旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

「燃えあがる緑の木」

2008年05月25日 01時01分29秒 | Weblog
大江健三郎の「燃えあがる緑の木」三部作のうち第一部「『救い主』が殴られるまで」と第三部「大いなる日に」それにシリーズの続編「宙返り」上・下を買った。第二部「揺れ動く」ハードカバーはamazonの中古で送料370円、定価1円で多数が売りに出されている。買うかどうかを決めるのは第一部の読後になる。

20歳を過ぎた頃、高橋和巳の「邪宗門」を読んで小説の面白さに目覚めた。おそらくは大本教に取材したと思われる「邪宗門」と「燃えあがる緑の木」は共に新興宗教の盛衰を題材にしている。もともと宗教の成立過程に好奇心が旺盛なので代表的な鎌倉仏教の経典は揃っているし、原始仏典から聖書、コーランに至るまで蔵書は豊富だ。数年前には大本教の出口王仁三郎著作集まで買い揃えた。この種の小説には親近感を覚えるのだ。

大江健三郎は浪人時代に初めて読んだ。浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢に取材した「セブンティーン」という小説は右翼の青年の心理を巧みに捉えて見事であった。学生時代のゼミでは「厳粛な綱渡り」という評論集と「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「万延元年のフットボール」という暑苦しい小説を2篇読んだ。小説の方は何が言いたいのかさっぱり解らなかった。まるで酔っ払いが書いたような文体に呆れた。のち天皇制に取材した「みずから我が涙をぬぐいたまう日」に至ってはまるっきり小説の意図が読んで取れない。ノーベル文学賞を受賞した後も大江の作品を読む気がしなかった。

それにしても大江健三郎のハードカバー4冊が無残にも古本屋の105円コーナーに並べられているのには少々ショックを受けた。ここまで活字離れが進んだのか、それとも供給過剰なのか。「朝まで生テレビ」の論客たちが集う「リアル国家論」、文章が解りやすいという理由のみで信奉する経済学者岩田規久男著「デフレの経済学」ともども買い求めることにした。新本同様の6冊が〆て630円である。

「燃えあがる緑の木 第一部 『救い主』が殴られるまで」の第7章「燃えあがる緑の木」から読み始めた。なかなか読みごたえがある文体だ。大江が回り道をしていたのか、わたしが大江に追いついたのか定かではない。多分後者の理由であろう。暫くはこの長編5部と取り組んでみようと思う。僭越ではあるが、改めてノーベル賞作家である大江健三郎が「裸の王様」なのかどうかこの目で確かめてみることになりそうだ。