旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

「魏志倭人伝」と「三国志」

2008年05月13日 18時34分15秒 | Weblog
以前から心のどこかにひっかかっていた。「魏志倭人伝」の魏は三国志時代の魏、すなわち敬愛する曹操が統治した魏ではないのかという素朴な疑問である。気にかかりながらも確認を怠っていた。つい最近、本箱の片隅に岩波文庫の「魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」をみつけた。

ざっと目を通してみた。やはり通称「魏志倭人伝」は、西晋の陳寿が編集した『三国志』の【「魏書」巻30・東夷伝・倭人の条】の部分をさす。この条の大半は陳寿とほぼ同時代の魚蒙が記した「魏略」によっている。

劉備が「三顧の礼」をもって諸葛孔明を迎え、曹操が詩を口ずさみ、何十万という兵士たちが「赤壁の戦い」を繰り広げている時代に、極東の倭人(われらのご先祖)たちは、体中に刺青をいれ朱の顔料を塗りたくって、袋から首を出したような貫頭衣を着て、そこいらじゅうを裸足で歩き回っていたと記録されたいるのだ。

倭人は文字をもたなかったようだから、わが国にはその種類の記録すら残されていない。持前の好奇心のなせる業か、つい魚蒙という著者やその取材法について知りたくなる。