紀伊国屋で小島毅著「近代日本の陽明学」が目に止まった。立ち読みをしてみた。この種の本にしては文章が明快なので買った。この書は、江戸時代末期の大塩中斎の反乱に始まり三島由紀夫の割腹に至る時代を通じて、儒学の素養をもつ知識人たちがどのように陽明学と関わったかを明らかにしようと目論んでいる。
「三島由紀夫と陽明学」の解明に際して、ニーチェが「悲劇の誕生」の中で明らかにした、アポロン的な表象とディオニッソスな行動という表現が、突如として躊躇もなく出てくるところには少々戸惑った。が、学者の著作にしては全般に表現が易しくヒュウモアに富んでいる点は大いに好感が持てる。
後半に至り、三島由紀夫(平岡公威)と山川菊枝(社会主義者山川均の妻)の家4から5世代前に水戸学や水戸藩の指導層に属する先祖がいることに着目して、日本の陽明学が水戸学と深く関わってきたことを解明してゆく。
三島の陽明学は予想通りというべきか余りに付焼刃的であったことを明言されている。三島が大学アカデミズムの陽明学研究においてその業績に言及されることのない安岡正篤にあてた書簡は、「書斎派の朱子学に対する敵愾心に溢れ、『知行合一』の陽明学に東洋の真髄をみる立場」に立つ。幕末以来の日本陽明学の心性を見事に表現していると言わざるを得ないと括る。
2時間ほどかけて流し読みをした。勤務先の近くに記念館がある頼山陽、水戸学の藤田東湖、大川周明あたりに興味がもてた。久しぶりに井上哲次郎や内村鑑三、新渡戸稲造の思想の片鱗に触れもした。
また、水戸といえば「大日本史」の編纂事業でのちに藩を疲弊させた天下の副将軍二代目水戸黄門が著名である。中納言に任官した者のことを中国では「黄門」と呼ぶ慣わしがある。水戸藩主で中納言であればみんな水戸黄門なのである。
したがって江戸時代を通じて水戸黄門は7人いた、かの黄門様は2代目なのであるとテレビでいっていたと小島はいう。例えばこのように思想を語る表現が実に気さくなのである。
文部科学省科学研究費補助金を受けてこの軽さ。この明快さ。我が国のアカデミズムもようやく雪解けの季節なのであろうか。経歴によると小島毅はわたしよりひとまわり年少の東京大学大学院人文科学研究科の助教授である。
「三島由紀夫と陽明学」の解明に際して、ニーチェが「悲劇の誕生」の中で明らかにした、アポロン的な表象とディオニッソスな行動という表現が、突如として躊躇もなく出てくるところには少々戸惑った。が、学者の著作にしては全般に表現が易しくヒュウモアに富んでいる点は大いに好感が持てる。
後半に至り、三島由紀夫(平岡公威)と山川菊枝(社会主義者山川均の妻)の家4から5世代前に水戸学や水戸藩の指導層に属する先祖がいることに着目して、日本の陽明学が水戸学と深く関わってきたことを解明してゆく。
三島の陽明学は予想通りというべきか余りに付焼刃的であったことを明言されている。三島が大学アカデミズムの陽明学研究においてその業績に言及されることのない安岡正篤にあてた書簡は、「書斎派の朱子学に対する敵愾心に溢れ、『知行合一』の陽明学に東洋の真髄をみる立場」に立つ。幕末以来の日本陽明学の心性を見事に表現していると言わざるを得ないと括る。
2時間ほどかけて流し読みをした。勤務先の近くに記念館がある頼山陽、水戸学の藤田東湖、大川周明あたりに興味がもてた。久しぶりに井上哲次郎や内村鑑三、新渡戸稲造の思想の片鱗に触れもした。
また、水戸といえば「大日本史」の編纂事業でのちに藩を疲弊させた天下の副将軍二代目水戸黄門が著名である。中納言に任官した者のことを中国では「黄門」と呼ぶ慣わしがある。水戸藩主で中納言であればみんな水戸黄門なのである。
したがって江戸時代を通じて水戸黄門は7人いた、かの黄門様は2代目なのであるとテレビでいっていたと小島はいう。例えばこのように思想を語る表現が実に気さくなのである。
文部科学省科学研究費補助金を受けてこの軽さ。この明快さ。我が国のアカデミズムもようやく雪解けの季節なのであろうか。経歴によると小島毅はわたしよりひとまわり年少の東京大学大学院人文科学研究科の助教授である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます