そんな日常のあと、吉本隆明さんの言葉を借りれば「25時間目」に書く、みたいな感じでブログのエントリーを書いています。

 その「25時間目」に書く言葉を誰に伝えたいのか、というと、これは「不特定多数」としか言いようがない人たちに対してなんですね。実名匿名論争がらみのエントリーでも、何度か言ったことがありますが、この「不特定多数」というところがSNSにはないブログの魅力でもあって、だから、芸能人なんかもブログを始めるのですよね。

 この「個人」が「不特定多数」に言葉を伝える、というのがブログのさみしさの原因でもあって、そのさみしさが魅力であるんだろうなと思うんですよね。1日160万PVもある『しょこたんブログ』だって、そこに中川翔子さんとファンがつながりあうという感じではありませんよね。私のようなおっさんから見たら、あのブログに中川さんの孤独みたいなもの感じるし。あの人は、きっと頭のいい人でしょうから、ああいう「しょこたん語」とかブログのコスプレとか、そういう全部が、自分の孤独に打ち勝つための自己表現のような気がするんですね。なんかうまく言えないけど。

 顔も知らない人のブログでも、読んでると、優秀さ、未熟さを含めて、その人自身が見えてしまうのがブログなんですよね。そういう意味では、私もそう見えている可能性もあるけどね。で、そんな中で、継続的に読んでいるブログが突然更新がなくなったり、休止したりすると、読んでるこっちがなんか心配になったりして。だからといって、コメントとかしないですけど。PCの向こう側から、日常生活で楽しくやってくれているのを密かに祈るくらいしかしませんけど。

 毎日、何億もの言葉がブログを通してネットをただよって、これだけブログが普及してしまったいま、その消費スピードは強烈なものがあるし、その中には誰にも読まれない言葉もあるだろうし、届かない孤独もあるでしょうけど、とりあえずは、そんなさみしさと引き換えに、ひとつの孤独を不特定多数にとりあえず届けることができるかもしれない可能性を手に入れたんだろうな、と思うのですね。『ウェブ進化論』の梅田さんのように、それをポジティブな言葉だけでは語れない自分がいるけれども、私たちの孤独が手に入れた可能性は、そのさみしさも含めて、きっと、いいものであるのだろう、とは思うんですよね。
--------------------------------------------
自分の孤独に打ち勝つための自己表現
この「個人」が「不特定多数」に言葉を伝える、というのがブログのさみしさの原因でもあって、そのさみしさが魅力であるんだろう

そうだなあ。そうかも。

でも、有名人ブログと違って僕はそれほど不特定多数に向かって発信してるっていう気はない、というか、薄い。
こんなこと書くと彼は喜ぶだろうなあ、とか、この駄洒落はあいつに受けるだろうなあ、というようなターゲッティングした仲間内に向かって書いてるという意識がかなりある。
だけど、もちろんそれだけじゃなく、不特定多数というか、誰が読んでもわかるように意識しつつ書いてるつもり。
常連だけで変に盛り上がってるSNS的なブログは嫌いだし、初めて来てくれた人でも平気で気軽に入ってきてくれるような家が望ましいと思っているので。

それにしても多少の孤独感は時々だけど感じることがある。

そんなさみしさと引き換えに、ひとつの孤独を不特定多数にとりあえず届けることができるかもしれない。

一生懸命書いていても、大して見る人もなく、ネットの広い海の中に埋もれていくんだろうなあ、と思ったりすることもある。
そんな思いもあり、寂しさをまぎらわすために、自分のために、メモ代わりとして書いてるのだと自分に言い聞かせたりしてる。
自己暗示。自己弁護。

自分のためのメモなんだから、誰も見なくても、つながらなくても、一切関係ない。

>孤独を不特定多数に届けることができるかもしれない・・・

そうか、ブログって寂しがり屋の人が書いてる?
孤独のネットワークってこと?
孤独の人の友達はまたみな孤独?
孤独の輪が広がる?
孤独の連鎖?

