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寝ぼけていたから…かな?:暴力を正当化する言葉

(⇒前回の続き)
以前にも記したけど。
「現実はドラマとは違う」、
同じように「ドラマも現実とは異なる」からこそ、
リアルなドラマが見たくなる。

深夜帯のアニメ番組は、20年以上前から増えている。
近年は、深夜帯でも、アニメ番組を放送しているチャンネルも多く。
その中には、童顔の美少女がバカ騒ぎしているようなものもあって、
テレビを蹴飛ばしそうになったときもあるけど…。
視聴者の年齢層を高くしたストーリー性があり、
完成度の高いものも多くなってきた。
人気作品からは、コミックやコンピューターゲームなど、
他メディアへの関連作品も生み出されており。
海外の放送局やネット配信、DVDタイトルでも市場は広がり。
日本のアニメ作品(ジャパニメーション)は、
もはや世界的なブランドとなっている。



それだけにアニメ番組の影響は、国内だけでなく、
海外でも無視できないものがあり、
これらの作品で、不用意な”描写”があれば面倒臭いことになる。
「あの歴史描写(や事実)は間違っている!」
「あのような政治機関(組織)が存在したことはない。」
「〇〇への蔑視的な表現だ!」

現実社会を舞台とした物語には、制約も多くなる。
そこで制作者たちには…、
「物語の世界への、野暮はなしですよ」
(俺たちの物語にケチつけんじゃねェ!!)

・・・と言える“足場(あしば)”が必要になってきたのかも知れない。




社会における約束事でもある法律において、
「表現の自由」が謳われていても、
コンプライアンスという名前の制約(圧力)が存在する。

それは仕方のないことなのか?
それとも不条理なのか?
“知性は、倫理と強く関連する”という哲学者カントの考えが、
仲間内で話題になったことがある。
短絡的に言ってしまえば…、
「倫理観をともなわないヤツは、バカだ!」となるけど。

社会における善悪の概念は、倫理や道徳によって、
ちゃんと形成されている訳でもなく。
“バカ”という言葉の定義が変わってしまうかな?
それに教養を証明するハズの学位がありながら、非常識な人間も多く。
多くの人間が自身の都合や立場によって、物事の善し悪しとしており。
とくにコンプライアンスを声高にあげる人たちには、
正義を後ろ盾にしていると思い違いした乱暴者も多く。
社会の理不尽さに、どうしようもない気分になることもある。
まあ、本当のところは分からない。
(この記事の実際の投稿時間(深夜1時12分)であり)、眠くなってきたしね。
寝るかな…。




追記:2021年10月7日
ファミリーコンピューター向けゲーム、
「ドラゴンクエスト」での作曲活動などでも知られる、
“すぎやまこういち”が亡くなった。

子供の頃、夏休みの時期になると、
特撮テレビ番組「帰ってきたウルトラマン」の再放送があり。
それが楽しみでもあった。
その主題歌を作曲していたのが、“すぎやまこういち”であったことを、
最近まで気付いていなかった。
「ドラゴンクエスト」は、1作目以降はプレイすることもなく。
正直、よく分からない。
「帰ってきたウルトラマン」で主演を務めた“団時朗”も…、
近年、「病室で念仏を唱えないでください」「相棒」などのドラマでは、
ダンディで魅力的な年配男性の姿を見せており。
すぎやまこういちの楽曲は、時代を象徴するものだとも思っていた。
しかし、音源の限られたゲームミュージックにおいても、
自ら作曲を望んでいった姿勢などを知ることになり。
その姿勢に圧倒されるものがあった。
その楽曲が、多くの“もの”を内包していることもあり。
いずれ、どこかで聞いたとき、
友人に伝えられるものがあればいいと思っています。


さらに追記:(2023年4月加筆分)
2023年(令和5年)、3月22日
帰ってきたウルトラマンで、主人公、郷秀樹を演じた、
「団時朗」さんが亡くなられた。
数年前、帰ってきたウルトラマンの主題歌を作曲した、
「すぎやまこういち」も亡くなられており。
時代を象徴する存在が、ひとつずつ消えていくような寂しさを感じている。
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