即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

米長理論は世界標準に

2011年02月27日 00時38分26秒 | 将棋
日経ビジネスオンラインの先日の記事、アメリカから見た大相撲八百長
一部引用させてもらいます。
------------------------------------------------
 今回の八百長疑惑が起こったとき、アメリカの新聞は一見驚くふりをしながらも「やっと証拠が見つかったか」というニュアンスで報道した。こうした姿勢もアメリカ人が相撲をどうとらえているか、と無縁ではあるまい。

 「八百長相撲があるとの疑惑は以前からあった。今回だって東京都知事の石原慎太郎は『騙されたふりをして楽しめばいいじゃないか。歌舞伎と同じだよ』と述べている」(ニューヨーク・タイムズ)。

 「古くは2000年に元関脇・板井が、外国人特派員協会での記者会見で、八百長相撲があったと暴露した。最近では、モンゴル人横綱・朝青龍の八百長相撲が取りざたされたこともある。が、結局、証拠不十分でもみ消されてきた」(ウォールストリート・ジャーナル)。

 東京のアメリカ大使館に勤務したこともある元外交官の一人は、「80年代、日本の力士たちは高見山と対戦すると、わざと負けていた。『日米貿易摩擦をめぐるアメリカの神経を少しでも和らげたい』と考えた誰かが八百長を仕組んでいる――と思っていたアメリカ人も少なくなくなかった」と回想している。図体だけはデカイが技ひとつないハワイアンがあんなに勝てるわけがないと見ていたのである。

 <中略>

 ところが、その十両の取り組みの過去の結果を精査すると、7勝7敗で千秋楽を迎えた十両力士の勝敗に1つのパターンがあることが分かった。

 7勝7敗で千秋楽を迎えた十両力士が、8勝6敗で勝ち越しを決めている十両力士と取り組む場合、前者が勝つ予想確率は、数量計算では48.7%になる。であるにもかかわらず、実際の勝率はなんと79.6%だった。

 同様に、同じく7勝7敗で千秋楽を向けた十両力士が、9勝5敗と勝ち越しを決めている十両力士との対戦する場合、勝つ予想確率は47.2%になる。しかし、実際の勝率は73.4%と圧倒的に高くなっていた。

 ここには、同僚力士にも8勝させてやりたいという「互助」が働いていると見ていい。この貸し借りは、それ以前あるいはその後の取り組みで精算されていることもデータで判明した。
---------------------------------
ここで将棋連盟HPに出ていたこのニュースがリンクする。

『米長永世棋聖が2月17日付産経新聞朝刊「正論」に大相撲、こうすれば立ち直れるを寄稿。』
部分的に引用させてもらいます。
*************************************************
 ≪将棋界には八百長なし≫

 将棋と相撲は一対一のガチンコ勝負で、日本の伝統文化として相通ずるものがある。あるいは対極にある。投げれば勝つのが相撲。投げたら負けが将棋。待ったが許されるのは相撲。待ったは即反則負けになるのが将棋だ。角界というからには相撲と将棋は縁続きだろうか。放駒は、将棋界では孤立していて悪形だが、相撲界では理事長に納まっているのも面白い。元大関魁傑はガチンコ相撲の代名詞でもあった。今回の難事を解決してくれるとの期待が持てる。

 将棋界には八百長はない。これは日本将棋連盟会長の私が断言する。米長哲学が浸透しているからである。
「自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。それができない者は、この世界では見放される。」
この教えは、小中学生の頃にプロ志望している子どもたちにも、骨の髄まで浸透しきっている。であるから、将棋界には八百長はない。

 <中略>

 問題は三段リーグ。17局終わったとして18局目は一斉対局だ。当然、この一局に勝てば昇段し、相手は消化試合というケースは毎回ほとんどであろう。かかる時は必ず勝たねばならぬ。自分が優勝する一局以上に命を懸け戦わねばならぬ。これが米長哲学である。

 棋士は、将棋に命を懸けているのである。盤上には神が宿っている。土俵とて同じであろう。勝ちと負けの二つだけを一対一で争うから潔く、神事なのである。その意味で、八百長などは神を冒涜(ぼうとく)する最たる行為だと知るべきだ。7勝7敗の相手と千秋楽で当たったら「必ず勝つ」という信念を、力士たちに徹底してたたき込むことが、一番大切だと信じている。
*****************************************************
7勝7敗で千秋楽を迎えた時の勝率の凄さは尋常でない大相撲の世界。
これは今始めてわかったことではなく、脈々と大相撲の歴史の中ではこういうことが繰り返されてきた。

このような時、すっかり有名になった米長哲学(理論)をもってすれば、70%代の勝率になることはないだろうし、情けとか互助とか言われるわけも無い。
貸し借りとか、そこにお金を持ち出すなんてことにもなってるはずがない。

すっかり将棋界では定着したこの米長哲学。
相撲界にもっと前から浸透していればよかったと心から思います。

かなり前、2008年10月にもすでに、このように指摘していたブログがありました。
無気力相撲と米長理論

いい意味でも悪い意味でも、情が厚い日本人の特性。
親切で心優しいし思いやりがある。

それはそうだけど、勝負の世界では偉大で崇高な米長理論(米長哲学)の持つ意味は大きい。

米長会長は、「相撲をこよなく愛している。」と言われてもいるし、将棋界に貢献した後には、相撲協会の理事長に転進ということも視野に入れているのでしょうか。

将棋から発祥した世界にも誇るべき明解かつ説得力のあるこの理論。
相撲だけでなく、他のいろいろなジャンルにもどんどん波及していって欲しいと思います。

今後、この理論が海外にも広まって、世界標準となる時代が来たら、日本の伝統文化が見直されることにもつながる。
将棋を世界に広めること、将棋の価値を上げることにおいても、米長理論が世界標準になることで大きな意味があるはず。

もしそうなったらこれはもうノーベル賞ものですよね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« モンスターペアレント | トップ | いよいよ決着、一番長い日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

将棋」カテゴリの最新記事