戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

全力疾走

2008年06月08日 | 想うこと

午前中、娘の小学校で”ふれあい講座”がありまして、ミニ運動会に出場しました。

娘と二人三脚は、急遽出ることになり、息の合うところで問題なく完走しました。

といいつつも、途中、バットを額に着けて10回回る、というコーナーがあり、フラフラになりながら娘に手を引いてもらって走りましたが・・・。

次に親子対決リレーがあり、トラックの半周ですが、全力疾走してしまいました。

距離は50メートルくらいだと思いますが、何年ぶり、かの全力疾走でした。

中年になってからの全力疾走は危険でありますが、たまにジョギングをしていますので、思い切って走ってみました。

グランドからの跳ね返りを感じながら、これは全力でないと感じられません、風を切り疾走しました。

が・・・妻に言わせると、突っ立ったまま、ちょこまかと走っていた、とのことでした。

確かに、足を動かしているほどには身体は進んでいきませんでした。

が、全力で走るときに感じる、かつて感じていた、中学時代は陸上部でしたが、風と一体になるような爽快感を、ほんのちょっぴりですが、感じることが出来ました。

ああ、子供の頃はこうだったな・・・ただ思いっきり走るだけで楽しかったな・・・と思い出しました。

しかし、その代償は多少なりともありまして、走り終えると、膝はガクガクし、腰は痛く、なんとも情けない有様でした。

考えてみると、全力で走らなくなって10年以上・・・。

もう、100メートルを全力で走ることはできないでしょう。

かつて走れたという思い出だけが、身体に残っています。

そう考えると、寂しくなってしまいます。

ですが、できることなら、もう一度、どこかで全力疾走してみたいです。

 


二人三脚

2008年06月07日 | 想うこと

明日は小学校の行事で、ふれあい講座なるものがあります。

娘のクラスでは、”ミニ運動会”を催すことになっていまして、”親子二人三脚レース”が行われます。

妻は私に遣ってくれ、と言いましたが、娘は私とでは嫌だと言い、結局妻と娘の二人三脚になりそうです。

娘から嫌だと言われ少なからずショックを受けた私ですが、よく聞いてみると、体格の差がありすぎて遣りづらいから、ということでした。

現在、立ち直っています。

内容は知りませんが他の競技もあるようで、その競技に置いて、父親の面目を保とう、などと考えています。

 


日記

2008年06月06日 | 想うこと

小学生の娘の、宿題の日記、日記が宿題なのですが、それを読むと、どこそこで遊んだ、というのが記されています。

誰々さんの家に行って、Wiiをした、とか、アピタへ行ってコインゲームをした、とか書かれています。

正直なのは良いのですが、先生に読まれる日記ですから、お手伝いをしたこととか、勉強のことを書いてくれればいいのに、といつも思います。

その文の中で、特に問題のは、親の行動も推測されることで・・・

先日の日記には、”お母さんとバローへ行きました、お母さんが本を読んでから、買い物をしました”、と書かれていました。

ん? バローには図書館はありません。

本屋ならありますが・・・

それって・・・立ち読みしていたってことですか・・・

ただ、絵のある本とは書かれていなかったから良かったかもしれませんが・・・。

 

 


本とに?

2008年06月03日 | 想うこと

中学坊主の息子は、まったくといっていいほど本を読みません。

私も妻も読書は好きでして、私などは、”幸せなときとは、読む本があるときだ”、と思っているくらいですから、なにかにつけ、息子に本を読むよう勧めています。

半年ほど前も、星新一、の本を買ってきて、自分は中学の時好きでしたし、入門編としては適切かと思い、息子に勧めました。

が、まったく見向きもしませんでした。

が・・・

先ほどから、息子が新刊本を読んでいるのです。

聞いてみると、先輩から借りてきたとのこと。

覗いてみると、なんと、横書きでした。

親が心配することはないわけです。

若者は若者のやり方で、読書を趣味にしていくわけです。


教科書

2008年06月02日 | 想うこと

今朝、教科書を忘れたから持ってきてくれ、と息子が学校から電話をしてきました。

私の頃は、教科書を忘れたときは、しょっちゅう忘れましたが、隣の子に見せてもらったものです。教科書を二人の机の真ん中に置いて。

ですから、忘れてもしかることは出来ませんが、持っていかなければならないことが、問題なのです。

といって、持って行ってしまいますが・・・。

甘い親だと反省もしますけれど、今時はどこでもこんなようです。

もっとも、忘れ物をしない生徒も大勢いますから、忘れないにこしたことはないのです。

それで、学校へ行った私は、息子の下駄箱に教科書を入れました。

授業中だったとみえて、玄関には誰もいませんでしたが、下駄箱を見ていたときに、自分が中学の時に学校の玄関に入り、上履きに履き替えるイメージが臨場感を持って湧いてきました。

懐かしい想いとともに、なぜか閉塞感も伴っていました。

外履きから上履きに替えるという行為は、中学校の世界、ある意味その学校の支配下に入る、ということを象徴していたように思えます。

中学が嫌いだったわけではないのですが、中学校というのは自由が利かなかった、という思いがいまだ強く残っているのです。