顔も知らない人のブログでも、読んでると、優秀さ、未熟さを含めて、その人自身が見えてしまうのがブログなんですよね
だからといって、コメントとかしないですけど。PCの向こう側から、日常生活で楽しくやってくれているのを密かに祈るくらいしかしませんけど。

知らない人でもその人が見えてくる。
そして、知らない人なのに、元気出して、とか、うまくやって、とか、密かに祈っている自分に気づいたりする。

この非現実の世界ではあるけど、なんとも人間的な関わり。

寂しい気持ちも、愛に近い感情も、すべてひっくるめてブログと関わったことでもたらされたものなのでしょうね。
まあ、いろんな意味でブログって面白いです、ほんと。
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ブログ開設4周年

2010年09月19日 18時59分36秒 | ブログ
今日でブログを始めて4年になります。
早いもんです。

ちょうど4年前、2006年09月19日に、《初めてのブログ》という初々しい記事を書いて、試行錯誤のうちにひっそりと始まったこのブログ。

こんなこと(?)になるなんて思いもよらなかった。
一応なまけずに続けていることもちょっと自分ながら驚いてる。

1年目 《ブログ1周年》

2年目 《ブログ開設2周年》

3年目 《ブログ開設3周年》

この4年の間、ブログを書きながら感じたこと、悩んだこと、ブログから教えられたことなどが下記の記事。時系列で、こんなに書いてきました。

ブログの効用
3日、3ヶ月、3年
ブログ効果
ブログの来し方行く末
足跡をたどってみる
採用はブログで
半年経って
ブログの輪
一億のブログ
ブログの値段
謝辞
ブログ友達の輪
ブログ仲間との交流
ブログ進化論
シンプルに、お気軽に
コメントの難しさ
4年目を迎えたブログは
ブログ3周年祝辞へのお礼
反響、そして感動
なぜブログを書くべきなのか
シンプルがプリンシプル
シンプルにきっぱりと
ダジャレーヌーボー
ダジャレーヌーボー・その2
最後のブログ

数えてみたら、4年間で1310の記事を書いていました。
4で割ると、328/年。
4年間も、こんなにずっと記事を書いてきて、それだけ膨大な時間使ってきて、一体何になったの?
なんかの役に立ったわけ?

これ、人から言われる事もあるし、いつも自分に問いかけてるテーマです。

他にやること、やらなければならないことは山ほどあるし、そんな時間を犠牲にしてまで、毎日のように書き続ける意味ってなーに?
それほどの代償を払ってまで一生懸命書いたところで、誰が見てるかもわからないし、たいした内容でもないわけだから仮に見てくれたとしてもどうってことないし。
それほど大事なことなの?

ブログ開設から先月で5周年を迎えた川島さんがその記事のコメント欄で下記のように書いてます。
----------------------------------
ブログは、「読んでもらうため」のものですが、
かなり「自分のため」のものでもある。

ゆるくても、まとまらなくても、
ひとりの人間の苦悩の叫びを(大げさな!)
-----------------------------------
そうです。
結局は、というか、行き着くところは完全に自分のためのものだと思うので、メモ代わりとして、感じたこと、思いついたこと、考えたこと、どこかに書き残しておきたいこと、などをとりあえず書いておくのが基本。

アウトプットが肝心という記事も書いたけど、中途半端でもわかりにくくてもまどろっこしくても、ひとりの人間の苦悩の叫び(?)をひたすら発信し続けることを心がける。

そうすることでなんかそのうちいいことがある。(はず)
そう、今までも実際いいことあったし、今後もそうだと信じて疑わない。

毎日の生活の中で、仕事や趣味の中で、いろんな人と会ったり本を読んだり社会の動きがあったりなど、その時に考えたこと感じたことは、このブログの中にため込んでいくことにする。
覚えておきたいことは、あとで検索もできるし。

なんたって、weblogというくらいで、logなんだからね。

もっとわかりやすく、推敲を重ねしっかり完成させたいのだけど、なかなかそんな時間もない。
読む人にストレスを与える場合もあるかもしれないけど、自分のためと割り切って、えいや!とばかり書いてしまう。
最低限の人に対する気遣いには気をつけつつ。

去年書いた記事、《ブログ進化論》で書いてますが、
ブログというのは、ネット上に建てた家、という捉え方があります。

手作りで趣向を凝らして自分の考え、趣味で建てた家。
いろんな人が遊びに来てくれて、居心地のいいリビングで、一緒にお茶飲んだり、おしゃべりしたりする。

最近見つけたある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)というブログの中に、たかがブログじゃないですか。という記事がありました。
 
この方はブログをこのように位置づけています。

 私にとってブログは、ひとり同人誌。

 私にとってブログは、考え方のデータベース。

 私にとってブログは、知らない人との談話室。

皆いろいろ悩みつつ、自分とブログの距離感を修正しつつうまく付き合っているんでしょうね。
 
それにしても、ブログを始めたこと、続けていることで、たくさんの方々とのご縁をいただきました。

実際にお目にかからせていただいた方もたくさんいます。
ブログをやってなかったら多分、いや、絶対に実際会うことはなかっただろう方々。

Danchoさんssayさん風屋さん
将棋のことを頻繁に書くようになってからは、プロ棋士の方々、観戦記者や棋界の方々、そして、たいがーさんをはじめとした将棋ファンの方々とも知り合う事が出来ました。

また、リアルに会わずとも、コメントやTBいただいたり、ブログの交流をしたり、というネット上でのお付き合いもうれしいものです。
たまに見ていただいてるという方もいらっしゃるでしょうし、検索で訪れてくれる方もかなりいらっしゃるようです。

一期一会。
たくさんのご縁に恵まれて感謝に絶えません。
本当にありがとうございます。

昨日の川島さんの記事、自分と会社の4年後って!?
4年に一度のワールドカップのことを引き合いに出しつつ、「4年後のブラジル大会を自分はどんな立場と心境で見るのでしょう?」という内容です。
そして、「このブログも、続けているかなー。」と書かれています。

このブログを始めた4年前と言えば、ジーコジャパンのドイツ大会の年。
なんとか4年間はやってきたけど、4年後のブラジル大会まで続けているのかどうか。

まあ、続いているとして、果たしてどんな内容のブログになっているのか、そして、ブログを通じた交流は、どのように広がってどんなに楽しくなっているのだろうか。

まあ、大きな期待はせず、目の前の一局一局(ひとつひとつの記事)を自分らしく力を出し切る、という方針でやっていくしかないと思っています。

皆さま、今後とも引き続き気軽に遊びに来てください。
そして、(いつもレスが遅くて申し訳ないけど)コメント、TBなども気軽にいただければうれしいです。

うまくアウトプットはできないのだけど、今後とも、将棋や線路をはじめとして、自分の興味対象についてできるだけ深く考えつつ、楽しんで続けていこうと思ってますので、どうぞ末永くお付き合いくださいませ。
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最後のブログ

2010年08月30日 22時50分59秒 | ブログ
アニメ映画監督の今敏(こんさとし)さんが膵臓癌で亡くなりました。
46歳ですか。

『パプリカ』(2006年)とか『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)など、数々の名作を残しました。

彼の死ぬ直前の最期のブログがアップされています。

2010年8月25日(水曜日)
さようなら

辛すぎます。

なんという文章なんでしょうか。

いろいろ考えちゃいます。

揺り動かされます。

儚いです。

-----------------------------------------------------
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。
世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。

じゃ、お先に。
------------------------------------------------------

「じゃ、お先に。」ですかあ。

うーん。

心からご冥福をお祈りします。
コメント (5)
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ダジャレーヌーボー・その2

2010年03月10日 01時41分13秒 | ブログ
先日、ダジャレーヌーボーという記事を書きました。
こういうご時世だからということでなく、人間にとって、ユーモアというもの、笑うこと、僕はとっても大切だと思っています。

僕の駄洒落で生活に針(いてーよ。)、じゃない、張りがあるとおっしゃる(おっしゃってないか?)ssayさんよりコメントいただきました。
文中赤字=nanapon
--------------------------------------
いやあ、いろんな意味で興味深い記事ですね。

そうですかあ?
初期の頃のブログを拝見した印象では、
駄洒落が飛んで来るとは思いませんでした。
なんせ、外見予想は、中川(当時)七段をイメージしたくらいですから。

あら、あってるじゃん。
クールな感じで、ニヒル(古いか?)で、知的なイメージ。

しかし、ブログを始められて1年後くらいからは、
おかしくなりはじめ・・・、いや、本性を・・・、
いえ、素直になられて・・・、
(一体何を言っているのだ、ぼくは?)
まあ、とにかく、駄洒落を連発されるようになりました。

