『ソロでコロムビア主催のフォークコンテストに出場。中国大会で課題曲だった「花はどこへ行った」をブルースアレンジで演奏し、2位に終わったものの中村とうようから特別賞が与えられ決勝大会に進出した。ここで自作曲「土地に柵する馬鹿がいる」を、針金を曲げて作った手製のハーモニカホルダーと改造した12弦ギターで歌う。』ウィキペディア「吉田拓郎」より
その中国大会で優勝したのは、ファイブ・フェニックス・メイツという広島大学の学生5人で結成されたグループだ。広大を象徴するフェニックスをグループ名に取り入れていた。ブラフォー(ブラザーズ・フォー)が時代を風靡していた。その影響を受けた歌唱力があるグループで、広島フォーク村結成まえの広島でもかなり知られていた。リーダーが私の身内だから割り引いたにしても、吉田拓郎ほか他の出場者たちの力量を圧倒していた。数年後、吉田拓郎と私の身内はジョイント・コンサートを開く。
ファイブ・フェニックス・メイツの優勝が決定した後で審査員(審査員はひとりだった)の中村とうようは、そのオリジナリティーを高く評価・賞賛して吉田拓郎に審査員特別賞を与えた、私はあの日、その会場の客席から決勝(全国大会)に進んだひとりの男と5人グループを見つめていた。吉田拓郎のディラン紛いのファッション・センスには羨望したが、音楽そのものもディランのコピーに過ぎない。音楽的にみると中村とうようのいうオリジナリティ云々という評価はふさわしくないように思った。
つい最近、その音楽評論家、中村とうようが自殺したというニュースが流れた。享年78歳、昭和の思い出がまたひとつ遠のいた。
その中国大会で優勝したのは、ファイブ・フェニックス・メイツという広島大学の学生5人で結成されたグループだ。広大を象徴するフェニックスをグループ名に取り入れていた。ブラフォー(ブラザーズ・フォー)が時代を風靡していた。その影響を受けた歌唱力があるグループで、広島フォーク村結成まえの広島でもかなり知られていた。リーダーが私の身内だから割り引いたにしても、吉田拓郎ほか他の出場者たちの力量を圧倒していた。数年後、吉田拓郎と私の身内はジョイント・コンサートを開く。
ファイブ・フェニックス・メイツの優勝が決定した後で審査員(審査員はひとりだった)の中村とうようは、そのオリジナリティーを高く評価・賞賛して吉田拓郎に審査員特別賞を与えた、私はあの日、その会場の客席から決勝(全国大会)に進んだひとりの男と5人グループを見つめていた。吉田拓郎のディラン紛いのファッション・センスには羨望したが、音楽そのものもディランのコピーに過ぎない。音楽的にみると中村とうようのいうオリジナリティ云々という評価はふさわしくないように思った。
つい最近、その音楽評論家、中村とうようが自殺したというニュースが流れた。享年78歳、昭和の思い出がまたひとつ遠のいた。