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王様の味は・・・?


なんか大きい(デカい)カップヌードルが、コンビニにあった。
キング”王様”などと冠されているけど、味は、やっぱりカップヌードル。
驚くほどでもない。
それにしても・・・。
鍋みたいにデカいのに“カップ”なのだろうか?
ちなみにカップヌードルの棚には、標準サイズ、
標準より大きいBIG、そして、このKINGとあった。

”大”は”小”を兼ねるとは言うけど、デカいのは、何かと邪魔だったりする。
まあ、食べ物の場合は、食べちゃえばいいのだから、心配ないけど、ね。




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時を止めても


今の職場は、携帯電話や無線LANの電波も届かない場所。
現代の社会で、携帯電話もインターネットにもつながらない空間は、
”時間が止まっている”ようなもの。
ネット上にアップされている記事の日付を、
帰宅途中にスマートフォンで見てしまうことで、”それ”を実感してしまう。



その”見返り”として、わずらわしい仕事上の人間関係から、
一時的に距離をとれたことになった。
報告書の文面だけは、大ゲサな職場より、充実した日々だが、
覚えていかないといけないことも、新たになる。
問題解決!・・・ではないけど、ね。





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迷うとき、空しいとき


世の中は、ただ生きているだけでは分からないことが多い。
そう言うとき、己の未熟さを痛感し、
勉強しなくてはならないことは多いのだと思い知る。
もちろん、世の中には、他人からの受け売り以上のない軽薄な者でも、
生きていける余裕はある。
わかったようなことを並べ立てるだけで、
自分の仕事や言葉に責任を感じていない者。
そのような中身のない人間は、いずれ見破られ、見限られる。
他人のこと・・・とも思ってもいられない。
しかし、勉強だけでも、生活は成り立たない。
当たり前の話ですが、生活にともなう負担を賄わないといけない。
簡単に言えば、一般的に生活するには”お金”が必要。
お金のため、労働しなくてはならない。
労働と学習の両立は、なかなか難しい。
ブックマークしている個人ブロガーの方には、
そんな厳しい条件を、なんとか乗り越えて、1つの学習課程を終えた方もいる。
見習わないといけない人物も少なくない。
内容のない生活や仕事のなか、空しくなるときもあるけど。
まずは、やれるところから。

蛇足:
職場の上司(正確には、現場長とでも言うのかな?)に愛想が尽きてしまった。
本社の人事部にゴネて部署移動となったが、かなり、自己嫌悪に陥っています。
まあ、運が良かったとも言えるのですけど、ね。




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ぶつくさ

(画像は、仙台駅周辺。本記事との関連はなしです。)

ここ数日、頭の整理もかねて、仙台での記録をまとめていたこともあって、
色々と記していないことが多くなってきた。
例えば、本屋のコミックコーナーに、
お気に入りのコミック作品の新刊が出ていたこと。
ハードディスクレコーダーに録画された海外ドラマが、
かなりの量になっていたこと。

そして、職場での移動を、かなり強く希望(ゴリ押し)したこともあって、
部署が代わることになったこと。
社会的な信用は、お金では買えない。
それを分かっていない人間は多いが、分かっていないからこそ、
(色々な意味で・・・)不快に感じる人間も多いのも、社会の構造の1つ。

結局、これが正しい判断だったのか?は、迷うところ。
(2024年7月誤字脱字訂正)




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疲れているとき


仕事が終わり、帰宅した部屋の中で、ほんの少し時間ができた。
なかなか片付かない部屋の中を整理することにした。
こうやっていると、思い入れのある物品でも、
捨てないと片付かないのだと気付かされる。
···とは言え、購入時、かなり金銭的な負担を感じたものを処分するのは、
正直、ツラいものがある。
例え、お手頃な金額だった物でも、
もう一度、入手するのが、困難な資料や書籍などは捨てるわけにもいかない。

一昔前の器材をバラして、不燃ゴミの袋に詰めていった。
他にも、使ってない機器を1つずつチェックしてから、
また別のゴミ袋に詰めていく。
それが終えると、着替えて、食事をとることにした。
正直、部屋は、まだ散らかっている。
なんだろう。
物を捨てるというのは、
もっとサッパリとした気分になれるものだと思っていたが、
そうでもないらしい。




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