特に、「環那ネタ」の時は、目がテンになるほど、
これでもか、これでもかと。

なんだっけ、それ。すっかり忘れてます。
ほんと、コアなファンはよく覚えてくれてますね。ありがとうございます。
読み返すと、ちと恥ずかしい。

あと、偏見ではありませんが(ホントです)、
川島さんの駄洒落はすごくセンスを感じますが、
nanaponさんのは、いかにも「おやじ」っぽくて、
いえ、これは決して褒め言葉ではありませんが、
どことなく安心感を感じるまでに至りました。
その勇気に敬服いたします。
(どんだけ失礼なことを言ってんだか)

「おやじ」っぽくて、安心できるので、好き、って告白してるんじゃん。
全然失礼でもないし、完全に褒め言葉だよ。
そんなに謙遜しなくても・・・。
謙遜じゃないか、髭、じゃなくて、卑下?
なーんだ、恥ずかしくて照れてるだけじゃん。

しかし意外な(?)施政方針演説が聞けました。
今後とも、期待しちゃいます(プレッシャー?)!

はい、いい意味でプレッシャーを感じつつ、メダル目指して頑張って行きたいと思います。
---------------------------------------
温かい励ましのコメント、ありがとうございました。

話は変わって、日経ビジネス オンラインの連載。
河合 薫新・リーダー術 上司と部下の力学より引用させてもらいます。

リーダーよ、会社の真ん中で“愛”を叫べ!
部分的に引用させてもらいます。
------------------------------------------
  それだけではない。笑いは、強い組織を作る際にも、大きな力となる。「笑い=ユーモア」は、組織を一体化させ、チーム力を高める大きな傘だ。

 たとえば、「自己や他者を励まし、勇気づけ、心を落ち着かせるユーモア」と定義されている支援的ユーモアと呼ばれるものは、EQ(情動知能)と関連が強く、リーダーシップに欠かせない要素だと指摘する専門家もいる。

 古くは精神分析学者のジークムント・フロイトも、支援的ユーモアに触れている。

 彼は1905年の『ウィットと潜在意識の関係』という本の中で、「笑いは、不安、恐れ、怒り、その他の感情の乱れに対する防衛反応である。適当なユーモアは、人間関係を円滑にする」と述べ、「人は緊張をほぐしたいがために、わざわざ面白いことを言って自分の緊張をほぐしたり、極度に緊張している人を見ると、笑わせて緊張を解こうとする傾向がある」と指摘している。

<中略>
 
 英国人はユーモアを理解できる人の条件なるものを挙げていて、それを見ると、今の日本に笑いが少ない理由がよくわかる。

その4つの条件とは、
・ アイロニー(皮肉)を感じ取れる能力
・ バカらしいことを感じ取れる能力
・ 現実感覚
・ 自分と他者との関係をユーモアでつなぐような愛情
で、特に最後の“愛情”は大切だとしている。

 こうやって具体的に条件を挙げられると、笑いは実に奥が深い。

<中略> 

 人間に“笑いの力”なるものがあったとしたら、今の日本人には、笑いに変える力も、笑いを感じとる力も、どちらも低下している、ということなのだろう。 

 いずれにしても、笑いとは、安心だったり、ゆとりだったりもするわけで、要は今の世の中、面白いことを言ったり、やったりする余裕すらないのだ。“福”とは、“安心”ってことなのかもしれない……。

 そして、支援的ユーモア、遊戯的ユーモアのほかにもう1つ、大切なユーモアがある。攻撃的ユーモアだ、他者を攻撃したり、中傷したりすることで楽しませる、ブラックジョークと呼ばれるものだ。

 攻撃的ユーモアは、怒りや不満を笑いに変えるためストレス発散に役立つ。ただあまり攻撃的すぎると、他者から反感を買い、“ストレスの傘”になるどころか、新たな“ストレスの雨”を降らせることもあるので、それこそ“愛”がない限り、ストレスの傘にはなりえない。

 そんな攻撃的ユーモアの名著と呼ばれる『悪魔の辞典』(アンブローズ・ピアス著、1911年米国で発刊、日本語訳は筒井康隆訳などがある)の「A」の項目に、かなり笑える単語が載っているので、最後に紹介しておこう。

