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新元号の2年目は、5月の気分。

祇園精舎の鐘の声…、
奢れる者久しからず…と始まるのは、平家物語だったかな。

数年前、“祇園精舎”とは、何だろうか?などとは記していながら、
いまだに平家物語は読んでいない。
(関連する過去の記事)
そんな平家物語の時代である平安時代後期は…。
律令制(すべての土地は、天皇、国家のもの)において、
土地の所有はできなかったけど。
地方の豪族は、有力者である皇室や貴族、寺社に土地を寄進することで、
保護を受けることで荘園(個人が所有できる土地)を得ていた。
いわゆる抜け道と言うものだけど。
生きていくということは、食べていくということであり。
冷蔵庫もなければ長期保存ができるレトルト食品もなく、
いつでも食べたいものが買えるわけでもない時代においては…。
農耕や狩猟などで食べるしかなく。
生活の糧(かて)を得ていくためにも、
土地の権利(所有)は重要なことだった。
国内の農地は、荘園(私有地)と公領(公地)という形で
支配(管理)されていた。

平家物語でも語られる白河天皇は、
そんな時代に皇位を、自分の息子(堀川天皇)に譲った後、
旧来の秩序や慣習に縛られずに、上皇として実権を持ち続けていく。
実は、白河天皇の後継には、弟の実仁親王とされていたので…。
白河天皇は、自分の息子を天皇とするため
皇位を譲ったに過ぎないという背景があった。
これが日本史の教科書にも記されている“院政“となる。
院政とは、“院”が、天皇の父や祖父であることから政治を行うこと。
国のトップが、天皇であっても、事実として、
上皇や法皇は、天皇より、大きな実権を持つ存在となる。
 天皇が皇位を譲る ⇒ 上皇
 上皇が出家する ⇒ 法皇

公地公民において、天皇や上皇が私有地(荘園)を持つのは問題があった。
そこで寄進された荘園は、
上皇の寺院のもとに預けられることになり。
上皇の大寺院は、地方の寺院を支配下に置き、
多くの荘園を蓄えることとなる。
上皇は、政治の実権を持ちながら、旧来の秩序や慣習に縛られずに、
私有地の所有ができることから、想像以上の力を得られることになった。
そして、院の近臣である上皇の側近や武士が、
政治の実権を持っていくことになる。
※政治のエラい人…、
それもトップが、政治の抜け道を用いているのだから、とんでもない話!

この院政は、後鳥羽上皇の時代にまで続いていくことになる。

645年の日本最初の元号を「大化」と定めてから、
(昨年)2019年の「令和」まで、おおよそ250の元号が使われている。
昨年5月から、新元号となり、間もなく1年目となる。
平家物語や院政が、引き合いにされたのかは不明だけど。
陛下が生前退位されるまで、色々なことが懸念されたのも分かるところ。
(2020年5月8日一部訂正)



蛇足:
武家の2大勢力と言えば、源氏と平氏であり。
平氏は、桓武天皇の流れにある一族(桓武平氏)。
源氏は、清和天皇の流れにある一族(清和源氏)となる。
平氏と源氏との争乱において、
平氏が敗北したのは、
「奢れる者久しからず…」という訳だけでもなく。
平氏や貴族のもとで権勢を得るのではなく、
地方の豪族たちが土地の支配権を、
自身の権勢で得たいと考えるようになっていたこともあります。
「俺達は、オメェのパシリじゃねぇ!」というところかな(?)

国営放送気取りの全国規模の公共放送は。大嫌いだが…。
5/4にNH〇教育の「100分de名著」において、平家物語が特集される。
2年目を迎えた令和の時代を、あらためて考えてみたいと思っている。

<2020年6月追記>:
平安時代(794年~1185年)は、天皇の外戚となっていくことで
勢力を拡大していた藤原氏(藤原北家“ふじわらほっけ”)の存在も大きく。
白河天皇の行動は、藤原氏による朝廷への干渉から、
切り離そうとの考えもあった。
※天皇の母方の親族を“外戚(がいせき)”と呼びます。
物語の印象だけでは見えてこないのも仕方のないところかも知れない。

2020年6月補足記事 ⇒
「キシンスルノダー:特撮風日本史認識?」
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