戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

感覚の世界だから……

2022年03月04日 | 祭り

昨日の続きです。

春の高山祭り、今年は、コロナ禍であっても、通常通りの祭礼を行うと決心しました。

素晴らしいことです。

その決断に称賛を送ります、ということです。

昨日記したのに、また書こうというのはどういうことかというと、その英断に、必ず横やりが入るからです。

批判する人がいるからです。

意見を述べるのは結構なことで、それを悪くいうつもりはありません。

だけど、現場を知らずに、物知り顔で批判する輩に対しては、許せないのです。

しつこく記しますが、3年行われなかったら、継続は難しいです。

祭りを行うこと、それは、神楽、獅子舞、カラクリ、巡行、等色々ありますが、毎年、祭り前に集まって、確認をします。

どうするんだったかな、ということを思い出しつつ行うのです。

毎年行っているのにも関わらず、一から思い起こして始めるのです。

要は、感覚の問題なのです。

たとえマニュアルがあったとしても、役に立たないのです。

確か、例年こうしているから、こうすればいいんじゃない、てな感覚で練習を始めるのです。

現場とは、そういうもんなんです。

ここで反論が来るのは、それなら、祭りが無くても、伝統を継承するための練習をすればいいじゃないかと。

まったく、何も分らない人がそういう無責任なことを言うのですね。

本番が無いのに練習なんかしない、ということです。

ただでさえ、祭りの準備は大変なのです。

それでも、伝統の継承、自分たちの文化の誇り、があるから、仕事を犠牲にしても行おうとするのです。

それが、祭りが無いのだったら、無理することないですよね。

もう一度記しますが……

本番が無いのだったら練習はしない。

ということです。

失礼しました。