 Administration(官庁、お役所)
 「首相や大統領に落ち度があれば、その代わりにゲンコツやケリだけを分離して受け取るように考案され、嘘つき、無能よばわりにさらされても、平気なわら人形」
--------------------------------------------------
悪魔の辞典、懐かしいです。高校の頃、大好きでした。
新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)
アンブローズ ビアス
岩波書店

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何かにつけて、悪魔の辞典を引っ張り出して友達に披露したりしてました。
忘れちゃったけど、上の「Administration」よりもはるかに秀逸なの、ありました。(忘れた。

自分と他者との関係をユーモアでつなぐような愛情、ですか。

友愛もこの類ですかね。
どうも欧米と違って、日本の政治家は、上記4点(アイロニー・バカらしいこと・現実感覚・愛情)で劣っているように思えます。
今の日本の政治家の中では誰が第一人者なのでしょうかね?
あらっ、名前が出てこない、いなくない?

ということで、いつものように長くなりましたが、
中川七段風風貌の僕としては、外見に似合わず、
今後も愛に溢れた軽佻浮薄な駄洒落を連発して、
日本における心理的デフレからの脱却を図っていきたいと思っているのであります。
(いよっ、ここで盛大に拍手!
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ダジャレーヌーボー

2010年02月12日 00時16分14秒 | ブログ
こんな記事を始めとして、いろんな記事の中にさりげなくダジャレを織り交ぜてます。
(意識的にそうしてるというよりも、自然と指が動いてしまう感じです。
いや、そうかな?意識してないと言えば嘘なんじゃないの?)

この方を始めとした「粋」がわかる方々に好評をいただきました。(いただいてないか?)

川島さん記事のコメントに、
「推敲力の遂行力です。」
なんてのも書きました。

変換の偶然、というか、変換の妙とも言えます。

えっ、ダジャレ?オヤジ?寒い?

仕方ないですよ。

大体、このブログのタイトルからダジャレなんですから。

もともとダジャレを連発したくて、受けたくて、ブログ始めたようなもんですから。

寒いと言われようが、オヤジと言われようが、
わらかしてナンボ、でっせ。

新規性のある、フレッシュでアカデミックなギャグ、いや、駄洒落を開発したい、発信したい。

いや、駄洒落に限定するわけでなく、澱んだ生活の中に、さわやかな一陣の風を吹かせたい。

意外性があったり、不意を突かれたりも含め、
うひょひょ、でも、クスクス、でも、ぎゃーおー、でも
なんでもいいけど、少しでも明るい世の中になれば、うれしい。

ブログを書いていて、含蓄がある、示唆に富んだ、刺激や気づきがあるので楽しみ、などと言われることもうれしいのは確か。
(別に言われたわけじゃないけど)

しかし性格上、そっちの路線を目指すよりも、

センスのいいユーモアに溢れてる、
心から明るい気持ちになれるから見に来る、
という位置づけを目指したい気持ちの方が強いのです。

先日書いたように川島さんのブログもいろんな意味でお手本なわけだけど、

別の意味での僕の理想形は、

なんと言ってもダントツで崇拝しているこのブログなんです。
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シンプルにきっぱりと

2010年02月02日 00時03分53秒 | ブログ
先日の余計な心という記事に対して、
『文章は短くしたい』という古川ひろのりさんのコメントをいただきました。

「書いてるとどうしても長くなってしまう。
何とかもっと短くできないかなあ。」
という思いはかなりの人が持っているんじゃないでしょうか。

ssayさんNHK大河ドラマに思うという記事に、
「ひと様のことなぞ、指摘する資格もないほど、ぼくも文章が長くなってしまいがちなので、つづきは次回とする。」
と書かれています。

そのコメントに、こう書きました。
「まあ長い長いと言っても、人様を傷つけるわけでもなく、地検特捜部が騒ぐわけでもなく、ブログ更正法に引っかかるわけでもないから、まっいっか。」

