(前号からから続く)
自分は何を大事にして今に辿り着いたのか、それでどんな人間になったのか、これから何を大事に暮らすのかを考えるのが老人の日々。何かの拍子に子どもの時や同僚の言葉が浮かんだり、家族のことや身体の心配を脈絡無く頭に浮かばせるのは、「どんな俺として、どんな終わり方をしたいか」につながる。70年代の青年に流行した「荒野をめざす」は、半世紀経って少し視野が広がったが広がり過ぎて迷ったり同じところをグルグル回ったりでちっとも進まない旅の途中。
自分のカッコ悪さを自覚しつつ、「たいていのことはへっちゃらだよ」みたいなわけ知り顔で暮らすのが老人。
波風氏ももちろんそのひとりで、このブログでしょうもないことをああでもない、こうでもないと書き続けているのが何よりの証拠。その彼が、最後の最後まで悩ましと思う人生の大事が『プライド』。毛が抜けると慌てて養毛剤を振りかけ、顔のシミはママヨさんのアドバイスを受け、加齢臭に気をつけるのはひとえにプライドの為せるワザ。まあ、プライドと言うよりイイフリコなわけだが、鏡見つめる目に我ながらたじろぎその涙ぐましさを微笑ましくも感じる(笑)。こういうのをしなくなった時は、枯れる老人でなく小汚いジジイになるわけで未だそれは早すぎる。
(書いていて面白いから次回も続ける)
す-っと浮かんだ「青年は荒野をめざす」と書いて、フォーク・クルセダーズを聴きたいと思った。高校生の時だったな。公式裏ブログを「青年は荒野をめざす」で更新しよう 人生の大事で「これが一番大事かなあ」とママヨさんと一致したのは家族。親が子どもを思う気持ちをだんだん分かるようになって。