波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

抑えていた口が開く

2021年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

日、76回目の『8月15日』。オリンピックとコロナと豪雨災害だけの8月のテレビ番組になるのだろうと思っていたが、『戦争』ものもちゃんとあって、当事者庶民が顔を出して語り始めたのが今までと違う。ほとんどのテレビ関係者は戦後生まれで、視聴者もだんだんそうなってきた。だから、広島と長崎の慰霊の放送は寂しく総理大臣の不始末が輪をかけたと感じていた。ありきたりの終戦番組でちゃんちゃんにするのだろうと思っていたが違った。

 

防婦人会ヒットラーユーゲントの番組。戦争の主役・大人の男で無く、『女こども』までもが巧妙に戦争に引きずり込まれた事実(国防婦人会・大日本婦人会に主婦の大多数、ドイツの青少年98%加入)を映す。自分から手を上げて参加した愚かさ・悲惨さ。ここらのことが、語り手=当事者がほぼ90歳以上になって生々しい番組が作られるようになった。半藤一利さんが、戦争で人間は「被害者になるが、傍観者にもなるし、加害者にもなる。そこに戦争の恐ろしさがある」と言っていたが、戦争を語らない(語れない)理由がここにあると思う。「なぜ戦争の真実を庶民の声でテレビは報じないのか」と疑問があったが少し得心、当事者の立場と精神が唇を閉じさせていたのだ。さきほどまで観ていたフィリピン戦線に徴用された若い女性たちの回想もだ。『あちこちのすずさん』の果たした役割も大きいのかも知れない。今、命果てる前の真言に耳を傾けたい。

どもの頃、戦争は随分前のことだと思っていた。大学の頃、戦争を本で知った。老いるほど、1945年8月15日と1952年(波風氏出生)がとても近いことや、あれが戦争の残滓だったかと子ども時代のことを思うようになった。駅前で募金箱を前に置いた傷痍軍人、工場の瓦礫から拾った機関銃の薬莢、家にあった瀬戸の学生ボタンや水筒・・・戦後であり続け、戦前になることなかれ。この願いは戦後生まれ高齢者の最も大事な使命だ。


4年前、露骨な戦争賛美の神社を訪れて驚いたが、現職の文部科学大臣が参拝のニュースに驚かない自分。庶民はこうやって・・・ その清楚さが好きなドクダミの花と葉、飾る間もなく終わってしまった祝大谷さん39号。すっすごい。

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