古川さんもssayさんも僕もお手本としている川島さんは、えっらく 褒められた!(ブログ)。という記事で
「恐れ入ります。」と照れてらっしゃいます。

そのコメントに、こう書きました。
「長くなっちゃうのは仕方ないと半ばあきらめていますけど、川島さんのように、すっきりきっぱり、が理想です。
やはり推敲度の問題もありかな、と思います。
(ほとんどちゃんとやってない。一読みしてアップ。)
“推敲力”の“遂行力”です。」

まあダジャレは笑ってくれる人がいる限り止めるつもりはないけど、どちらにしてもシンプルに、かつ、きっぱりと、を目指したいです。

言いたいことのポイントは明確。わかりやすい。
ぐずぐず無用な説明などは不要。

「日々、そこを目指す」という気持ちが、まずは必要だと思うのです。

念ずれば、花開く。

おっ、短いぞ、もっと書きたいけど、これでやめっ!
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シンプルがプリンシプル

2009年12月16日 22時01分17秒 | ブログ
いつも長くなっちゃうんだよなあ。

短く、シンプルに、本当に言いたいことだけをわかりやすく書きたいといつも注意しているんだけど。

しかし、書いてるうちにいろいろ途中で脱線したり、回り道したりして。

同じこと、違う言い方でくどくど説明したり。

川島さんのようにすっきりシンプルに行きたいんだけど。

簡潔に、余計なことは何も言わず、ズバッと伝え切れたらいいと思うし、毅然と思い切りの良いシンプル主義にしたいな、と、常々思っているのです。

どうしても悪い癖でなかなかできない。
わかっちゃいるけどやめられない。

ということでちょっと思いついて、昨日の羽生名人の記事もそうだけど、最近の風屋さんのように携帯で書いてみることにした。(リンク貼れないけど。)

これなら長文は無理だから短くまとまるはず。

まとまるかどうか、面白いかどうかは別にして、読みやすくなるのは確か。

時々やってみることにしよう。

少しずつシンプルにできるよう努力していこう。
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なぜブログを書くべきなのか

2009年12月05日 01時13分25秒 | ブログ
昨日の記事に続いて、ブログというものについて。

目立つ力 (小学館101新書 49)
勝間 和代
小学館

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さすが、今売れに売れている勝間さんの本。
わかりやすいブログのノウハウ本、戦略本です。
ブログを楽しく効果的に書くための基本がいっぱいつまっています。
ブログを始めたけど、いろいろ悩んでいる人にお勧めの一冊。

すごくいろんなことが整理できて、頭の中のもやもやが溶けました。

小学館のBOOK PEOPLEというサイトに内容が出ていますのでご覧ください。

「目立つ力」目次です。

そして、とても参考になる面白いブログを書くための20のルールも出ています。

「文章のうまい下手よりは、“その人らしい”文章」ということが最重要とのこと。
そう言われると、気が楽になるというのもあり、逆に難しいなと思う部分もあり。
20のルール、ひとつひとつ確認していきます。

全然、あてはまってないよ、僕の書き方は・・・・。
だめだ、こりゃ。

アルファブロガーの小飼弾さんのブログの公言が特権でなくなった時代に - 書評 - 目立つ力
この本をこんな風に評してます。(一部引用させていただきます。)
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これぞ本当の「ブログ本」。

まだブログを始めていない人は、なぜ始めるべきかを。

すでに始めているけど、続けられない人は、なぜ続けるべきかを。

そして続けている人は、なぜ続けられてきたのかを改めて、

本書でご確認いただきたい。

本書「目立つ力」は、ブログを本にしたという意味ではなく、なぜブログを書くべきなのか、書き続けるべきなのか、そしてそのためにはどうしていけばいいのかという、ブログの why & how を示したという意味におけるブログ本。

なぜ、あなたはブログを書くべきなのか。
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いやあ、かなり刺激や気づきがありました。
こんな言葉の数々が響きます。

思考の公開訓練場。
ブログは、ブログ開設者の立体名刺。
継続するには“わくわく、どきどき”表現を続ける。
日常の気づきを細かく拾うこと、それをブログの形でアウトプットすること。
エッジが効いた自分表現のためのメディア。
ブログは私たちの生き方の鏡。
ブログは自分の可能性を試せるメディア。

またひとつ気を引き締めて、初心に戻って明日からがんばって行こうと決めたのでした。
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